第05話 ぼろぼろさん、助けてくれる
「いやあ助かった助かった、本当にありがとう」
レントが何度もお礼を言って、ぬれた靴を脱いで乾かし始めました。
「しかし、口がきけないのでは、あんたをどう呼んでいいのかわからなくて困るなあ。せめて、顔を見せてくれないかね」
レントが頼んでも、ぼろ布をかぶった相手は首だろう場所を振るばかりです。
困っているようにも見えます。
「どうれ」
相手の返事を待たずに、レントはぼろ布のすそをつまんで、めくりあげようとしました。
そのとたんに、悲鳴をあげました。
「ひゃっ! だ、だめです、エリーレア様も、いけません、これは、呪いがかかっています!」
「なんですって!?」
「さわったとたんに、ものすごく、いやな感じがしました! このぼろ布を外すことができないように、誰かに呪いをかけられたのです!」
「何ということでしょう……おかわいそうに」
「もしかすると、口がきけないのも、呪いのせいなのかもしれませんね。ひどい話だ。こんな呪いをかけるなんて、とても悪いやつだ」
ぼろ布は、気にするなというように体を揺らしました。
それから動き出して、また船に飛び乗っていくと、積まれていたものを色々とあさって、食べ物を見つけ出してきました。動きはけっこう軽やかです。また、中にいる人はけっこう背が高いようです。
すぐに陽が沈んで、あたりは暗くなりました。
ぼろ布が先に火をおこしていてくれなかったら、困ったことになっていたでしょう。
エリーレアはあらためて礼を言いました。
「ええと、はいなら首をこう縦に、いいえなら横に振ってくださいね」
ぼろ布の、首だろうところが縦に振られました。
「あなたは、あの船に乗っていた、船乗りたちの仲間ですか?」
横に振られました。いいえということです。
「わたくしたちと同じ、客として乗っていたのですか?」
いいえ。
「ええと……」
どういうことかわからなくて困ったエリーレアに代わって、レントが聞いてくれました。
「もしかして、勝手に乗りこんだんじゃ?」
はい。
「なるほどなあ。確かにこの見た目だと、荷物にまぎれていても、だれも気がつかないものな。それに声を出せないんじゃ、乗せてくださいと頼むこともできない。仕方ないか」
エリーレアはいけないことと思いはしましたが、この人が勝手に乗っていてくれたからこそ助かったので、とがめるわけにもいきませんでした。
「川を越えて、西へ行こうとしていたのですか?」
はい。
「どこか、行きたい場所があるのですか」
これには、首を横に――いいえ、と答えました。
「目的地がない?」
「どこかに呪いをとける人がいないか、探して回っているのではないですかね」
レントの言葉に、はいの動きをされました。
「そういうことですか……」
エリーレアは考えてから、言いました。
「では、一緒に来ませんか」
ぼろ布が、おどろいたように揺れました。
「わたくしたちは、西のタランドンへ向かっています。タランドンは豊かで広い領、その中心の街はこの国でも都のつぎに大きなところ。そこになら、その呪いを解いてくれる魔導師がいるかもしれません。わたくしたちには目的がありますので、最後までご一緒することはできないかもしれませんが、途中まででも、いかがでしょう? お話のできないあなたの代わりに、色々なお手伝いをさせていただきますよ」
「ちょ、ちょっと、エリーレア様!? こんな、どこの誰かわからない、呪いなんかかけられてる者と、一緒だなんて!」
「危ないところを助けてもらって、船をつなぐのもやってくださって。それなのにお礼もしないだなんて、そんな恩知らずなまねはできません」
きっぱりエリーレアは言うと、ぼろ布にしっかり向きました。
相手がどのような身分なのか、何者なのかは、エリーレアにとってはどうでもいいことでした。
大切なのは、してもらったことに、きちんと感謝し、お礼をすることです。
「いかがでしょうか。わたくしたちと、ご一緒するのは?」
ぼろ布は、考えているのでしょうか、ゆらゆらはしましたが、はいともいいえともわからない動きしかしません。
と、ふらりと、横を向きました。
顔は隠されているのですが、ぼろ布の動きでそうとわかりました。
日が落ちて暗い、その向こうから……。
「おーい」
弱々しい声がして、ずぶ濡れの男が現れました。
見おぼえがあります。一緒に船に乗っていた、客のひとりです。
「か、川に落ちて、何とか、岸に、泳ぎついたんだが、暗くなってしまって……火が見えたので、誰かいるのかと……うう、寒い」
冷たい水に落ちたのです、歯の根があわないほどにふるえていました。
「ああ、船がある。ありがたい。俺の荷物もそのままあるぞ」
男はぬれた服を脱ぎ、着替えを身につけて、やっとひと息つきました。
「他の方はご無事でしょうか?」
「悪いけど、わからない。自分のことでせいいっぱいだった」
「ご無事でいるのを、風神さまにお祈りするしかありませんね……」
「それよりも、気をつけた方がいい」
男は真剣な顔で言ってきました。
「あの船乗りどもは、泳ぐのもじょうずだ。何人か、岸にあがって、この火を見つけて近づいてきているかもしれないぞ」
「そうですね。きょうぼうな獣だって出るかもしれません。みんな眠ってしまうことはしないで、誰かが見張りをすることにしましょう」
エリーレアたちは見張りのじゅんばんを決めました。
そこで気がついたのですが、あのぼろ布の人物が、いつの間にかいなくなっておりました。
声をあげて呼ぼうにも、名前がわかりません。
「みっともない姿を見られたくないと、隠れてしまったのかもしれませんな。おーい、ぼろぼろさんやー、ここにはあんたを笑う人なんか誰もいないぞー、出ておいでー」
「レント、そのぼろぼろさんというのは何ですか?」
「ああ、ぼろぼろの布をかぶっているので、何となく」
「ちょっとひどくありませんか? もう少しましな名前を考えてあげてくださいな」
でも他のいい名前も思いつかないまま、夜は更けてゆきました
ぼろぼろさんは現れないままで、仕方なく、三人がそれぞれじゅんばんに眠ることにしました。
船乗りたちも水にぬれていますから、寒いはずです。
もし襲ってくるのなら、三人が眠ったと見た途端に、でしょう。
ですので、いちばん強いエリーレアが、最初の見張りをすることにしました。
馬の側で、眠ったふりをしながら、ずっと起きていて、真っ暗な中に流れる川の音と、木々のすきまに少しだけ見えている星を見上げました。
できるだけ早く西へ、カルナリア姫さまのところへ駆けつけたいのですが、ここがどこか全然わからず、真っ暗な中ではどうすることもできません。
(カルナリア姫さま、必ずエリーが参りますから、それまでどうかご無事で)
幸い、誰もおそってくることはなく、途中でレントを起こして交替してもらい、エリーレアも眠りにつきました。
あらそう物音で目が覚めました。
人がわめく声。苦しげな声。動く気配。
「エリーレアさま!」
レントの声に、エリーレアは飛び起きました。
夜明けの、少し前です。川向こうの夜空が白んできて、わずかにまわりの様子が見える、ぐらいの頃合い。
相変わらず船がつながれ、ゆらゆらしているその向こうの、川べりのどこかから、うめくような、叫ぶような、人の声が聞こえてきました。
「あの客のひとに見張りを交代したあと、私も休んだんですが、おかしな感じがして目がさめまして。ほら、私はおくびょうですから、危ないものにはびんかんなのです。すると、あの声が……」
エリーレアはまずまわりの気配をさぐって、あやしい感じがしないことを確かめてから、剣に手をかけ、そろりそろりと声の方へ近づいてゆきました。
大きなものがもがいていました。
船乗りです。
それも、ふたり。
「ぐええ……!」
「たすけてくれえ……!」
ひとりは、川べりに太い枝を張っていた木の下で、体じゅうにぐるぐると縄を巻きつけられたひどい姿でぶらさげられ、もがいていて。
もうひとりは、まっすぐに伸びる木の幹に、背中をつける形で、こちらもぐるぐると縄を巻かれて、動けなくされていたのでした。
「おとなしくなさい。おかしな真似をすれば、本当に切ります」
剣を手ににらみつけながら、エリーレアはひとりずつ助けてやって、レントがあらためて後ろ手にきちんとしばりあげました。
「何が起きたのですか」
船乗りたちは、かんねんして、話しだしました。
「俺たちは、岸に泳ぎついて、川べりを進んできて、船とあんたらを見つけた。あんたが寝たふりをして待ち受けているのはわかってたんで、寝るのを待って、おそおうとしたんだ」
「そしたら、いきなり、後ろから縄をかけられて、気がついたらもう木に縛られていて」
「俺は、輪にした縄に、手首をつかまえられて、ひっぱり上げられて、そこにさらに次から次へと縄を投げかけられて、何もできなくなっちまったんだ」
エリーレアはレントと顔を見合わせました。
「罠がしかけてあったようですね。レント、あなたですか?」
「いえ、そういうのは割ととくいですが、これはちがいます」
「何か変な、ぼろ布のかたまりみたいなのが、木から飛び降りて……その勢いで、俺は引っ張り上げられたんだ」
船乗りの言葉に、誰がやったのかわかりました。
「あの方が、守ってくださったのですね」
「確かにこの縄は、あの船にたくさん積んであったものですねえ」
「また助けていただいてしまったのですね。どこへ行ったのでしょう。探してください。あらためてお礼を申し上げなければ」
そこへ、馬のいななきが聞こえてきました。
あの客の男が、エリーレアと、レントの馬も、つないであった縄をほどいて、片方に飛び乗って、逃げようとしていました!
「悪いな、俺の荷物、ほんとうは川でなくしちまってよ! 無一文なんだ! 西へ逃げるにしても、この馬なら高く売れるぜ! あばよ!」
「悪いやつだったのか、あいつ!」
レントが走り出しましたが、馬はもう木立の中へ入っていってしまって、人の足で追いつくのは無理でしょう。
「なんてこと!」
エリーレアも、ひどいうらぎりに腹を立て、できる限り後を追いかけてやろうと決めました。
でも、その前に、木立の向こうから悲鳴が聞こえてきました。
「ぐえっ!」
駆けつけてみると、木と木の間に細い縄がぴんと張ってあって、それに引っかかった男が馬から落ちて、気絶していました。
そしてそのかたわらに、ぼろ布のかたまりが立っていました。
「ああ、また! ありがとう、ぼろぼろさん! ありがとう!」
レントは感激しながら、のびている男を縛り上げました。
「本当に、どのようにお礼を申し上げたらよいか……」
エリーレアも、ていねいに礼をしました。
ぼろ布は、また返事の代わりに身動きをしました。
今度は川の方を示します。
見ると、水面に、灯りが見えました。
夜が明け始めてすぐに、船着き場の人たちが、探しに出てきてくれたのです。
エリーレアは来てくれた人たちに、裏切り者の船乗りたちと盗人を引き渡しました。
「いやあ船が無事で助かったよ。こいつらにはきちんと罰を受けさせる。それであんたはどうする。一緒に戻るかい?」
「できるだけ早く、西へ向かいたいのですが」
「だったら、このまま行くといい。この森を抜けた先に小さな村があって、道が街へと続いているから、そのほうがはやい」
「ありがとうございました」
エリーレアは取り戻した馬の鼻面をなでてやってから、ひらりとまたがり、出発の準備を整えました。
レントも自分の馬に乗り――。
「ぼろぼろさん、私の後ろでよかったら、乗っていくといい」
小柄なレントは、そうすすめました。
レントの馬は、エリーレアの馬のように速くは走れませんが、がんじょうなのです。
ぼろ布は、船から飛び出したときと同じように軽やかに、レントの後ろに飛び乗ってきました。エリーレアより背が高そうなのに、見事な身ごなしでした。
そして、二人は川を離れ、森に入っていったのですが――。
「エ、エリーレア様、たいへんです!」
レントがいきなり言い出しました。
「どうしました?」
「この、ぼろぼろさん――女の人です!」
レントは、ちょっとだらしのない顔をして、頭を真後ろのぼろ布に押しつけていました。
ぼろ布の、その内側に、女の人のふくらみがしっかりあるのがわかりました。
「レント、降りて歩きなさい」
ようしゃなくエリーレアは言いました。