追放系ざまぁについての所感
何事においても流行り廃りってあるけれども、昨今のなろうでのブームの一つに「追放系ざまぁ」ってあるよね。
一応説明しておくと。特定のグループから主人公が追い出される「追放系」と、かつて見下したり虐めてきた相手を見返す、もしくは復讐する「ざまぁ」の合わせ技やね。
どちらか一つの要素だけでもストーリーを成立させられるだろうに掛け合わせるということ……ジョグレス進化ですね! 弱いはずがない!!
まあ実際問題物語の根底の部分が広いと、それだけ展開にも幅を持たせられるよね。あまりにもテーマが多すぎるととっちらかっちゃって収拾がつかなくなりそうだけど、二つだけならそんなこともないし。だから、ジョグレス方式はアリだと思うんです。
しかし、あいや待たれぃ! と、声を大にして叫ばせてくれ。
急増する追放系ざまぁ作品をいくつか読んでるうちに、ふとおもったんですたい。
あれ、これおかしくね? と。
一つ例を挙げてみよう。定番の勇者パーティータイプだ。
ざまぁによるカタルシス、爽快感を演出するためには、相手にもそれなりの格が求められる。当然だわな。雑魚をボコボコにしたって弱いものイジメでしかないし、そもそも三下に苛められるような主人公に魅力を感じる人も居ないでしょう。
で、主人公が追放される肝心の理由なんですが、無能の役立たずだと思われていたってのが多い。
その後のざまぁは、主人公が本当の実力を発揮して成り上がり! 好意的に見てくれる人がたくさんできて万々歳!!
これが定番なのだけど、改めて見返してみると結構大きな疑問があるじゃんな。
まずなぜに勇者パーティーのやつらは主人公を侮ってしまったのか。実力者なら普通強さを見極める目を持ってるんじゃないのかい? 四六時中一緒にいてまともに味方戦力の把握も出来ないって新兵かよ。主人公が意図して実力を隠していたとかじゃないと、整合性が取れないよね。
ざまぁして、世間の評判を覆すのもさぁ。無能のレッテルや濡れ衣着せられてもそこまでできるなら、勇者パーティーにいた頃からもっと評価されてるはずだろ。
細かく見ていくと他にも大小様々な突っ込みどころがあってある意味飽きない。けれども、ファンタジーにはファンタジーなりのリアリティーが必要だって強く思わされる。
やっぱりね、良い作品って読者を引き込むんだわ。物語にのめり込み、キャラクターに自然に感情移入させてくる。
そのときに、前述したようなツッコミ満載状態だと冷めちゃうし覚めちゃう。
読者がその物語の中に入って生きているように錯覚すること。これが理想であり、そのためには意思ある人がちゃんと立てるくらいに物語の骨子が頑丈でなくちゃいけないんだ。
つまり、世界観や舞台設定だ。しかしここに気合いを入れすぎちゃうと、作者だけの世界になってしまい、読者がついていけない。ぶっちゃけ、私も何度か覚えがあります。
どれだけ執筆しようと、一読者の心を失ってはいけないんだろうね。
ふと思い立ったので書きなぐってみました。