第11章 本の行商人
その夜、キャラバンは細い小川の跡が残る川辺に野営を張った。荒野は相変わらず枯れ、少しづつ砂漠に近づきつつある様だった。
ラミエラとバエキエルの2人は先ほどの若い遣いから紹介された本の行商人の天幕にいた。
「天使の名前をつけた旅人が2人とは大層なことですね。」
「さすがに書物を扱う商人は英明だな。だが、間違いだ。この男についているのは堕天使の名前であろう。」
そうラミエラが返すと本の行商人はクスリと笑った。
本の行商人はキャラバンの他の商人たちとは違い、落ち着いて身なりの整った紳士だった。
「えっそうなのか?」
「貴様は自分の名の由来すら知らないのか。」
「だってよう。元々は俺ら番号で呼ばれてたし。この名前だって慣れないもんだぜ?」
バルキエルの口の緩さに苛立ちを隠せないラミエラはイライラしている時の癖なのか腰に携えた長剣の鞘に手をかけようとする。
「そのような機密を人前でいとも簡単に口にするとは、これ以上漏れぬように手を貸してやろうか?」
「えええっ!?イヤイヤ、ラミエラ。俺を斬ったらそれ以上に漏れるもんがあるだろうよ?」
「貴様の鮮血の方がまだマシと言うもの。」
突然訪ねてきた若い2人の問答に呆れながら本の行商人は本題を元に戻す。
「次の到着地、あの町のことについて聞きたいのですね。」
「む、すまぬ。その通りだ。何か有益な情報があればぜひ共有させてもらいたい。」
そして本の行商人はその町についてと封印の書を買い求める修道女について話し始めた。
話している間、ラミエラはこの男がただの顧客以上にその修道女に肩入れしている様子に少し違和感を覚えた。
「器量の良い娘なのです。あのような小さな町よりも、聖都の修道会の方が居心地が良いでしょう。」
「なるほど。その修道女の名前をご存知か?」
「ソフィアと言います。」
そう言うと本の行商人は少しだけ遠い目をするのだった。
ラミエラはそのソフィアと言う名前になぜか聞き覚えがある気がしたが、割と珍しい名前と言うわけでもなかった。
「あのような小さな町では、外の世界との繋がりとは大事なものです。私が少しでも何かの助けになれればと思い、彼女のために封印の書を探し見つけては持っていくのです。」
「じいさん、今回も封印の書を何冊か持っていくのかい?」
バルキエルが尋ねた。
「いえ。今回は一冊も手に入れられませんでした。そもそも封印の書は最近入手すら難しい。あの子のがっかりとする顔を見るには忍びないのですが。」
「もう、その必要はない。」
ラミエラが毅然と言い放った。
「と言うと?」
本の行商人は驚いて尋ねた。
「次は封印の書などではなく娯楽用の書物を彼女が買い求めることができるように、私たちはあの町へ向かっているのだ。」
ラミエラの言葉に行商人は目を細めると。
「なるほど、天使の名前も遠からずという訳ですね。」
「お時間を頂き感謝する。貴殿のような賢者がただの本売りとは思えないな。私にも何か良書を売ってくれないか。旅の途中で読もう。」
ラミエラがそう尋ねると、行商人はおもむろに1つの本を荷物から取り出した。
「貴女にはきっとこの本が気にいるはずです。」
「ありがたい。貴殿の名をお聞きしてもよろしいか。」
「名乗るほどのものではございませんが、キャラバンの連中はフレッドと呼んでくれます。」
ラミエラはその本を受け取ると、2人は本の行商人を後にし自分たちの天幕に戻った。
「ふふ、面白い男だ。」
「ラミエラ、何がだよ?俺にはさっぱり本は分からねえなあ。」
「『神の雷霆』と言う本だ。数百年前に書かれた古い伝記さ。」
「ずいぶん嬉しそうだなあ。何がそんなに面白いのか俺にはさっぱり分からん。」
「お前の無知には呆れるな。グズめ。」
「なんだよう。俺に分からねえ話ばっかりしやがって。」
「『神の雷霆』とはある天使の通り名さ。私と同じ名前のな。かつて『神の慈悲』とまで呼ばれた大天使の堕天したなれの果てと言われている。つまりあのジジイは私も堕天使であろうと言っているのさ。」
「はっはっは。なんだじゃあ、俺らは両方とも堕天使の名前をつけられたってことか?司教様も粋なことするじゃねえか!」
「勘違いするな。そして、一緒にするな。」
「なんだよう。ツレねえなあ相変わらず。」
「司教様が何の意味も無しに私たちに名を与えると思うのか。なるほど私たちの名は能力にも深く関係しているのだ。そもそも貴様はそれを知らずしてどのように今まで詠唱をしてきたと言うのだ。」
そう尋ねるラミエラは寝台に登り、バルキエルの返答には興味がなさそうに『神の雷霆』を開いた。
「まあ野生の勘ってやつ?強そうにガガーッと唱えちゃえるもんよ。才能って言う方が…」
「黙れ。」