消えた資産家
警視庁から、田島の住む田園調布までは、首都高を使って三〇分弱である。
田園調布とは、高級住宅街の代名詞的存在で、政界や財界の大物や、会社社長、芸能人などの文化人などが住まいを置く、閑静な住宅街となっている。
城戸は、田園調布までの車内で、何故門川が、田島の自宅へ行きたがっているかを、ずっと考えていた。
すると、門川が、美術に興味のある男で、何枚かの絵を買った事があるという話を思い出して、
「門川君、君は、確か、美術に興味を持っていて、何枚か絵を持っているそうだね。『肥後の鶴』という絵にも興味があって、私についてきたのか?」
と、質問してみた。
「はい、そうです。天野は、私にとって好きな画家のひとりで、『肥後の鶴』という幻の絵画の存在も、知っていましたから」
「それなら、君に質問してみるが、『肥後の鶴』は、三枚合わせて一億五千万円だ。つまり、一枚が五千万という事だが、これは、絵画にしては安いのかね?それとも、高い方なのか?」
門川は、腕を組んで考え込んだ。
「普通にしては、高い方だと思います。しかし、収集家達は、幻と言われていたくらいですから、それくらいが妥当と考えるでしょう」
「そうか。ありがとう、参考になったよ。それで、君から見て、何か『肥後の鶴』に関して知っていることはあるか?」
「実は、今回、私は、興味本位で警部に御一緒したわけではなく、自分なりの疑問があって同行したんです」
「疑問?」
「はい。画家の天野は、三年程前に『肥後の鶴』を描き上げた際、今までの自分の描いた絵の中で、一番の傑作だと気に入って、その『肥後の鶴』に関しては、売り出さないと美術関係の雑誌で天野は明言しています。実際、それが守られて、個展なんかで公開されることはありましたが、売り出されることはありませんでした」
「つまり、人手に渡る事が無かったんだな?」
「はい、そうです。しかし、さっきの南条刑事の報告で、『肥後の鶴』が人手に渡っていることを、初めて知ったんです。一応、私は、先程の美術関係の情報誌を、毎月購読しているのですが―――」
「しかし、絵画が売りに出されることは、何も不審なことではないだろう?画家の天野は、生活が苦しくなったので、渋々『肥後の鶴』を売り出した。おかしい話ではないと思わないか?」
「はい、確かにそうなのですが、幻ともいわれる絵画が売りに出されるときは、もっと、話題になると思うんですよ。例えば、美術関係の雑誌なんかは、競って記事を掲載すると思うのです。実際、『肥後の鶴』の様な、名画と称される絵画の売買について、いろんな雑誌が取り上げていたのを私は見た事があります。『肥後の鶴』に関して、それがなかったのが気になるんです。具体的に言うと、あたかも『肥後の鶴』が、裏の経路で取引されて、世間に知られまいと、何者かが隠しているように思えるのです」
「確かに、なるほどな。今回の事件に当てはめると、細谷と田島は、五か月前に裏の経路を使って、『肥後の鶴』を取引し、それには、世間に知られるとまずい事があって、内密にされているという事か」
「そうだと思います」
「そうなると、天野の死は、事故ではなく事件だった可能性が高くなるな」
「裏経路で取引した事を知った天野を、口封じのために殺害したという事ですか。そうなると、犯人は、田島か細谷になります」
「確かに、そういうことになる。しかし、最近になって、どうやら、二人共事件に巻き込まれた様だ」
「細谷は、田島に殺されたのではありませんか?動機は、仲間割れです。五か月前の裏取引について、二人は揉めてしまい、田島は細谷を殺害。そのまま、警察から逃れるために失踪したという事です」
「確かに、動機については、十分納得できるのだが、それだと腑に落ちないところもあるんだ」
「どこですか?」
「田島も、細谷も、二人とも東京の人間だ。なのに、遥々熊本の阿蘇にまで行って、そこで揉めるというのは、考えにくい」
二人で推理を展開していると、車は、首都高を降りていて、都道二号線を南西に進んでいた。
田島は、東急東横線の田園調布駅の西側の、放射状に区画整理されている住宅地に住んでいる。
辺りはとても静かで、噂通りである。ただうるさいのは、木に留まって鳴く、セミだけである。
家の塀には、緑が生い茂っていて、心落ち着く空間である。
城戸も、こんな所で生活したいと思った。
それにしても、立派な邸宅が並んでいる。その邸宅を眺めていると、田島の自宅前に着いた。
田島の自宅も、周りの邸宅に負けないほど、立派な門構えである。
城戸が、インターホンのボタンを押して、
「警察の者です。田島尚行さんの事について、伺いたいと思い、やってきました」
と、言った。
「どうぞ」
相手がそう返事して、暫くすると、奥の二階建ての三角屋根の建物から、一人の女がこちらに駆けてきて、門を開けてくれた。どうやら、家政婦の様である。
三角屋根の建物に入ると、
「どうぞ、お上がり下さい」
と、中年の女が、礼をして、見た目と同じ、上品な感じで城戸達を迎えた。その女は、田島の妻・明美だった。
そして、城戸と門川は、個人宅にしては、少しばかり大袈裟な応接間に通された。
二人は、ソファに腰かける。ぶかぶかのソファに包まれるような感じになった。
「あなたからの捜索願によると、田島尚行さんが、行方不明になられたそうですね。それは、いつからですか?」
城戸が、落ち着いた口調でそう質問する。
「はい、そうなんです。姿を見せなくなったのは、四日前からです」
四日前と言うと、細谷が殺害された前日である。
「田島さんは、何か要件を言って家を出られましたか?」
「ええ、散歩に行くというので、玄関で送りました。いつも、散歩をする時間帯だったので、普通に送り出したのですが―――」
「連絡は、付かない状態なんですよね?」
「はい、携帯はずっと留守の状態ですし、長野の志賀高原にある、主人の別荘にも連絡をしているのですが、連絡が付きません」
「つまり、別荘にいる訳でもないんですね?」
「どうやら、その様です」
「田島さんが、何も連絡をせずに、数日間家に帰ってこないことはあったんですか?」
門川が、手帳を手にしたまま、明美に聞く。
明美は、目線を城戸から門川に移して、
「いいえ、ありませんでした」
と、答えた。
「姿を消す前に、何か失踪の前兆は見られませんでしたか?例えば、誰かとトラブルを抱えていたとか、心当たりはありませんか?」
「それが、全くないので、困っているんですよ。何故、姿を消すことになったのか、見当もつかないんです」
城戸は、改まって口調で、話し始めた。
「今回、私が、田島さんの家を訪ねたのは、ある殺人事件に関与している可能性が出てきたからです」
「殺人事件?」
明美は、目を大きくした。
「はい。熊本県の、草千里ヶ浜近くの駐車場で、画商の細谷佑大さんが殺害された事件のことです」
明美は、また、目を大きくして、
「その事件なら、新聞で知って、ビックリしたんですよ。何しろ、細谷さんは、うちの主人が、絵画を買い取る際にお世話になっていた画商の方なんですよ。主人が姿を消してから、翌日に知った事件だから、身の回りで不幸が続くな、と気味が悪くなっていたんです」
「御主人は、絵に興味を持たれていたのですか?」
城戸は、知らないふりをして、質問してみた。
「はい、そうですよ。所謂、収集家でした」
明美は、落ち着いた様子でそう言った後、口調を一変させて、
「それで、その殺人事件に、うちの主人は関係しているんですか?」
と、刑事二人に、問い詰めるように迫ってきた。
「まだ、詳しく調べたわけではないので、言い切ることはできませんが、恐らく、関係していると思います」
「どういう形で関わっているというのですか?まさか、うちの主人が、犯人なんですか?」
明美からの質問攻めに遭い、たちまち立場が逆転してしまう。
「それも、調べてみなければわかりません。犯人である可能性もありますし、場合によっては、被害者の場合も考えられます」
「つまり、主人は、殺されているという事ですか?」
「ですから、先ほど言った通り、調べなければわかりません」
明美は、夫について、必死に城戸へ質問した。しかし、夫は、何も言わずに、突然行方をくらましたのだから、無理はないだろう。
「『肥後の鶴』という絵をご存知ですか?」
城戸は、仕切り直すように、そう質問した。
「はい。主人が、五か月前くらいに買った絵が、そんな題の絵だったと思います」
「では、その絵を見せて頂けませんか?」
「その絵が、主人の失踪と関連があるんですか?」
明美は、逆に質問してきた。
「『肥後の鶴』という絵は、細谷さんから買い取った絵だと思います」
「ええ、そうですよ」
「その細谷さんが亡くなり、『肥後の鶴』を描いた画家も、事故で亡くなっています」
「それは、本当ですか?」
「四か月前の話ですが、本当です。阿蘇で、亡くなったそうです。つまり、『肥後の鶴』を描いた画家、そして、『肥後の鶴』を取引した画商が、既に事件・事故に巻き込まれています。『肥後の鶴』という絵の周辺で、事件・事故が相次いでいる事が分かります。なので、『肥後の鶴』を買い取り、所有している御主人も、事件に巻き込まれていることは、十分有り得ると思うのです」
城戸が、そう説明すると、明美も納得したらしく、
「わかりました。その絵は、主人の書斎に飾られているので、ご案内します」
と、言い、明美が、ソファから立ち上がり、城戸と門川も立ち上がった。