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第五話:閉ざされた門の前で

朝の光が、森の影をゆっくり押しのけていく。


 落ち葉を踏む音と、遠くで響く鳥のさえずり。

 道は細く、木々に囲まれているけれど、どこか静かで落ち着いていた。

 俺は、ゆっくりと歩いていた。


 


 アリオン道場へ向かって。

 あの冒険者──ライガに教えられた地図を、何度も確認しながら。


 


 腰には、いつもの工具袋。

 そして、小さな袋に少しばかりの食糧。

 剣はない。もうあの短剣は、あの森の中に置いてきた。


 


 それでも、俺は前へ進んでいた。


 


 森を抜けると、小さな川に出た。

 水面は静かで、ところどころに飛び石が並んでいる。

 一つひとつ慎重に渡ると、水の冷たさが靴底を通してじわりと伝わってきた。


 


 向こう岸に立ったとき、ふと振り返ってしまった。


 


 ──戻る場所なんて、もうない。


 


 鍛冶場には帰れない。

 山小屋に戻ったって、何も変わらない。


 


 だから俺は、ここで変わらなきゃいけない。

 自分から動かなきゃ、何も手に入らない。

 もう、“誰かが与えてくれる異世界の奇跡”なんて、待たない。


 


 そう、心に言い聞かせて歩いた。


 


 道はしだいに開けていき、畑が広がり始めた。

 野良仕事をしている人たちがいて、目が合うと怪訝そうな視線を向けられた。

 それでも俺は会釈して、声はかけずに通り過ぎた。


 


 背中に刺さるような視線。

 それがどこか、鍛冶場の父の目を思い出させた。


 


 それでも、足を止めなかった。


 


 アリオン村は、村というには少しだけ大きくて、けれど城下町ほどではない中途半端な場所だった。

 商店らしき建物もあったが、道にはそこまで人通りはなく、なんとなく外から来た人間に慣れていない印象を受けた。


 


 誰も話しかけてこない。

 子供でさえ、警戒したような目をしている。


 


 そして、村の北の端──小高い丘の上に、それはあった。


 


 アリオン道場。


 


 白い壁、灰色の屋根、整えられた敷地。

 その中心にある木製の大門には、重々しい静けさがあった。


 


 俺は、門の前に立った。

 喉がからからに乾いて、手のひらに汗がにじむ。

 心臓が、やけにうるさく聞こえる。


 


 それでも、拳を作って、門を叩いた。


 


 こん、こん、と乾いた音。

 すぐには反応がなかったが、しばらくすると門の脇から、小柄な男が顔を出した。

 髪は束ねられ、道着を着ている。たぶん、門番のような役割なのだろう。


 


「見ない顔だな。何の用だ」


 


 淡々とした声。

 俺は一歩踏み出して、頭を下げた。


 


「すみません。剣を……教えていただきたくて。弟子に、してもらえませんか」


 


 男はしばらく黙っていた。

 そして、目を細めるようにして俺の全身を見渡した。


 


「……君、紹介状は?」


「ないです。でも、どうしても、ここで学びたくて……!」


 


「保証人は?」


「……いません」


 


「金は?」


「……ほとんどありません。でも、働いて返します!」


 


 男はほんのわずかに顔をしかめて、首を振った。


 


「そういう話は、珍しくないんだ。けれど、うちは慈善団体じゃない。教えるにも責任がある。武術は遊びじゃないからな」


 


「遊びだなんて、そんな……!」


 


 必死だった。

 声が少し大きくなってしまって、自分で驚く。

 男は一歩後ろに引いた。


 


「気持ちはわかるよ。でも、うちには“信用”が必要なんだ。いきなりやってきた素性の知れない者を受け入れるわけにはいかない」


 


 その言葉が、重くのしかかる。


 


 素性の知れない者──それが、今の俺なんだ。


 


 男はもう一度、俺の腰袋を見て言った。


 


「……その道具。鍛冶屋か?」


「……はい」


 


「なら、鍛冶をやっていればいい。剣の道場に来る必要はないだろう」


 


 そう言われた瞬間、何かがぷつりと切れた気がした。


 


「俺は……鍛冶しかできないんです。だからこそ、剣を学びたい。ちゃんと武器のことを、知らないといけないと思って……!」


 


 言葉が必死にこぼれ出た。

 でも、男は一切表情を変えなかった。


 


「気持ちだけで学べるなら、誰も苦労はしない。帰りなさい」


 


 ぴしゃり、と門が閉まった。


 


 俺は、門の前に立ち尽くしていた。


 


 


 日は傾き、空が赤く染まり始めていた。

 門の前には俺一人。

 他の弟子たちがちらちらとこちらを見ながら、何も言わずに通り過ぎていく。


 


 誰も、声をかけてくれない。

 誰も、手を差し伸べてくれない。


 


 ──ああ、まただ。


 


 鍛冶場でも。

 村でも。

 そして今も。


 


 俺は、何も持っていないから、受け入れてもらえない。


 


 スキルも、金も、地位も、名前も。


 


 俺は、ただの「鍛冶屋の息子」だ。


 


 ……どうすれば、ここに入れる?


 


 何か方法はないのか。

 金? 紹介? いや、そんなもの今さら用意できない。


 


 なら──何か、“ここに必要とされるもの”を俺が作れたら?


 


 ──俺にしか、できないこと。


 


 そのとき、ふと脳裏に浮かんだのは、前世で見た武器のひとつ。


 


 剣とは違う、細身の刃。

 真っすぐではなく、わずかに反った姿。

 鞘からすっと抜け、斬ることに特化した武器。


 


 ──刀。


 


 この世界には、まだ存在しない“武器”。

 見たことがある者も、きっと少ない。


 


 なら、それを“俺が”作れたら──


 


 それをこの門の前に持ってくれば、誰かが振り向いてくれるかもしれない。


 


 心が、少しだけ熱くなった。


 


 冷たい門の前。

 誰にも気づかれないまま座り込んだ夕暮れの中で、

 俺はもう一度、立ち上がることを決めた。

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