第九話:変わらない手、変わっていく景色
道場に入って、三年が経った。
剣は、少しずつ体に馴染んできた。
最初は構えも足運びもまるでなっていなかった。
刀とは違う。剣は押し斬るものだと、体に覚えさせるまでに随分時間がかかった。
けれど、日々の稽古で磨かれていくうちに、身体が変わっていった。
腕の筋は太くなり、指の皮はさらに硬くなり、腰の据わりが安定してくる。
何より、視線の向け方が変わった。
相手の手じゃなく、肩でもなく、足の向き。
呼吸の深さや、立ち位置のずれ──
そういう“戦う者の空気”が読めるようになった。
稽古が終わったある日の夕方。
庭の隅で汗を拭いていたとき、隣にいたヨウが水筒を俺に差し出しながら、ふと口にした。
「なあ、お前さ……もう鍛冶なんかやらなくてもいいんじゃないか? 剣の腕だけで生きていけるだろ、お前」
不意を突かれて、水筒を受け取る手が止まった。
「……そうか?」
「そうだよ。お前、もう新入りにはまず負けねえし、中堅どころでも互角じゃねえか。師範もお前の動き見てる時、ちょっと目ぇ笑ってるしな」
「……それでも俺は、鍛冶師だよ」
そう返すと、ヨウは肩をすくめて笑った。
「やっぱりな。そう来ると思ったわ。けどよ、もったいねえと思うんだ。剣一本でやってける奴、そうそういねえぞ?」
「ありがとな。けど──俺は剣士になりたいわけじゃない」
そう言って空を仰ぐと、空はもう秋の匂いを含んでいた。
「良い武器を作るには、戦いを知ってなきゃ駄目だ。
剣を学ぶのは、自分のためじゃなくて、いつかそれを使う誰かのためさ」
「……お前、ほんっと頑固だな」
「職人は、頑固でなきゃ鉄に負ける」
そんなことを言うと、ヨウは「はいはい」と笑ってどこかに去っていった。
背中が少しだけ、心配そうだったのが嬉しかった。
日が暮れて、道場が静かになる頃。
俺はひとり、作業小屋にこもる。
ここは師範の許可で使わせてもらっている小さな鍛冶場だ。
炉を整え、炭をくべて、火を入れる。
鉄の棒を入れて、じわじわと温度を上げていく。
今日作るのは、昔見たことのある“西洋の投擲武器”。
三枚刃の手裏剣に似た形状を、記憶を頼りに再現する。
削って、研いで、バランスを整えていく。
その作業は、稽古よりもずっと静かで、けれど心の芯に火を灯す時間だった。
作った武器は、翌夜に試す。
稽古が終わり、皆が寝静まる頃。
師範は、ほとんど毎晩のように庭に出ていた。
そして無言で、俺の作った武器を手に取る。
投げる。振る。握る。踏み込む。
感想は、あまり言わない。
けれど、眉の動き、目の奥の熱で分かる。
興味を持っている。
楽しんでいる。
何より──俺の“創る”という行為を、真剣に見てくれている。
「これは、もう少し重心を後ろにしたほうがいい」
「刃が多すぎると、風を噛みすぎるな。三枚で正解だ」
そんな風に、ぽつりぽつりと言葉をくれることもある。
俺はそれを聞きながら、また翌朝には炉の前に立っている。
剣の道は続いている。
同時に、鍛冶の道も止まっていない。
二つの道を並行して歩き続けること。
それが、俺にとっての“生きる”だった。
夜の稽古場。
月明かりの下、師範が無言で刃を握っている。
その背中を見るたび、俺は思う。
──剣の道に入ったんじゃない。
俺は、武器を作る者として、この場所にいるんだと。