『肥後の鶴』
近藤の自宅から、ジャパン交易の本社までは、首都高を使って、三〇分程である。
「細谷が、大金を賄う為に取引したのは、一体どれでしょうか?」
移動中の車内で、川上が、城戸に問いかけた。
「取引の名簿を見てみよう」
城戸は、そう言って、細谷の自宅から押収した、クリアブックを開いた。
細谷の証言によると、細谷が、大金が必要だと言ったのは、五か月前だと言っている。今は、八月なので、三月に行われた絵画の取引に注目した。
名簿によると、三月の取引は二件である。
城戸は、念のため、細谷から絵画を買い取った、二人の人間を調べる事にした。
彼は、携帯電話で、捜査一課に連絡を取った。すると、南条刑事が電話に出た。
「南条君、今から言う、二人の人間を調べてくれないか」
城戸は、そう言って、名簿に載っている名前を読み上げた。
「一人は、竹田雄一、四九歳。住所は、神奈川県鎌倉市由比ガ浜×丁目。そして、田島尚行、六七歳。住所は、東京都大田区田園調布×丁目だ」
そう言った後、
「それと、二枚の絵も調べてほしい。多田雅人作の、『ダイヤモンド富士』と、天野肇作の、『肥後の鶴』という絵も調べてくれ」
と、付け加えた。
そんな事をしていると、車は、首都高を降りて、勝鬨橋を渡り、月島の辺りを走行していた。
一つ運河を超えると、晴海に到着し、ジャパン交易の、本社前で、乗ってきた覆面パトカーを止めた。
入って直ぐにあるカウンターまで歩き、受付係の若い女性に、城戸は、警察手帳を見せて、
「この会社に、木下巴という女性が働いているはずだ。その女性に会って話がしたいのだが―――」
と、言った。すると、相手は、
「少々お待ちください」
と、丁寧な口調で言い、奥の方へ行ってしまった。
すぐ、戻ってきて、
「はい、確かに、当社の秘書課に、木下巴という社員がおります」
と、言って、城戸達を、エレベーターに案内した。
そのエレベーターで、本社ビルの最上階まで上がり、小さな会議室に通され、
「掛けてお待ちください」
と、言われた。
言われた通り、掛けて待っていると、若い女が入ってきた。
「秘書課の、木下巴です」
そう自己紹介して、椅子に座る。
城戸は、彼女を見て、典型的な、今どきの若い女だと思った。化粧をしっかり纏い、イヤリングや、ネックレスで装飾している。外見を意識しているのがよくわかる。香水の香りも、漂ってきた。
「私、仕事を抜けているんです。なので、早く手短にお願いしますわ」
木下は、城戸に向かってそう言った。
「わかりました。まず、あなたは、細谷佑大さんが熊本県で殺害された事を、ご存知ですか?」
城戸は、そう質問した。
「はい、ニュースで見ました」
木下が、肯いてから答える。
「あなたは、その細谷さんと、交際されていたようですが、どうやって知り合われたのですか?」
「友人を通してです。何度か会って、お喋りをしていると、気があって、付き合うことになりました」
「あなたから見て、細谷さんはどんな方ですか?」
「優しくて、とにかく親切な方ですよ」
「細谷さんは、画商をしていたようですが、仕事上でのトラブルなんかを、聞いた事がありませんか?」
「ありません。むしろ、画商においてトラブルは当たり前だ、と言い張っていたくらいですから」
「最後に、細谷さんは、五か月前、大金が必要になったと言っていた様ですが、何か、ご存知ですか?」
「いいえ、全く知りません。今、初めて知りました」
と、木下は、首を横に振る。
すると、川上が、
「すみません、細谷さんと最後に会ったのは、いつですか?」
と、質問をした。
「この前の日曜日、二人で銀座に行った時です」
「ありがとうございました。これで、終わりです」
城戸は、木下にそう言った。すると、木下は、二人に礼をして、部屋を出た。
彼女は、終始表情を崩さす、無表情を貫いていた。
その後直ぐに、城戸と川上も部屋を出て、対応してくれた、受付係の若い女に礼を言った。
そして、ジャパン交易の本社を出て、警視庁まで、覆面パトカーで帰ることにした。
「今どきの若い女は、よくわからんな」
城戸は、車内でそう呟いた。
「警部も、わかりませんか?」
「ああ。木下の場合、ずっと無表情だったから、何を思って、何を考えているのかが全く分からない」
「それに、恋人が死んだにしては、態度が冷静過ぎだと思います」
「確かに、それは同感だ。あまり良い関係じゃなかったのかもな」
細谷が、木下に対して、どのくらいの想いを寄せていたのかわからないが、木下は、細谷に対して、あまり想いを寄せていなかったのかもしれない。
「すると、怨恨ですか?」
川上が、城戸に質問した。
「それも考えられるが、細谷が五か月前に大金を準備していたことも、引っかかる。その件は、今、警視庁の方で調べているから、結果を見極めて、怨恨かどうか判断しよう」
途中で、昼食をとってから、二人は、警視庁に戻った。
その翌日、城戸が捜査するように要請した、二人の人間について、捜査結果が出た居た。
捜査を担当した南条が報告する。
「まず、鎌倉に住む竹田雄一ですが、地元で、サーフショップを経営しています。そして、田島尚行ですが、東洋開発という、大手開発業者の元社長で、現在は退職していて、同社の相談役になっています。ちなみに、田島は、かなりの資産家の様ですね。そして、この田島に関しては、気になる事があります」
「気になる事とは、何なんだ?」
城戸が、前のめりの態勢になって、南条に問い質した。
「この田島には、捜索願が出されているんです」
「捜索願?」
「はい。二日程前に、田島の妻から捜索願が出されています」
「失踪しているとなると、何か事件に関与していそうだな」
城戸は、自分にそう言い聞かせて、
「それじゃあ、失踪した田島が、被害者の細谷から買い取った、『肥後の鶴』という絵について、報告してくれるか?」
と、南条に言った。
南条は、返事をしてから、ホワイトボードに、三枚の紙を張り付けた。そして、報告を始める。
「今、前にあるのが、『肥後の鶴』という絵画です。作者が、自分の故郷に思いを寄せて描かれたという絵で、熊本県の景勝地である、草千里ヶ浜、熊本城、そして、通潤橋に、鶴の舞う様子が描かれています。そして、これら作品は、三つの作品が同じ主題を持つ、三部作になっています。この絵は、収集家の間では、素晴らしい作品だとして、幻と言われるほど、人気の作品の様です」
南条は、報告を終えると、城戸に目を合わせて、
「この『肥後の鶴』に関しても、気になる事があるんですよ」
と、言った。
「今度は、何なんだ?」
「先程、熊本出身と言いましたが、この『肥後の鶴』は、天野肇という画家によって描かれた作品なのですが、その天野は、四か月前に、自宅のある熊本県の阿蘇で、不慮の事故死を遂げていたんです」
「もう、亡くなっているのか?」
「ええ、そうなんです」
城戸は、南条の報告に驚いてしまった。
そんな彼は、今回の事件は、『肥後の鶴』という絵画を軸に起きているのだと考え、整理してみた。
これは、まだ確かではないが、画商の細谷は、大金を賄うために『肥後の鶴』を、資産家の田島に売った。名簿によると、取引額は、一億五千万円だった。三部構成の絵画なので、一枚五千万円という事になる。それが、五か月前の話だ。
その一か月後、つまり、今から四か月前、細谷によって取引された『肥後の鶴』の作者で、画家の天野が、阿蘇で事故死を遂げた。
そして、最近になり、『肥後の鶴』を買い取った資産家・田島が失踪して、熊本の草千里ヶ浜で、その絵画を売った画商・細谷が殺害された。
今考えてみると、三枚の『肥後の鶴』の一枚には、草千里ヶ浜が描かれているが、それは、偶然であろうか。
そして、最近になって、『肥後の鶴』の周辺で殺人が起きていることを考えると、天野の死については、所轄で事故死と判断された様だが、殺人だった可能性も拭えなくなった。
城戸は、あれこれ推理を巡らせる前に、田島の自宅に行き、家族に会おうと思った。
彼は、田島の自宅に行く旨を、部下の刑事たちに伝えると、その中の一人である、門川刑事が、
「警部、自分も、同行させてください」
と、城戸に言った。
城戸は、何故門川が、田島の家に行きたがっているのかわからず、不思議に思ったが、城戸にとって門川は、信頼する部下の一人に変わりないので、
「別に、構わないよ」
と、返事した。
二人は、覆面パトカーに乗り込んで、田園調布へ出発した。