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涙 僕と妻の結婚生活28年と2日

作者: 花 美咲

僕と妻・チエの、結婚生活28年と2日の物語です。突然結婚生活に終幕を迎えた僕の行動日記と言っていいのかも知れません。

一生涯、死ぬまで、忘れる事が出来ない悲しい記憶、残りの人生、悲しい記憶とともに、生きて行く決意の表れなのかも知れません。

最初に言いたいのですが、僕が執筆する理由が2つあります。まず1つは妻の生きた証しをこの世の中に刻みたかったのと、妻を亡くしたのに涙すらでない、心にポッカリと穴があいているのに、何故なんだと・・

執筆中、涙を流す事が目的、僕が執筆するもう1つの理由です。

執筆を始めた最初は心にポッカリと穴があいた状況で現在進行形状態・・

涙がでれば僕が、妻のいない新たな生活のスタートラインに立てる気がするんです。

人生、思いがけないことが起こるものです、僕の人生にも、思いがけないことが起こりました。この話をします、僕の結婚生活は、令和2年12月6日午前10時12分に、28年と2日で突然の終幕を迎えました、僕は48歳、妻・チエは53歳の出来事です。自宅賃貸マンションに夜勤仕事が終わって帰宅すると、無反応の妻・チエが布団の上で倒れていました。

妻・チエは、人工透析患者の障害者手帳1級所持者です、生活習慣病からの人工透析患者になったのではなく、両親からの遺伝で多発性嚢胞腎と言う腎臓の病気を、新婚生活の途中に発症して患っていました。

結婚生活の75%以上は、夫婦で多発性嚢胞腎と言う病気との死闘でした。人工透析患者生活の年数を重ねる度に、週3日の人工透析と週6日の抗生物質の点滴時間が増大していった。また、腎臓が正常に機能しないと言うことは、いろんな病気を誘発するのでしょう。特に胆石に関しては苦しめられた、3ヶ月おきに胆石が悪さをして入院、手術をして、2週間くらいで退院する、そしてパターン化となってしまう、また血液に、簡単に言うとバイ菌が血流に流れだす症状も増えたので、当然、抗生物質の点滴も回数が増える事となる。

子供もあきらめて、食事にも気をつけて、血圧の上昇や下降にも気をつける。どんなに努力を積み重ねても、ただ・・ただ、日々弱っていく妻・チエ、何気ない段差で転倒、腕の骨にヒビが入った事もある。とうとう・・お茶のペットボトルのフタを自分で開ける事が出来なくなる、僕は妻・チエのサポートに徹した。

友人と遊ぶ事も辞めて、ただ・・ただ、サポートに徹した。

生きて欲しいと願い、サポートに徹すれば妻・チエの寿命が延命されると勝手に思い込んでた節はありました。

話を戻します、布団の上で動かない妻・チエを発見、直ぐ様にスマホで救急車を呼ぶ、結婚生活28年と2日の間に救急車を呼んだ回数は覚えていないくらい多い、でも毎回、原因は心不全、ICUに入室したこともあります。

スマホの向こうから心臓マッサージの指示、指示を受けながら心臓マッサージを施す、直ぐ様、救急隊員が5人か6人くらい到着、救急隊員の言葉・・

(AEDをはやく・・)

妻・チエの心臓が止まっていると自覚した瞬間である、救急隊員に慌てないで救急車に乗りましょうと悟られた。

かかりつけの病院に到着、住んでいる自宅賃貸マンションから病院までは車で約10分くらいだ。

この自宅賃貸マンションに、住居を構えた理由は単純明快、妻・チエのかかりつけの病院が近いからだ。救急車到着、救急外来に入室、いろんな処置が始まる。妻・チエの主治医に呼ばれる、血圧を上昇させる薬を投与するも効果なし、なんせ心臓が止まっている、なす術がないといわれた、僕は主治医に声を震わせながら言った。

「やれるべき事はすべてやってください、それでダメならあきらめます。」

そして、あきらめなければならない時が来た、令和2年12月6日午前10時12分、妻・チエ永眠、享年53歳、死因は誤嚥性肺炎、多発性嚢胞腎と言う病気を患っていた妻・チエが誤嚥性肺炎、そうだ、最近、服用する飲み薬を飲みにくそうにしていた。妻・チエは、服用する時には気をつけていたはず、それなのに・・何故・・僕の心にポッカリと穴があいた瞬間です。

現実味のない出来事だからなのか、涙が一滴もでません。

病院から妻・チエの遺体が葬儀屋の遺体安置所に移されて、妻・チエの遺体と対面しても現実味のない出来事と捉える。

妻・チエなのに、妻・チエではないと・・

火葬場に行き、妻・チエの遺体が火葬されて骨になり骨壺に骨を納める瞬間も現実味のない出来事、小さな骨壺に様変わりした妻・チエを眺めても涙が出ない、現実逃避が涙のでない理由と捉える。

骨壺と一緒に、自宅賃貸マンションに戻る。

骨壺に様変わりした妻・チエに、僕が最初に語りかけた言葉は・・

「帰ってきたぞ、お前は天国でクキばーちゃんに会えたか。」

クキばーちゃん・・妻・チエにとっては祖母なのだが、母親でもあるのだ。

妻・チエの育った環境は実に複雑なのである、

妻・チエを出産した実の母親・久惠は20歳で、妻・チエを出産した。しかしすぐ離婚をしたと、僕は、クキばーちゃんから聴かされていた。

僕は、クキばーちゃんから、妻・チエの生い立ちをいろいろ聴いた。妻・チエは、父親方の家に残されていて、クキばーちゃんが孫の妻・チエの様子を見にいくと、父親の母親の背中に、ま反対でおんぶされていたと、幼児虐待じゃないかと素直に思った。

栄誉失調だ、戸籍がない、孫がこのままここにいたら殺されると判断したクキばーちゃんは、孫の妻・チエを養女として引き取り、実の母親・久惠の妹として戸籍を作った。

何故、実の母親・久惠の娘として戸籍を作らなかったのかは、妻・チエが死ぬまでには答えはわかった。

ご老体ながら、生活保護を受けながら、妻・チエを一生懸命育てた、クキばーちゃんの計らいなのである。

実の母親・久惠の性格を見抜いた結果と言っていいだろう、実の母親・久惠は離婚後、長崎県に移り住み、再婚はしていないが子供を2人出産している。

無論、僕は、妻・チエの、その異父兄弟に会った事はない、妻・チエの発言では、

その後も妊娠はしたが、流産もあると、実の母親・久惠の人生を笑って説明してくれた経緯もあります。

最終的には、実の母親・久惠は、愛知県岡崎市に移住、認知症発症で老人ホームに現在も入居している。最後に、出産した娘・しおりに、世話をしてもらいながら余生を過ごしている。

妻・チエと、実の母親・久惠が最後に出産した娘・しおり、年の差は13歳、僕は、しおりと言う女性とは2回、お会いしたことがあります。

「母親・久惠が認知症だし、コロナ禍の為に、葬儀には参加できませんので、代わりに娘である私が、代理で葬儀に参加します。」

「遠路はるばる、遠いところから御苦労様です。」

葬儀で、最初に交わした僕としおりの言葉である、しおりと言う女性は、僕にとって本来は義妹に該当するわけだが、戸籍から考えると違う、実にユニークな話である。

妻・チエと、実の母親・久惠が最後に出産した娘・しおりとは、実の母親・久惠が取り仕切った、キクばーちゃんの葬儀で、交流を持ち、スマホで電話連絡する仲になっていると、妻・チエから聴いていた。

なんだかんだあっても、実の母親・久惠の認知症を心配して、本来なら妹となる。しおりの相談相手になっているんだな。

妻・チエは優しい奴だなっと、感心する程度だった。

元々、妻・チエは誰にでも優しい性格の持ち主である、キクばーちゃんの負担を考えて中学卒で社会に飛び出す、このご時世、中学卒では給料なんて雀の涙、貧乏でも常に笑顔で周囲には優しく、そんな妻・チエだからこそ、僕は始めて会った瞬間、一目惚れをしたんだと今更ながら思う。

出会いは、僕が18歳、妻・チエが23歳の時、最初のデートは、ディズニー映画(美女と野獣)観賞だった。

当時、僕は、妻・チエに言った事がある、最初のデートだから指定席を買ったとかじゃなくて、映画は良い席で観ないと意味がないと伝えた、指定席で映画を観賞した事がない妻・チエの挙動不審が面白くてポップコーンとコーラを持って更に言ったことがある。

「ポップコーンとコーラではなくて、あんぱんと瓶牛乳一本を半分ずつ分けよう」と言われたらどうすると・・

妻・チエの反応は・・・

「全然平気よ、大丈夫よ。」

僕が、妻・チエに対して、1年365日いつも一緒に居たいと思った瞬間である。

僕の心のなかで、あんぱんと瓶牛乳一本を半分ずつ分けようと言って、了承する女性は、この先たとえ極貧の貧乏生活なっても一緒に居てくれる女性であると、わけのわからない思想を持っていた。

いま振り返ると、理想の女性に出会った瞬間なんだろうと解釈をしている。

世間知らずの若造の推しに負けて結婚してくれたのが、僕が20歳、妻・チエが25歳の時、周囲に結婚を反対されたので、周囲と縁を切って婚姻届を提出、もちろん、結婚式も、妻・チエは、ウェディングドレスも着ていない。

僕は妻・チエに言った、

「ウェディングドレスを着させられなくてごめんなさい」

妻・チエは、僕に向かって言い返す・・

「あなたと常に一緒に居る事を望んだだけだし、それに比べたら、ウェディングドレスを着られない事なんてたいした事じゃないわ。」

夫婦として、最低の新婚生活のスタートを切ったのかも知れん、スタート直後に、妻・チエに多発性嚢胞腎と言う腎臓の病気を発症されても、これだけは言える。

「結婚生活28年と2日、満足した結婚生活だった・・」と・・

では、話を終わります。

あっ、執筆中、泣いたか、泣かなかったのかは内緒にしときます。

だって、僕と妻・チエの2人きりの秘密なのだから・・


皆さんは愛する人に、最後に触れる瞬間を考えた事がありますか?

僕の場合は、心臓の止まった、無反応の妻の身体でした。

普通、愛する人に最後に触れる瞬間なんて考えた事がないと思います。

しかし、考えてみてください。

そうしたら、もっと、相手を労り、優しくなれる。

より良い、愛に満ちた結婚生活が過ごせると思います。

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