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第二章 違和感

 五月六日。ゴールデンウィーク明けの初日、陽菜はいつもの朝と同じように由美と一緒に登校して、A組の教室に入る。隣の席に座った由美と授業前のおしゃべり、先生が教室に入ってくる。一時間目は数Ⅲだ。普段と変わらないはず。


でもなにか違う。


微かな違和感。その時点で陽菜には違和感の正体はわからなかった。なにも変わっていない。普段通り。

 昼休みに、いつものように旧校舎の屋上で翔と会って話す。五月晴れだ、なんて気持ちの良い日だろう。でもなにかが陽菜の心に引っかかっていた。なんだろう。自然に黙りがちになる。

「どうしたの、体調悪いのか?」翔が陽菜に尋ねた。

いや、そうじゃなくて気になることがあって、陽菜は翔を見上げながら小声で言った。

「え、なに?」わからない。わからないんだけど私はなにかを忘れているような気がして。陽菜は翔の顔を見ながら尋ねた。なにか翔は気がつかない?

「いや、別に俺はなにも感じないけど」

そう、それなら私の気のせいかもね。大きく深呼吸をしてから陽菜はにっこりと翔に笑いかけた。


 六月二十日。しとしとと雨が降る朝、陽菜はいつもどおり一人で登校する。梅雨入りだってニュースで言っていたな。横断歩道を渡り、桜並木の道を歩く。ふと、陽菜は誰かを探しているような気持ちになる。誰のことを?私はいつも一人で登校する。誰かと待ち合わせをしたりなんかしない。校門を入っていつものようにA組の教室に入る。おはよう、挨拶を友達と交わして自分の席に着く。


普段通りのはず。でもなにかが変わった。


 なにが変わったのだろう、気のせいかしら。そんなことをぼんやりと考えているうちに午前中が過ぎていった。


 翔と会うのはいつも美術部の部室だった。翔は美術部の部長だ。翔は小さい頃から絵が上手だった。いつも陽菜は翔に好きなキャラクターの絵を描いてもらっていた。今でもそれは陽菜の宝物だ。翔の家と陽菜の家は家族ぐるみのつきあいで、翔と陽菜は小学校の頃からよく遊んでいた。学区が違ったので小学校、中学校は別だったが、高校で一緒になった。いや一緒の高校に進学しようと二人で決めたのだ。互いに互いを必要としていて、陽菜は翔と一緒にいると安心するのだった。恋人として付き合い始めたのも自然な流れだった。高一の夏の花火大会の夜に告白したのは翔からだったが、陽菜は二つ返事でそれに応じた。最初から家族みたいなものだったから告白するタイミングが無くてねと、あとで二人して笑った。


「あのね」陽菜はカンバスに向かって油絵の修正をする翔に声を掛けた。

「どうしたの?」翔が筆を止めて陽菜の方を振り返る。

陽菜は翔に思い切って言った。

「なにか私たち忘れてはいけないことを忘れているのではないかしら?」

翔は不思議そうな顔をしてから少し間を置いて言葉を返した。どういうこと?

陽菜は懸命に思い出そうとしていた。なにを思い出して良いのかわからないまま。


 陽菜は翔が筆を持つ指をぼんやりと見やっていると、その違和感の一端が頭をかすめた。

考えるより先に言葉が先に出た。


「翔は陸上部だったはずなのに、なぜ美術部の部長をしているの?」


 翔は慎重に筆とパレットを脇の机に置いてから答えた。

「陽菜、大丈夫か?僕はずっと絵を描いてきたじゃないか。それは陽菜が一番よく知っていると思うのだけど」


陽菜は泣きそうになりながら何度も頷いた。うん、そのはずなんだけど、なにかが違うの。なにかが変わっているの。私おかしいでしょ?全部正しいはずなのに、全部嘘に感じる。

翔が近づいてきて、そっと陽菜を抱きしめながら言った。

「落ち着いて、陽菜は陽菜だし、僕は僕だ。なにも変わっていない。大丈夫だよ」


そう、私は私、なにも変わっていないはず。唇をかみながら陽菜は懸命にそう思い込もうとした。なにも変わっていないはず。


 八月三日。夏期講習の後、陽菜は和彦と駅で待ち合わせをして花火大会に行った。隣町で行われる結構大きな花火大会で、陽菜は和彦と毎年一緒に見に行くのだった。五千発、三尺玉も複数打ち上げられる。河原で打ち上げられるので結構な人出があっても座る場所は確保できた。

 陽菜が和彦に告白したのは中学二年生のときの花火大会の夜だった。二人がキスをしたのもその夜が最初だった。

 小さなござを敷いて二人並んで花火が上がるのを眺めていた。周囲からも歓声が上がる。打ち上げ場所が近いので腹の底にまで打ち上げ音が響く。

「続いては『昇り分包付き八重芯錦菊先紅点滅』です」会場にアナウンスが流れる。


 そのとき陽菜の脳裏に火花が散った。陽菜は思い出した。


私は去年、和彦ではない違う人と花火を見に来ている。私は毎年『翔』と一緒に花火に来ていた。それから私の名字は高橋じゃなかった、大橋だ。私の名前は大橋陽菜だ。


でも翔って誰?夏だというのに冷や汗が出てきていた。花火は続いていたが陽菜は上の空になっていた。和彦が時々話しかけてくるがほとんど返事ができないほど混乱していた。呼吸が浅い、酸素が足りない、私はどうしたらいいの?


「私、ちょっと気持ち悪くなっちゃった」陽菜は隣にいる和彦にささやいた。

「大丈夫?早めに帰ろうか」和彦は驚いてそう答える。

うん、混まないうちに帰りたい。

フィナーレの大玉の連続打ち上げを前に、二人は打ち上げ会場を後にした。


 帰りの電車の中で和彦は心配そうに陽菜に尋ねた。

「もしかしたら、なんかはるちゃんを心配させるようなこと言っちゃったかな」

陽菜ははっと気がついて、和彦の顔を見上げながら首を振った。

和彦のせいじゃない、ちょっと疲れているだけ、ごめんね。

陽菜を心配して和彦は陽菜を家まで送ってくれた。ありがとう。また連絡するね、おやすみなさい。逃げるように陽菜は玄関の中に入った。


 風呂の湯の中で陽菜はようやく一息ついた。落ち着け陽菜、陽菜は自分に言い聞かせた。私は狂ってなんかいない。ただ記憶は記憶だ。なにかが起こっている。正しくないことが起こっている。いや正しい正しくないではない。ともかく私の記憶は操作されている。周囲の人の記憶もすべて改変されている。それも一度や二度ではない。常に干渉を受けている。風呂から上がりベッドの中でも陽菜は考え続けた。思い出せ、なにに私は違和感を感じているのか。それはいつからなのか、思い出すんだ。でも『思い出した記憶』も改変されているものだとしたら?混乱と動揺の中、陽菜は懸命に考えた。いくつかの記憶の切れ端のようなものが脳裏に浮かぶが確証は無い。


 そうだ日記は手がかりになるかも。眠れぬままベッドに横たわっていた陽菜は、午前三時にベッドから起き上がって日記帳を点検することにした。


 この一年の日記を見返してみる。自分の記憶と日記の内容には矛盾が無い。去年の日記はどうか。一昨年のものは?どんどん遡るうちに夜が明けてきた。なにも手がかりは無い。記憶通りの記載がそこにはあった。約五年前の日記を見ながら陽菜は虚脱感を感じていた。思い違いだったのかな。自分で書いた文字をそっと指先で撫でた。


 そのとき陽菜は気がついてしまった。五年前の日記帳と今書いている日記帳の紙の手触りが変わらない。日記帳の紙が新しいということだ。そんなことはあり得るのだろうか?確かに私が書いた文字に見えるし、現在私が持っている記憶とも内容は一致している。ということは、


 日記は改竄されている。陽菜の記憶に合わせて新しく作られたものだ。


 誰がそんなことをしたのか?愚問だった。こんなことができるのは全知全能の「あの存在」以外あり得ない。でもなんのために?


 一睡もしないまま迎えた朝、陽菜は決心した。この嘘を暴いて真実をつかむのだ。私は私を取り戻したい。そして翔や由美がどうなったのかを知りたい。


 陽菜はネットワークを通じて進路相談を学校に申請した。もちろん即時受理された。夏期講習を今日は休む。陽菜は予備校では無く学校に向かった。


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