第9章 拘束と律法
神父ガブリエルは少年との面談の後、ソフィアを書斎に呼んだ。
ソフィアは前々からガブリエルといるとなぜか懐かしい気分になった。
新しく着任した神父は誰にでも分け隔てなく優しく、謙遜で勤勉だった。
教会の職員はもちろんのこと町の人々からもすでに尊敬を集めつつあった。
そしてソフィアはある時から、ガブリエルを見ると尊敬以上の何か特別な感情を感じ始めた。
それは無くしてしまった記憶と何か関係が在るのだろうか。
だがガブリエルの態度を見る限りではソフィアを以前から知っている様には思えなかった。
ソフィアはその感情を言葉で表そうとすると、それは何か暖かく切ない様であり、こそばゆい様で悲しげな不思議な気持ちだった。
そしてごくたまに、ソフィアの胸を小さく痛く締め付けるのだった。
ガブリエルと2人きりでいる時に彼の目を見ると、ソフィアは頬が熱くなるのを感じた。
「ソフィア、先日あの少年に名前を与えることを約束したそうですが、本当ですか。」
その質問は、ソフィアを現実に引き戻した。
『名前を与える』という意味を思い出しハッとしたのだ。
そもそもあんな約束をなぜ軽々しくしてしまったのだろう。仮にも悪魔の憑いた疑いのある少年に。
ソフィアの世界では名前には特別な力が在るとされていた。
世界の創造さえも、闇の中に輝く形のないものを『光』と呼ぶことから始まったのだから。
特に、悪魔と名前については深い拘束力と律法がある。
悪魔と名前についての拘束と律法:
その1: 悪魔に自分の名を名乗ってはならない、あるいは名前を受けてもならない。名前の譲受、交換、または開示は悪魔あるいは人との契約、またはどちらかに隷属するという意味を持つ。
その2: 悪魔払いにおいて、悪魔の名前を入手することは重要であり、儀式の成功率を飛躍的に上げる可能性が在る。
その3: 悪魔に名前を与えてはならない。悪魔あるいは悪魔に取り憑かれている可能性の在る人物への名前の譲渡は重大な宗規違反であり、破門または宗規法廷への召喚が求められる場合が在る。
ざっと要約すると以上の3点に行き着くのだが、それぞれのルールには独特の魔力の拘束力と中央聖教会が定める律法が存在する。
元来、人は神、天使、あるいは悪魔、そして他の種族よりも下位の存在と認識されていたため、実際に悪魔に名前を与えたという事案は非常に稀であったが皆無ではなかった。この様に過去の事案を基にして中央の律法は定められているのである。
「た、大変申し訳ありません!よく考えもしないでそんな勝手なことを。」
「いえ、あなたが彼ととても親しくしていることはきっと良い事です。ただ、名前については色々とややこしくなりますので、儀式が無事に成功した後でと言うのはいかがでしょうか。」
「はい。もちろん仰せの通りに致します。」
ソフィは寛大な神父に感謝した。本来ならこの様な軽率な行動は中央での宗規法廷にかけられる可能性すらあった。
「あと良い知らせがあります。封印の儀式に立ち会って頂ける巡回修道士は、爵位のある悪魔の封印、または戦闘経験もあり、私たちの使用したものより高尚な封印の書を所持しているとのことです。」
「それはなんて素晴らしいんでしょう、神父様!」
「ソフィアの長い献身が報われる様に、僕たちも全力を尽くします。」
ソフィアはきっとガブエリエルへのこの特別な感情は、紳士的で真面目な彼への憧れなのだろうと思った。