第一話:火の中に生きる
夕方の空が、真っ赤だった。
染まるようにして、煙が立ち上っている。
鍛冶場の煙突から流れるそれを、子供のころは龍の息みたいだと思ってた。
でも、今はもう、そんなふうに見ることはない。
ただ、熱いだけだ。
暑い、じゃなくて。熱い。
喉の奥まで焼けるような、そんな熱さ。
喉が渇いても、水を飲む暇はない。
目の前の鉄が、白く光る。
火を通しすぎたら、脆くなる。
温度の加減を一瞬でも見誤れば、全部パーだ。
慎重に、けれど一気に。
鉄の表面を見て、耳を澄ませて、においを嗅いで、叩く。
力じゃない。
速さでもない。
もっとこう……なんというか、体にしみつく感覚。
──それが、俺の十年間だった。
「……ちょっと厚いな。焼きなおせ」
父の声は、いつだって静かだった。
怒鳴られたことは、そんなにない。
けれど、それ以上に厳しいと思う。
俺が叩いた刃を、一目見て言った。
それだけで、まだまだだと分かる。
分からされる。
「はい……」
鉄を火に戻しながら、小さく息をつく。
夏の鍛冶場は、もう灼熱地獄みたいなもんだ。
でも、休ませてくれるほど甘くはない。
十年前に生まれたときから、ずっとこの生活だった。
いや、生まれたとき……か。
正確には、「転生してきたとき」って言った方がいい。
それをはっきり自覚したのは、たぶん三歳か四歳くらい。
まだ物心がつき始めたばかりのころだった。
──え? なにこの名前? なんでみんなカタカナなの?
──なんで剣が普通に売ってるの?
──魔法? スキル? え、ステータスウィンドウ??
そんなふうに、前世の記憶がぶわっと広がって、混乱したのを覚えてる。
だけど驚くのと同時に、ちょっとワクワクもした。
異世界転生なんて、大好物だった。
前世はパッとしない人生だったし、これからはチート人生だろうと思ってた。
……でも、違った。
それどころか、なにもなかった。
気づけば、鉄の前で毎日を過ごしてた。
チートなんて一度も来なかった。
「神様」も「ステータス画面」も現れなかった。
父さんが、いつか言ってた。
「鍛冶屋にスキルは欠かせん。ある程度まで打てるようになれば、自ずと手に入る」
だから、ずっと打ってきた。
朝から晩まで、指の皮が剥けても、火傷しても、熱で倒れそうになっても、やった。
それでも、俺には何も降ってこなかった。
「……火が弱くなってるぞ。炭を足せ」
「はい」
言われる前に気づきたかった。
そうすれば、父の声はもっと柔らかかったかもしれない。
けれど、そういう日は、ほとんどなかった。
自分の腕が鈍いのか。
それとも、やっぱり何かがおかしいのか。
時々、考える。
だけど、考えたところで何かが変わるわけでもない。
だから、手を動かす。
何も信じられないなら、せめて、打ち続けるしかない。
今日も、終わりは近い。
陽が落ちて、暗くなって、父がふと炉を覗き込んだ。
「……今日は、終いにするか」
その言葉を聞いたとき、少しだけ、ホッとした。
でもその一秒後、父が俺に何かを投げ渡した。
「お前のだ。……使ってみろ」
小さな袋だった。
開けてみると、中には小さな、緑がかった石が一つ。
──光ってる。
どこか、内側から淡く脈打つように。
「……魔石?」
「ああ。ゴブリンのものだ」
ゴブリン。
この世界のモンスターだ。
子供の頃から話には聞いていたが、実際に見たことはない。
でも、その魔石──“魔力の結晶”は、武器に力を与える素材として知られている。
父は俺をじっと見ながら、言った。
「混ぜてみろ。その剣に合うように」
「え……どうやって?」
「《鍛治師》のスキルで、混ぜる。……いつも通りだ」
その瞬間、心臓が強く跳ねた。
スキル。
また、その言葉だ。
俺は、父の目を見て、小さく首を振った。
「……俺、まだ……持ってない」
沈黙。
長い、長い、沈黙。
父は何も言わずに、袋を見下ろした。
手の中の魔石が、妙に重く感じた。
初めての“異世界らしいアイテム”なのに、嬉しさなんて一つもなかった。
その夜は、なにも言わずに寝た。
飯の味も、よく覚えていない。
だけど次の日も、その次の日も、鍛冶は変わらなかった。
魔石は机の上に置いたまま。
何度も手に取っては、すぐ戻した。
混ぜ方が、わからない。
スキルが、ない。
叩いてみた。
壊れた。
また叩いた。
砕けた。
何度目かの失敗のあと、父は一言だけ言った。
「……その程度で割れるなら、使い方が間違ってるんだろ」
もう、責める声ですらなかった。
俺は、自分がこの家にとって邪魔なんじゃないかと思い始めていた。
そして、次に父が口にしたのは、思っていたよりもずっと冷たい言葉だった。
「スキルが出るまで戻ってくるな。山の小屋を使え」
何も言えなかった。
口が開かなかった。
返事もしないまま、俺は次の日、荷物をまとめて、山へ向かった。
鉄を叩く音は、もう父の家からは聞こえなかった。