突然の帰京
城戸と山辺の注文した、高菜ピラフが、中年の女性店員によって運ばれてきた。
今まで食べてきた高菜ピラフよりも、高菜が多いような気がした。この高菜ピラフにおいては、地元産の高菜が売りであるからだろう。
二人は、直ぐにスプーンを手に取り、高菜ピラフを口に運ぶ。
そして、二人は、会話を続け、十年前の思い出に浸った。
高菜ピラフは、量が少なめだったので、二人共、すぐに食べ終えた。それでも、美味であったのは間違いなかったので、二人は満足した。
会計を済ませると、二人は、やっと阿蘇駅の駅舎を出た。
今日は、今まで室内に居たので、城戸が直接阿蘇の空気を吸ったのは、初めてだった。
東京より、空気がおいしいと思うのは、偶然であろうか。阿蘇は、森などの自然に囲まれているから、空気がおいしいのは必然であると城戸は思った。
「なあ、城戸。若い頃、大観峰によく行っていたよな」
山辺が、突然、そう言った。
確かに、休みの日に、大観峰に行って阿蘇の景色を見渡し、堪能していた記憶が、城戸にはあった。
「確かに、休みになると、よく行っていたな」
城戸が、そう返事をすると、
「大観峰に行ってみないか。ここに駐まっているタクシーを使ったら、行けるだろう」
と、山辺が、一台のタクシーを指さして言った。
「ああ、そうだな」
城戸が、そう返事したので、山辺が、タクシーに乗り込んだ。城戸も、それに続く。
年配の運転士に、
「大観峰まで、宜しくお願いします」
と、山辺が言った。運転士は、短く返事してから、タクシーを発進させた。
タクシーは、暫く国道二一二号線を北上する。
内牧温泉の入り口の手前で、国道二一二号線に沿って、右に折れると、突然、道が湾曲しだして、峠道となった。
大観峰は、阿蘇山を囲む、外輪山から半島の様に突き出した場所にあり、阿蘇の大自然を一望できる。阿蘇山は勿論、その他の阿蘇五岳も顔を見せる。
城戸と山辺を乗せたタクシーが進む国道二一二号線は、外輪山を超えて、カルデラの窪地を抜ける為、峠となっている。
峠を越えると、そこには、牧場がいくつか広がっていた。
そこで、タクシーは右折して、国道二一二号線から、県道四五号線に入った。「ミルクロード」という名がついているのは、この道の周辺に、牧場がいくつか点在するからだろう。
その県道四五号線に入って直ぐ、再び右に折れた。今度は、細い道である。
その道には、荒野と言うのか、枯れた草が広がっていた。まるで、西部劇の舞台の様である。
その道は、大観峰の駐車場に直結していて、直ぐにその駐車場が見えてきた。
運転手は、タクシーを駐車場に駐め終わると、
「お客さんは、観光客か何かかな?」
と、質問した。山辺が、質問に答える。
「まあ、そんな感じですが、どうしましたか?」
「いや、観光で来ているなら、タクシーはここに駐めて、待っておきますよ。どこか行きたいところがあるなら、戻ってきた時に言って下さい。乗せて行ってあげますよ。また、タクシーを拾うのは、大変でしょうからね」
車内のバックミラーを介して山辺を見ながら、運転手がそう言った。
「ありがとうございます。是非、そうさせて下さい」
と、言ってから、山辺は、取り敢えず、阿蘇駅から大観峰までのタクシー代を払った。
駐車場の横に、大きな喫茶店があり、観光客でごった返していた。
そんな喫茶店を横目に、城戸と山辺は、細い歩道を歩いて行く。大観峰の展望台に続く道である。
十年前とは違って、外国人の姿が多く見られた。
途中に石碑があり、その直ぐ先に大観峰の展望台がある。
柵の手前にある、木でできた踏み台の上に乗る。
すると、田んぼが、緑色の絨毯の様に広がっている。緑色と言っても、一色でできているわけではない。それが、パッチワークの様で、いい味を出している。
目線を上に変えると、阿蘇五岳が、堂々と聳えていた。
「十年前と、変わっていないなあ」
山辺が、そう一言漏らした。
「そりゃあ変わらないさ。東京だったら、十年も経てば、建物が建て変わって、様変わりするものだよ。自然は、そんな簡単に変わらないんだ。そこに、偉大な力を感じるよ」
城戸は、阿蘇五岳を眺めながら、そう答えた。
観光客が多いのだが、辺りは、静寂に包まれていた。
城戸は、煙草に火を点けて、口にくわえた。
そんな彼を見た山辺が、
「なんだ、城戸、まだ煙草を吸っているのか?」
と、意地の悪い顔で訊いてきた。
「まあな。酒は、控えることができたんだが、煙草だけは止められなくてね」
城戸は、照れ臭そうに言った。
「そうだよな。俺にも、一本くれよ」
「おい、君も人の事を言えないじゃないか」
城戸は、笑いながら、煙草を一本山辺に渡した。
山辺の口にくわえられた煙草に、城戸が、ライターで火を点けた。
煙草を楽しむ山辺の横で、城戸は、耳を澄ませた。聞こえるのは、車のエンジン音でもなく、空調の室外機の音でもない。鳥の囀りが、遠くから聞こえてくる。
すると、突然、自然の心地よい音とは対極の、電子音が鳴り響いた。
城戸は、つい、驚いてしまったが、山辺の携帯電話からの音だった。どうやら、電話の着信があった様だ。
携帯電話で、通話をする山辺の顔を、じっと見ていた。
そんな山辺の顔が、険しくなっていくのが分かった。
「わかった、直ぐそちらに行くよ」
山辺は、そう言って電話を切った。
「もしかして仕事か?」
城戸が、山辺の顔を覗き込む様にして訊く。
「ああ、その通りだ。草千里ヶ浜で、男の死体が見つかったそうだ」
「それなら、本当に短時間で残念だが、自分は、東京に帰ることにするよ。君は、事件で忙しくなるだろうからね」
「恐らく、そうなるだろうな」
山辺は、溜息をついて、
「それなら、俺は、あのタクシーで、草千里ヶ浜まで行くよ。俺が降りた後に、城戸は、そのタクシーに乗ったまま空港なりに戻ればいい」
と、言った。城戸も、溜息をついてから、
「そうするよ」
と、言って、タクシーの駐まっている駐車場へと戻った。
細い道を、二人は黙って歩いて行く。明らかに、今までよりも空気が重たく感じる。別れが突然やってくる事になったからだろう。
タクシーの運転手は、呑気に煙草を吸っていた。
城戸と山辺の姿に気づくと、さっさとタクシーに戻っていった。
二人は、そのタクシーに乗り込み、山辺が、
「運転手さん、まず、草千里ヶ浜までお願いします。その後に、この人を、熊本空港に送ってくれないかな?」
と、城戸を指差しながら、言った。
「では、取り敢えず、草千里ヶ浜に行けばいいんですね?」
運転手が、そう念を押した。
「はい。そこで、自分は降りるけど、この人を空港までお願いします」
山辺は、そう、繰り返した。
草千里ヶ浜は、阿蘇五岳の一つである、烏帽子岳の北麓の火口跡に広がる、大草原の事である。その大草原にある池は、雨水でできたそうだ。今は、牛や馬の放牧地として利用されている地であり、多くの観光客が訪れ、今や、阿蘇観光では外せない場所だ。
今度は、外輪山を降りるため、国道二一二号線の峠を下る。
阿蘇駅近くにまでくると、今度は、県道一一一号線で、阿蘇五岳周辺の山地を登っていく。
三〇分ほどで、草千里ヶ浜に着いた。
運転手は、草千里ヶ浜から、県道一一一号線を挟んで向かい側にある、大駐車場に入った。
その大駐車場には、何軒かのレストランや、阿蘇火山博物館もあった。観光バスが、何台か並んでいた。
奥を見ると、赤色灯が光っていて、何やら騒がしくなっていた。制服姿の警官や、黄色い規制線が見える。
「何だか、騒がしいな。事件でもあったのかねえ」
運転手が、ハンドルを回しながら、そう呟いた。
「本当だ、何かあったみたいですね」
山辺が、他人事のようにそう言った。
タクシーが停まると、
「ここまでのタクシー代は、俺が持つよ」
と、言って、運転手に代金を払った。
「後は、この人を空港までお願いします」
山辺が、子を送り出す親のような口調でそう言い、
「城戸、今日はありがとう」
と、改まって言った。
「こちらこそ、ありがとう。今度は、あまり間を開けずに会おうと思うよ」
城戸は、噛みしめる様にそう言った。
「ああ。じゃあ、またな」
山辺はそう言って、タクシーを降りて、慌ただしく去って行った。
「それでは、熊本空港に向かいますね」
運転手は、気まずそうに言った。
タクシーは、国道五七号線に出て、西へ向かって走った。
大津市内に入ると、阿蘇市の農村の雰囲気の景色は消え去り、東京でもよく見る、チェーン店が、大きな看板を出して、行列をなしている。
途中で、国道四四三号線に折れると、再び、農村の雰囲気が漂ってきた。
見渡す限りに田園が広がっていて、進行方向右側には、阿蘇の山々も見えた。
長いトンネルで滑走路を超えて、阿蘇くまもと空港に到着した。
城戸は、草千里ヶ浜からの代金を払って、タクシーを降りた。
そして、同僚や、妻の為にお土産を買い求めてから、搭乗手続きを済ませて、羽田へと飛び立った。
城戸には、一〇年ぶりに親友・山辺との再会を果たしたという実感は、さほどなかった。あまりにも別れが早かったからであろう。今度は、間を開けずに阿蘇を訪れ、山辺に会おうと思った。
むしろ、時間があれば、必ず阿蘇へ帰郷したいとも思った。久しぶりに訪れた故郷が、更に好きになった。東京に憧れて、ウキウキで上京した若い自分が、馬鹿らしく思える。