お酒寄生虫
「先輩、ロイコクロリディウムって知ってますか?」
目の前の後輩が唐突に言った。
「なんだそれ。薬かなんかか?」
「カタツムリにつく寄生虫です。」
ブッッッ!
俺は食べているものを軽く吹き出しそうになる。
目の前にはエスカルゴがあった。
「お前なあ。食事の席でする話じゃないだろう」
「いいから聞いてください」
後輩は強引に話を進める。
後輩は言い出すと聞かないタイプなのである。
「ロイコクロリディウムは鳥の糞に卵を産みます。糞を食べたカタツムリの体内で孵化し、触覚に寄生します。寄生されたカタツムリは、クルクルとイモムシのような動きをし、鳥に食べられてしまう。と言う訳です。ああ、可哀想なカタツムリ」
なんとも気持ちの悪い話だ。
せめてエスカルゴを食べ終わった後に話してほしかった。
俺は尋ねる。
「それで。飲み会と寄生虫に何の関係があるんだ?」
「そこですよ」
後輩はテーブルに身を乗り出して話し出した。
「あれを見てください」
親指で控え目に左の方を指す。
見れば、部長が新人に向かって無理矢理に酒を飲ませている。
「俺の酒が飲めねえのかあああ!!!!」
部長の声がここまで響いてくる。
おいおい。
もう令和だぞ。
今どきそのセリフはどうなんだ。
俺は視線を戻した。
「で?あれがどうしたんだ?」
「おかしいと思いませんか?」
「コンプライアンス的にか」
「違いますよ」
後輩は顔を近づけると真剣な声色で言った。
「無理矢理にお酒を飲ませようとしていることが、です。考えてもみてください、今どき無理矢理お酒を飲ませても何のメリットもないんですよ。パワハラで訴えられるかもしれませんし、人事だっていい顔はしません。何より部下の評価も落ちます。部長だってそれはわかってるはずですよ。それに」
後輩は続ける 。
「あんなことを言うのは酔っぱらいだけなんですよ。チーズ好きが無理矢理チーズを食べさせますか?お茶好きだって、牛乳好きだって、無理矢理飲ませようとはしないでしょう?」
なるほど、一理ある。
「それにですよ、逆ならわかるんですよ。お酒を飲んでる相手に、無理矢理お茶を飲ませようとしたら、ああ部長は僕の体を気遣ってくれてるんだあ、って彼も思うと思うんですよ。実際はそうじゃなくて、体に悪いお酒をわざわざ飲ませようとするんです。嫌がってるのに」
おいおい、ずいぶんとはっきり言うじゃないか。
酒好きの上司に聞かれたらまずい、と思いながら俺は辺りを見回すが、後輩の声は周りの喧騒に掻き消されて誰も気にしている様子はない。
「まあそうは言ってもだな、酒は上手いし、コミュニケーションの道具にもなるしだなあ...」
「美味しいと思ってるのは酒好きだけですよ。バヤリースとか生茶の方がよっぽど美味しいですもの。コミュニケーションに至ってはほとんど言い掛かりのレベルですよ。あれを見てください」
後輩は指を差す。
指の先では部長が真っ赤な顔で訳のわからない事をわめいていた。
「まあ確かにな」
俺は半分納得がいかないながらも後輩に同意して見せた。
「で?何が言いたいんだ」
「ロイコクロリディウムですよ」
「?...意味がわからないぞ」
「お酒の中にはですね、人間を操る寄生虫がいるんです」
後輩は真剣な顔で言った。
「ああ?そんなわけないだろう」
俺は顔をしかめる。
「ありますよ!今挙げた不可解な行動も全部寄生虫の仕業なんですよ。みんな酔っぱらってるように見えて寄生虫に操られてるだけなんです。酔いが覚めたあと覚えてなかったり後悔したりするのも寄生虫の仕業なんですよ」
そんなはずがあるわけない。
「なんか証拠でもあるのか?」
「ありますよ。見てください」
後輩は部長を指差した。
「目の中に寄生虫が」
「血走ってるだけだろ!あれは毛細血管の中を血が流れてるんだよ!」
「血と一緒に寄生虫が流れてるんです。血なら普段だって流れてるじゃないですか」
...まあ確かに。
「じゃあなにか?お前、このビールの中にも寄生虫がいるのか?」
「いますね」
「そんなことないだろう。そんなだったらもっと問題になってるはずだぞ?なのに、そんな話は聞いたことがない」
「そんなことないです。きっと小さすぎて見えなくて、最近になってやっと発見できたんですよ。でも、今さら規制しようにも世界の上層部に酒好きがいて潰されちゃうんですよ。みんな操られてるんです。テレビもお酒のメーカーからお金をもらってるんで、発表できないんです」
...そんなことがあるだろうか?
でもそう言われると確かに否定はできない。
後輩の言葉は謎の信憑性を帯びていた。
「ええ...そんなん言われると飲む気なくすなあ」
俺は温くなったビールを見つめてみた。
寄生虫とやらの姿は見つからなかった。
............
......
...
。
「先輩、風が気持ちいいですね」
「ああ、そうだな」
帰り道。俺たちは飲み会を早々に切り上げ、二人で歩いていた。
夏も終わりかけていた。
深夜の風が心地よい。
「お前は、ときどき変なことを言うよな」
「寄生虫のことですか?」
「ああ、そうだ。あのあと探してみたけどさ。やっぱり居なかったよ。日本酒は透明だもの」
「目に見えないくらい小さいんですよ。水の分子だってホントはお尻みたいな形なんですよ?透明ですけど」
なんだかなあ、と思った。
「先輩も気を付けてくださいよ。お酒は体に悪いんですから」
そう言うと後輩は手を振って右へと歩いていった。
俺の帰り道は左だった。
「気を付けてかえるんだぞ」
俺は手を振り返す。
「先輩こそ!」
そう言いながら後輩は見えなくなった。
黙ってれば可愛いのにな。
もったいない。
............
......
...
。
俺は家に着くと日本酒を手に取った。
飲み直そうと思った。
と、ふいに後輩の言葉が甦る。
...。
寄生虫か。
俺は少し怖くなった。
酔いのせいかもしれない。
試しに酒を沸騰させてみる。
さすがの寄生虫も熱を通せば死ぬはずだ。
「...不味いな」
煮沸した酒は不味かった。
それに、全然酔わなかった。
...もしかしたら本当に寄生虫がいるのかもしれない。
俺は後輩の顔を思い出しながら、眠りについた。