第10章 ラミエラとバルキエル
ある荒野に長い黒髪を後ろで一つに束ね、旅用のマントを羽織った女戦士が左手の人差し指と中指を揃えながら印を胸の前で結んだ。
『大気の水よ、『神の慈悲』に従い地に這う獣の道を違えよ。』
そう唱えると、女戦士ラミエラは後方に大きく飛び退ける。腰に細身の長剣を携えているにも関わらず、その身のこなしは軽かった。
すると空中に霧が発生し視界を曇らせる。
霧の中で微かに2対のサソリ型の変異怪物が同士討ちを始めるのが見えた。
「ヒュー、やるなあ!瞬殺どころか自分の手を汚すこともないってかあ!?」
ラミエラの横には大柄でその体格に相応しい大型の剣を背負った男が立っていた。その男も彼女と同じマントを着用しているが、右肩を防具で多い、マントの隙間からは重量感のありそうな胸当てを覗かせていた。
「いつも人任せだな、バルキエル。このグズめ。」
「何だよう。俺の出番なんかなかっただろう?」
逆立った赤毛が印象的なバルキエルはその黄金の瞳を丸く見開いておどけて見せた。
「貴様自身の存在価値が疑われるな。」
「それにしてもよう。この大陸に変異怪物なんて珍しいな。あの怪物の足を見たか?ありゃ馬か牛の蹄の様だったぜ。気味悪いな。」
そうバルキエルが言うと、ラミエラは手を顎に当て考え込んだ。
2人のさらに後方には、荒野を旅するキャラバンの一行が待機している。そのキャラバンは遠目から見ると、小さな村が一斉に移動している様に見える程大きな集団だった。
眼前の霧が晴れると、馬に乗った1人の若い遣いが2人に走り寄ってきた。
「お兄さんたち!毎度助かるぜ!さあさあ、馬車に戻ってくんな。まだまだ道は長いからよ。」
「私はお兄さんではない…」
と小声でラミエラが呟いたのをバルキエルは横目で見てニヤリと笑った。
「お兄さんたち、お目当の村に着くのは後1、2週間ってところだぜ。しかしまた、なんだってあんな辺鄙なところに行くんだい?俺たちだって、水と食料の補給をしなくていいなら素通りするところさ。」
「貴殿の知るところではない。」
無愛想なラミエラを横にバルキエルが焦って取りなした。
「あ、いやいや。ちょっとお前、もっと愛想よくしろよう。俺らだってこのキャラバンの隊長様のご好意で便乗させてもらってるんだぜ?」
「むっ、確かに。ご無礼を誠に申し訳ない。ご好意に感謝する。」
ラミエラは素直に謝罪した。
「はははっ、イイってことよ!旅は道ずれってね。お兄さんたちのおかげで俺らも用心棒代が浮くってもんさ。」
そして2人はその若い遣いと一緒にキャラバンに便乗する旅人用の馬車に戻った。
「まあくれぐれもあの町に滞在するなら教会には近づかないことさ。町外れにある小汚いところで、何でもひどい呪いがあるとか。」
「その話、詳しく聞かせてもらえねえか?」
バルキエルがうって変わって真剣な表情で尋ねる。
「なんでも、その教会に併設されていた孤児が全員死んでしまったとか。あと、着任する神父たちがすぐおっ死んじまうんだとよ。怖い話さ。あっ、でも確かシスターさんたちは美女揃いって聞いたぜ。ほんの10数年前まではのどかで、裕福な商人や貴族が避暑地として滞在する町として盛んだったらしい。今じゃ、廃れちまったもんさ。」
若い遣いはこれからその町に滞在しようとする旅行者に申し訳なさそうに続けた。
「このキャラバンに書物を担当してる行商人がいてな。何でもその教会のシスターの1人が町を通る度に封印の書を買い求めにくるらしい。だからきっと、教会が悪魔かなんかに呪われちまって噂さ。でもそのシスターは飛びっきりの美人って話だぜ?」
バルキエルとラミエラは顔を見合わせた。
「バルキエル、どうやらその行商人に話を聞いた方が良さそうだな。何か良い情報を得ることができるかもしれない。」
「おおっ、飛びっきりの美女の情報だなあ?」
呆れたラミエラはバルキエルを冷ややかに見つめた。
「グズめ。」