第八話:武を学ぶ者、鍛を極める者
朝の冷たい空気が、道場の白い塀にしんと染みこんでいた。
霜の降りた庭石の上を、弟子たちの足音がざっざと通り過ぎていく。
誰も、話さない。誰も、こちらを見ない。
仮弟子として迎え入れられた初日。
案内されたのは、道場の端にある小さな空き部屋だった。
寝床は藁を編んだ敷き布、敷居の低い棚に簡素な着替え。
けれど、鍛冶場の煤と汗にまみれた小屋に比べれば、ずっと静かだった。
「この空間に、鋼の匂いはないんだな」
そんなことを、ふと思った。
朝食は粥と沢庵、干し肉が少し。
食べながら、主人公──俺は、弟子たちの様子を盗み見る。
彼らはみな若く、鍛えられた体をしていた。
木剣の手入れにも余念がない。
その姿勢から、ここでの訓練が厳しくも意味のあるものだと分かった。
──俺は、刀を振りにきたんじゃない。
剣を、学びにきたんだ。
“武器を作る者”として、使い手の技を知ることは必要だ。
刀だって、その一つだったにすぎない。
稽古場に並ぶ。木剣を渡される。
握った瞬間、重さと長さの違いに戸惑う。
刀とは、全く別物だ。
「構え、前に──一の型、踏み出しから!」
師範の声が響く。
その声に従って、見よう見まねで腕を振る。
が、すぐに師範の一喝が飛ぶ。
「止めろ! 足が浮いている。斬る前に倒れるぞ、それでは」
「……はい」
悔しさはある。
だが、それ以上に「知りたい」と思った。
剣の重さ。
力の流れ。
“斬る”ではなく、“打つ”ことの意味──
俺は、今、“剣術”を学んでいる。
職人として、ここに来た意味があると思った。
その日一日は、ひたすら素振りと足運びの反復だった。
腕は震え、膝は笑い、腰が鉛のように重くなる。
夕食を終え、風呂をすませ、部屋に戻ると、倒れこむように寝転んだ。
けれど、なぜか眠れなかった。
外に出た。
道場の庭に夜風が吹いている。
月明かりに照らされた稽古場に、人影がひとつ──
師範だった。
静かに立ち、刀を構えていた。
俺が鍛えた、あの一本。
師範はそれを握り、ひと太刀ずつ、ゆっくりと振っていた。
……見惚れた。
刃が空を裂くように進み、軌道にまるで風が生まれるようだった。
それは剣の振りではない。
師範もまた、この“刀”に向き合っている。
「……見てるだけか?」
声をかけられて、思わず背筋を伸ばした。
「い、いえ……その、つい」
師範は刀を収めて、こちらを見た。
「振ってみるか」
「……いいんですか?」
「構えは剣と違う。重心も、動きも。だが、お前が作ったものだ。どう振るかは、お前の体が一番知っているだろう」
頷き、刀を受け取る。
ひさしぶりに握ったその柄は、指にぴたりと馴染んだ。
一歩、踏み出す。
腰を沈め、刃を抜き放つ。
夜気を裂いて、銀の軌道が月に光る。
──重い。けど、剣とは違う。
“押す”のではなく、“抜く”感覚。
斬るのではなく、“切れる”。
何度か振ると、師範が近づいてきた。
「その踏み出し、少し浅いな。刃が届く前に体が浮く」
「柄の巻き、少し短いな。抜刀に力が乗らない」
そう言いながら、師範自身も、俺の動きを真似る。
似て非なるもの──
“試し”、そして“探り”、そして“受け止める”。
「これは、教えるものではないかもしれん」
「だが……共に考えることは、できる」
その言葉に、胸の奥が静かに震えた。
誰かと武器について語れる日が、来るなんて。
夜の稽古場に、鉄の匂いがないのに、確かに“鍛冶師”としての自分がいた。