1話 伝説の孫悟空(しかも女子高生)
俺の平凡な日常に、“伝説の孫悟空(しかも女子高生)”が落ちてきた――!
「はぁ…今日もバイト終わりか。コンビニでパン買って帰ろっと」
ぼく、天宮翔太、16歳。高校一年生。
友達はほどほど、彼女はいない。テストも平均点。
取り柄のない、平凡な日常を送っていた。
それが、突然“爆発”するなんて――思ってもなかった。
――空が裂け、地面がうねる。砂煙の奥で、ひび割れた光の球体が脈打った。
「……あれ、なに……?」
光は一度きり、鋭く弾けた。
ドガ――――――――――――ン!!
アスファルトが割れ、砂煙が舞い、俺は思わずしゃがみ込む。
「うわっ!?な、なにこれ!?隕石?…車の爆発じゃないよな!?」
恐る恐る近づくと、それは水晶のような球体だった。光を内側から放ち、亀裂を広げていく。
その中心には、人の影があった。
「……え、嘘だろ。中に……人? 女の子?」
次の瞬間——
パキン!!
水晶が破裂した。
光が弾け、俺は腕で目を覆った。
空が暗くなり、耳をつんざく爆音。地面が揺れた。
(緊急通話の画面に指が触れる)手が震える。スマホで110番しようとしたとき、画面が真っ黒になった。
同時に空気がねっとりと重くなる――何か、出てくる。
パキン。
水晶のような岩が割れ、中から…人影が現れた。
「えっ…人!?女の子!?」
「よっしゃぁああああああああああ!!!」
耳をつんざくような、元気すぎる声が響いた。
金色のボサボサ髪。犬のような獣耳。お尻にふさふさの尻尾。
しかも…露出度、ヤバすぎない!?
女の子は周囲を見渡し、ぼくを見つけると、ニヤリと笑った。
そして、まっすぐぼくの額を見つめる。
「ふむ、着地は成功じゃな。お前、わしの新しい兄じゃか?…そのアザ、やはりな」
「は?兄?アザ?…え、まって、救急車呼ぼうか?どこか打ってない?」
「よく聞け! わしは五百年前、天宮を統べた斉天大聖・孫悟空である!
如来の罠により封印されていたが、ついに解放されたのじゃ!」
「いや服ッ!! まず服着て!? 通報されるから!?」
「これは天界装束じゃ。正式なものじゃぞ」
「それで!? その布面積で!?」
「兄じゃ、そう騒ぐでない」
「兄!? 誰がだよ! やめろおおおおお!!!」
だけど確かに、俺の前に立っていたのは、
金髪ボサボサ/獣耳/尻尾付き/女子高生(露出多め)
という、全属性ぶち込みすぎのキャラだった。
「封印、解除じゃあああ!! ふっふっふ、五百年ぶりに目覚めたわ!」
「誰ーーーーーっ!!?」
突っ込みが反射で出た。
彼女はツヤツヤの尻尾をくるんと回し、ゆっくりと俺の方を向いた。
そして、ニヤリと笑ってこう言った。
「ふむ……良き反応。よいぞ、お主。わしの兄じゃにふさわしい」
「待て待て待て! 兄!? 初対面だよね!? まず名前、いや服! 服着て!!」
「なにを騒ぐ。これは正式な天界装束じゃ」
「その布面積で天界行けるなら、天界ゆるすぎない!?」
「ふん、これのよさがわからぬか、動くには一番だぞ。なにをあわてておる?」
「じゃあ黙ってろ! 通報される前に来い、俺んち!」
「うむ、さすが兄じゃ。話が早い!」
「勝手に家族認定すんな!!」
言いながら、俺はその場で彼女の腕を引いて走り出した。
爆心地からの煙、近くの家の窓が開く気配。やばい、誰かに見られたら終わる。
「なあ! お前ほんと誰なの!?」
「だから言うたろ? わしは——斉天大聖・孫悟空じゃ」
「ごめん、まさかの本人主張!? あの、伝説の!? 天界で暴れたってやつ!?」
「うむ。天界の桃を食らい、仙酒を飲み、龍宮を荒らし、閻魔帳を書き換えた妖猿じゃ!」
「犯罪歴オールスターか!!」
彼女——いや、孫悟空は、うれしそうに語り続ける。
「天兵十万を蹴散らし、如来と手合わせして封じられて五百年……ようやく目覚めたわ」
「目覚める場所、間違えてない!? なんで俺の街なの!?」
「封印を破る“血の灯”を感じたのが、ここじゃったのよ。わしの兄じゃがいる」
「それ俺!? なんでよりによって俺なの!? もっと……適任いたでしょ!? 菩薩とかさ!」
「いやいや、そなたの額、見てみよ」
「へ?」
悟空が指を伸ばして、俺の額をつん、と押した。
その瞬間、ズキンと焼けるような痛みが走った。
でも、それは熱いのに冷たい。内側から氷と火が同時に這いまわるみたいな——理屈じゃない感覚だった。
「痛っ……な、にこれ?」
「“証”じゃ。五百年前、わしを鎮めた者も、同じ紋を持っておった」
「え、三蔵!? 俺、坊主でも修行僧でもないけど!? ただの高校生なんだけど!?」
彼女の名前は、孫悟空。
あの——マジであの、伝説の。
言動すべてが規格外すぎて、理解が追いつかない。
光の水晶から生まれて、爆発と共に着地して、しかもその格好で俺の顔をガン見して「兄じゃ」呼び。
逃げるべきか、助けるべきか、通報するべきか。
思考がフリーズしかけた瞬間、彼女がにこっと笑った。
「光が、ようやく目覚めたか……五百年、待たせおって」
「いやその“光”ってなに!? 俺、マジでパン買いに来ただけなんだけど!?」
そっからが、地獄の始まりだった。
俺は悟空を引きずるようにして、アパートの玄関ドアを開けた。
深夜の路上に女子高生(ただし露出モード)を放置する勇気なんて俺にはない。
「ほう……これが兄じゃの根城か」
「“俺のアパート”って言えよ。あと勝手に靴脱ぐな、冷蔵庫開けるな、パン勝手にくわえるなあああ!!」
俺の実家は超田舎で高校が無かったので、ここで一人暮らししていた。
「着ろ。これなら動きやすいだろ」 俺は中学時代のジャージを押しつけた。ダブダブだがマシだ。
「ふむ、この“メロンパン”なるもの……中身が空気じゃのう。実に現代的じゃ」
「やかましいわ!! それ明日の朝食だったのに!?」
「兄じゃの食い物は、わしの食い物じゃ」
「誰が兄だよ! 俺ノーサインだからな!?」
悟空はすっかりリラックスした様子で、こたつ布団の上にごろんと寝転がった。
「で、さっきから聞いてたけど……“兄”って、どういう意味で言ってる?」
「お主のことじゃ。わしと契りを結ぶ者の呼び名よ」
「説明になってねえ!」
「強すぎる者の“暴れ”を止め、軌道に戻す者。力でなく、光で縛る者。五百年前にもおった」
「その人、どんだけスペック高いの……。俺、今んとこパンしか食ってないけど……」
「心の中に“止める力”があるかどうか、それがすべてじゃ」
「抽象すぎるわ!!」
そこまで言ったときだった。
——音が、止まった。
「……え?」
冷蔵庫のモーター音が、止まっていた。
テレビも、スマホも。エアコンの送風も、電気の微細なうなりも。すべて。
無音。完全な、無音。
だが、それは“静か”なんかじゃなかった。世界から、“音という概念そのもの”が抜き取られたような感覚だった。
「おい……悟空? なあ……これ、どういう……」
言葉が、出ない。
口は動くのに、声にならない。空気が、声の形を拒絶しているようだった。
俺の視界の端で、悟空がすっと立ち上がる。
「……来たか」
彼女だけは、喋れている。俺には聞こえないのに、悟空の口だけは何かを語っていた。
悟空が台所にあったナイフを手にする。
それが金色の光に包まれ——如意棒へと変わった。
そして、窓がバリンと割れた。
そこから、巨大なカラスが舞い降りた。
羽ばたきでカーテンが裂け、割れたガラスの欠片が畳を跳ねる。隣室から短い悲鳴。黒い羽根の端で、貼りっぱなしのポスターが焦げた。
音のない羽音。真紅の目。空気が焼けるような圧。
冷や汗すら“音”を立てない。
俺は震えて、声にならない叫びをあげた。
助けてくれ。お願いだから、助けてくれ。
——そのとき。
額が焼けた。いや、“焼かれている”のに、冷たい。矛盾した感覚が脳まで突き抜けた。
胸の奥が引っ張られる。何かが目を覚まして、“こっちに来い”と命じてくる。
鏡の中で、俺の額が光っていた。
知らない紋様が、青白く燃えるように浮かび上がっていた。
悟空が一歩前に出る。
「……やはりのう。兄じゃ、その証、目覚めたか」
そして、彼女は如意棒を構えた。
「この“音を喰う妖”、封印の余波で呼ばれたか。だが、ここはわしの舞台じゃ」
如意棒が、風を裂いた。
無音の世界で、棒の一閃がすべてを断ち切った。
カラスの体が光に引き裂かれ、羽が溶け、虚空へと霧散していく。
その瞬間——音が戻った。
風の音。冷蔵庫のモーター。テレビのリモコンの起動音。
「世界が再起動した」みたいに、日常の音がいっせいに押し寄せた。
「——ッ!! うわああああああああああああ!!!」
俺は崩れるように尻もちをついた。涙も出た。ガチで怖かった。これは夢じゃない。
悟空が、俺の額をのぞきこむように見つめた。
「……やはり、間違いない。
その光。わしの力を、正しく導けるのは兄じゃだけじゃ」
「俺……パン買ってただけなんだけど……」
「なんで俺なんだよ……」
心の底から、そう思った。もっと強いやつ、すごいやつ、そういうのが世界にはいっぱいいるだろ? なのに、なんでよりによって俺なんだ。
ただ、ちょっと腹が減ってただけなのに。コンビニ寄っただけなのに。
世界の命運とか、いきなり押しつけられるとか、意味がわからない。
でも——光ってしまった。痛みが残ってる。ということは……やるしか、ないのか?
「うむ、よきパンの選択であった。わしにも一つ買ってこい」
「どの口が言うかああああああああああああ!!!」
こうして——俺の平凡な日常は、跡形もなく吹き飛んだ。
パンを買いに出ただけなのに。帰ったら、まさかの”妹”と、それが”孫悟空”とは?
俺の人生が全て変わってしまった。