見えないはずのもの
学校を終えた帰り道、ふいに暗い気配を感じて全身に鳥肌が立った。
人の気配とは明らかに違う気。
叫び、嘆き、悲しみ、怒り、憎しみ
そういう負の感情を混ぜ合わせたような独特な色をしているそれはごく近くにあった。
どくりと心臓が高鳴りだす。
『… 』
ふいに全身が警笛を鳴らしたので走り出した。
いつもの日課になってしまった、近所の神社に駆け込む行為。
神社などの神聖な場所にはその土地の氏神や地祇が施した結界がある。
鳥居さえくぐればそれが邪悪な感情を寄せ付けずに守ってくれる。
「っはぁ…っは、」
たった数分走っただけなのに息が上がった。
何度か呼吸をして息を整えてから、肩からずり落ちた鞄を持ち直す。
『なんだおぬし、みえるくせに"アレ"がこわいのか?』
ふいに聞こえた声に振り返ると罰当たりにも、ここの守り神を象った狐の像の上に座る猫がいた。
普通の猫の一回りも二回りも大きな猫だ。
全体的に灰色で、黒い斑模様が入っている。
ひらりと揺れた尻尾を見れば、尾が二つに分かれていた。
『あすはもちづきだからの。きをつけねばおまえのようなにんげんはとりころされるぞ』
呆然とその姿を見て、思わずその尻尾を確認しようと掴むと、猫からぎゃあと悲鳴が上がった。
「………化け猫…?」
『ぶれいものが!!あんなていぞくなやからといっしょにするな!!』
「っいた…っ!」
怒鳴り声と同時に手を爪で引っ掻かれた。
深くはないけど地味に痛くて、傷口を手で押さえた。
見かけによらずフットワークが軽い猫だなぁと思っていると猫はどこぞの時代劇のように「ずがたかい」と威張った。
…貴方の態度の方が高いです。
「えーとじゃあどちら様ですか?」
『われはねこまたともうす。これでもおまえのなんばいもいきておるのだぞ』
「はぁ…猫又…?」
『めうえのものにはさまをつけよ。おぼえておけこむすめが』
というか、猫又と化け猫の違いってなんなんだろう。
うやまえあがめろ、と二本足で立って人間のようにふんぞり返る猫はなんともかわいらしい。
昔から噂話などで聞いたことはあったが見るのははじめてだった。
人語を解し、人語を話す数十年、数百年以上生きて尻尾がふたつに分かれた猫。
「えーと猫又様?」
『なんだ』
「とりあえず天弧さんに叱られますよ」
像の上なんかに乗ってると。
途端に猫又様は宙に跳び上がった。(ついでにそのまま落ちた)
『はやくゆわぬか!だからおぬしはこむすめなんじゃ!』
ここの守り神でもあり、この神社の主でもある狐の神様。
奥の社に行けば大抵会うことができるが、時折神社内の森をふらふらしていることもある。
と思えばお供え物の油揚げをがつがつ幸せそうに食べているときもある。(それがすごくかわいい)
小さい頃霊や妖怪に付き纏われて泣く私を気まぐれに助けてくれたことがきっかけで、私はいつもこの神社にお世話になっている。
この辺一帯の土地で一番偉い神様。
能力があってよかったと思うのは、彼らのような妖怪や物の怪の類と喋れたり仲良くなれたりすることだ。
…時折人間を喰らおうとするのもいるけれど。
「それって責任転嫁なんじゃ…」
『おや、おぬしふしぎなめをしておるの』
「(話逸らした…)今更気付いたの猫又様」
『われはめがわるいんじゃ』
「猫なのに」
正直言うとあんまり目のことは言ってほしくない。
私が小さいころにいなくなった両親が、外人だと言うことは親戚から聞いたことがない。
それなのに私の目は青い。
母の実の妹である叔母が純日本人なので母は日本人で間違いないはず。
もし、父が外人で青い目をしていても、それはありえない話なのだ。
茶色の目を持つ人が青色の目を持つ個体と交配してもブルーの目の子供が生まれることはまず無い。
医学的に、遺伝的に、まずありえない話。
『すいみゃくのきがつよいようじゃな』
「水脈?気?」
『みずのつき、みずのひ、みずのときにうまれたものがなりやすい』
「水の月?梅雨の6月とか?」
聞きなれない単語に理解がついていかず聞き返すが、猫又様は忙しなく辺りを見回して慌しく踵を返した。
水だとか日時だとか目の色とどう関係があるというのだろう。
『それじゃあわれはいくからの。』
「行くって…せめて意味を」
『またあえるたらよいなこむすめ』
絶対そう思っていないであろう態度でそう言うと猫又様は逃げるように去っていった。
よりにもよってこの町で一番の神様に罰当たりなどと畏れ多いをしてしまったので気付かれる前に帰ってしまおうという腹なのだろうか。
…とにかく変な猫だった。
ふと空を見上げれば、満月に程近い白月がある。
月の満ち欠けや引力は人に密接に関係しているというが、月は全てのものに等しく平等だ。
あれほど輝いているにもかかわらず、常人には見えないものがざわめきだす。
この能力も例外じゃない。
月が満ちていくほど感覚は鋭くなり、月が欠けていくほど弱まる。
きをつけねばおまえのようなにんげんはとりころされるぞ
ふと猫又様の言葉を思い出して、外に何もいない事を確認してから早足で帰路に着いた。