画商
帰京した翌日、城戸は、普段通り、警視庁捜査一課に居た。
といっても、何も事件起きていないので、暇である。
なので、彼は、新聞に目を通しながら、コーヒーを口に運ぶ。
すると、ある記事に興味を持ち、手の動きが止まった。
〈草千里ヶ浜で、男性刺殺死体発見〉
そんな見出しの記事である。
城戸は、直ぐに、山辺が駆け付ける事になった、あの事件だろうと思ったのだ。
その見出しに続き、事件の概要が続いている。
〈昨日、午後2時頃、熊本県阿蘇郡阿蘇市永草で、男性の刺殺死体が発見された。現場は、草千里駐車場の敷地内の、杵島岳・中岳火口へのトレッキングルートの入り口付近で、地元で野焼きなどを行う「牧野組合」の組合員により発見された。遺体で発見されたのは、東京に住む美術商の細谷佑大さん(36)。警察の調べによると、死亡推定時刻は、同日午前2時頃ということで、発見が遅れたのは、人が立ち入らないような倉庫の裏での犯行からであるとしている。背中に、刃物で刺された傷があり、犯人は背後から細谷さんを刺殺したと見て捜査している〉
記事の横に、若い男の写真が載っていた。その男が、被害者の細谷なのだろう。
すると、捜査一課の電話が鳴り、川上刑事が、その電話に対応した。
すると、直ぐに、受話器の送話器の部分を手で押さえて、
「警部。熊本の阿蘇警察署から、山辺という男が、警部に話があると言っています」
と、城戸の方を見ていった。そして、城戸が、自分の机にある電話の受話器を取った。
「もしもし、山辺か?」
「ああ、そうだ。この前は、突然別れてしまって、悪かったな」
「いやいや、あの場合、仕方の無い事だから、別に君が謝る必要はないよ」
「相変わらず、優しいんだな」
城戸は、受話器を耳に当てながら、照れてしまった。
「それで、今日はどうしたんだ?」
と、城戸が仕切り直そうとした。
「実は、あの時、草千里ヶ浜で男の死体が見つかった事件のことなんだが―――」
「今、丁度、その事件の新聞記事に目を通していたところだよ。東京の人間と書いてあったから、身辺捜査の依頼か?」
「当たりだよ」
山辺は、笑ってそう言い、話を続けた。
「それで、新聞で読んだなら、もう知っているだろうが、殺されたのは、細谷佑大、三六歳。職業は、美術商で、住所は、東京都世田谷区北沢×丁目北沢ビル。職場も同じ住所だ。詳しい資料を電子メールでそちらに送っておくから、それを参考に身辺捜査を頼むよ」
そこで電話を切り、城戸は、パソコンに向かっていた小国刑事に、
「熊本の、阿蘇警察署から、電子メールが届くはずだから、それを開いてくれないか」
と、頼んだ。
捜査一課には、何台かパソコンが置いてあるのだが、城戸は、そういったコンピュータ関係については、部下たちに任せきっている。コンピュータには疎いので、うまく操作できる自信がないからである。
「確かに、阿蘇警察署からメールが届きました」
小国は、そういった後、マウスを軽快に操作し、何回かクリックして、画面を城戸に見せた。
その電子メールには、先程新聞でも見た男の写真があった。
名前も、細谷裕大となっていて、それも、新聞と同じである。
住所を確認すると、確かに、山辺が電話で言っていた住所と同じである。
「川上君、阿蘇署から身辺捜査の依頼を受けたんだが、被害者の家宅捜査に行くぞ」
城戸は、川上と共に、細谷の自宅兼事務所へ家宅捜査へ向かった。
下北沢駅の中心部から、少し外れたところに、細谷の住んでいた「北沢ビル」はあった。白いコンクリートでできた、典型的なビルである。
管理人の中年の男に、警察手帳を見せて、細谷の自宅兼事務所を見せてもらった。
間取りは、3LDKである。一人暮らしで3LDKなので、相当裕福な暮らしをしていることが窺える。
実際、いくつかの部屋は、使われずに、物置と化している様だった。
リビングには、綺麗なキッチン、テーブルとイスが置いてあった。
リビングの奥に入ると、その雰囲気は変わった。デスクトップパソコンが一台置いてあり、透明のビニル袋に覆われた、小さめの絵画が何枚か置いてあった。
それを見た川上が、
「いかにも美術商という感じですね」
と、言った。
「川上君、何か、取引先のリストみたいなものを探してくれないか」
城戸は、そう言いながら、机の引き出しを漁り始めた。川上も、同じように、別の場所にある引き出しを漁った。
「警部、ありましたよ」
川上が、直ぐに、声を出し、城戸の元へ、青い半透明のクリアブックを持ち出した。
中は、取引先の名簿になっていて、取引した美術品、取引先、取引額、取引日が、それぞれ書いてあった。
最後は、一ヶ月前に取引が行われている。
「やはり、事件には、美術品の取引が関わっているのでしょうか?」
川上は、その名簿を見ながら言った。
「向こうでの捜査状況はわからないが、たぶん関わっているだろうね。美術品の取引というのは、単価が高く、どうしても大金が絡んでしまうから、事件に発展する可能性は十分にあるよ」
城戸は、そう答えた。
彼は、美術品に興味はなく、どんな世界なのか、正直わからない。しかし、素人では考えられないような金額で取引されるというのは、容易に想像できる。
後ろを振り向くと、管理人がいた。何だか、居づらそうにそわそわしている。
城戸は、そんな管理人に声を掛ける。
「細谷さんは、いつ、この部屋を出たんですか?」
「一昨日に、建物を出るのを、下の管理人室で見ました。それっきりで、帰って来ません」
「細谷さんについて、何か知っていることは?」
川上が、手帳を出し、メモの準備をする。しかし、管理人は、
「細谷さんについては、よく知らないんです。下の管理人室で、出入りするのを見ているだけですから」
と、申し訳なさそうに言った。
川上が、続けて質問する。
「では、細谷さんについて、詳しい方をご存じではありませんか?例えば、仲の良い人とかです」
「近藤という、画家の男がよく細谷さんを訪ねていましたね。近藤雄一という人です」
城戸と川上は、近藤雄一という、画家を訪ねてみることにした。
近藤は、同じく東京都の、渋谷区西原に住んでいるという。小田急小田原線の、代々木上原駅の近くである。
近藤が住んでいるのは、木造の、古びたアパートだった。
城戸と川上が、近藤の部屋を訪ねると、快く中に入れてくれた。
こちらは、1DKで、細谷と比べると、とても狭い間取りだった。
やはり、画家の世界というのは、厳しいのだろうか。一気に大金の入る美術商の様に、甘い世界ではないのだろう。
「細谷の事ですよね?」
近藤が、緑茶を淹れながら、城戸を見ていった。
「はい、その通りです。やはり、もうご存知なんですね?」
城戸が、近藤に尋ねた。
「ニュースで見て、びっくりしましたよ」
「早速、細谷さんについて、質問させていただきます。まず、細谷さんは、美術商をされていたんですよね?」
「はい、その通りです。美術商の中でも、細谷は、絵画を専門に扱う画商でした。私の作品を、よく取り扱ってくれるので、親友になったんです」
「それで、細谷さんはどんな方ですか?」
「真面目で、優しい性格でしたよ。仕事も、うまくこなしていましたからね。でも―――」
「でも、何ですか?」
「金に、敏感というか、律儀というか―――。悪い言い方をすると、金に執着心を持っている節が見られましたね―――」
近藤は、声を小さくしながら言い、
「まあ、職業柄かもしれませんがね。美術商というのは、大金が絡みますから」
と、付け加えた。
「では、細谷さんが、仕事上でトラブルなんかを抱えていただとかを、聞いた事が有りますか?」
城戸は、質問を続けた。
近藤は、考え込んでから、
「聞いたことは、無いですね。細谷は、大金を動かす画商なんて、トラブルはつきものだから、と言って、仕事の悩みは、あまり言ってませんでしたから」
「細谷さんは、熊本県で殺害されました。熊本へは、お仕事ですかね?」
「さあ、私にもわかりません。熊本に行くなんて、聞いていませんから」
「最後に会われたのは、いつですか?」
「先週の金曜日です。自分と、細谷は、毎週金曜日に飲みに行くのですが、その時です」
すると、今まで黙って手帳にメモをしていた川上が、質問をした。
「細谷さんは、ご結婚されていませんよね?」
「はい。両親とも、あまり会っていない様で、孤独に近かったと思いますよ」
続いて、城戸が、質問をした。
「恋人なんかはいないんですか?」
「ああ、そういえば、先々週くらいに、聞いた事が有りますよ」
「詳しく、教えてください」
「ジャパン交易という会社に勤めている、木下巴という女性と付き合っていると、聞いた事が有りますね」
川上が、近藤が言った事を、手帳にメモしていく。
すると、突然、近藤が声を出した。
「そういえば、細谷は、金が必要になったと言ってましたね。それも、大金が」
「いつのことですか?」
「五ヶ月前くらいでしたね。金曜日に、居酒屋で聞きました」
「どうして、大金が必要になったと言っていたんですか?」
「理由は、わかりません。ですが、とにかく金が必要なので、絵を売って、何とか金を集めると言ってました」
「その絵とは、どんな絵か聞いていますか?」
川上が、質問する。
「わかりません」
そこで、近藤への聞き込みは終わった。
二人は、礼を言って、近藤の部屋を出た。
「警部、ジャパン交易に行きますか?」
川上は、アパートの階段を下りながら、城戸に訊いた。
「勿論、行くよ。木下から、話を聞かなければならない。それで、ジャパン交易の本社はどこなんだ?豊洲の近くと聞いた事が有るが―――」
「中央区の晴海ですよ」
「では、そこに行こう」
二人は、再び覆面パトカーに乗り、ジャパン交易のある晴海へ向かった。