再会
猛暑の真っただ中、警視庁捜査一課城戸警部は、二日の休暇を取得して、旅客機で、大分県へと向かっていた。
大分県で、各都道府県の警察署から代表が集まる、意見交換会が行われるためである。城戸は、その意見交換会に、警視庁代表として出席した。
彼は、会場の大分県警本部の会議室で、東京で多発する外国人による犯罪への対応として、刑事に英語や中国語などを習得させ、ある程度外国人と会話できるようにするという、警視庁での取り組みを紹介した。
その日は、大分市内のホテルで一泊した。
翌朝は、早くチェック・アウトを済ませて、大分駅に向かった。九時三五分発『九州横断特急七二号』に終点の阿蘇駅まで乗車するためである。
城戸は、二日目に、熊本県阿蘇市に向かい、十年ぶりに親友との再会を果たす予定だ。
そんな彼が乗る『九州横断特急』は、大分県の別府駅から熊本県の人吉駅までを、中九州を横切る、豊肥本線を阿蘇経由で結ぶという、文字通り、九州を横断する特急列車である。
しかし、二〇一六年の四月、M七・三の地震が、熊本県を襲った。
その影響で、豊肥本線の肥後大津と阿蘇の間の線路が寸断されてしまい、『九州横断特急』も、別府─阿蘇間での運転のみとなってしまった。
大分駅の真新しい高架ホームに、真っ赤な気動車が入線してきた。これが、『九州横断特急七二号』である。車両は、二両編成だった。
車内は、基本的に、木がふんだんに使われていて、緑色の座席が並んでいる。実に目に優しい見た目である。
城戸が、座席に腰かけて暫く過ごすと、『九州横断特急七二号』は、大分駅のホームを滑り出す。速度は遅いが、エンジンが轟音を立てていて、力強く加速しているのが分かった。
阿蘇駅までに、いくつかの駅に途中停車した。特急停車駅とはいっても、閑散とした駅ばかりだった。
その停車駅を発車するたびに、『九州横断特急七二号』は、エンジンの轟音を立てる。
最近の、日本の鉄道車両と言えば、気動車でも静音性を追い求めて設計されていることが多い。しかし、城戸は、エンジン音は旅情を引き立てるという、料理で言えば、香辛料の役割を担っていると考えていた。それが、無くなってしまうのは、少しばかり寂しい。しかし、それは、旅人としての意見であって、城戸が、通勤通学者として考えるなら、確かに、エンジン音は騒音として耳に入るかもしれない。
城戸を乗せた『九州横断特急七二号』は、阿蘇駅に向かって走っていく。
彼が、阿蘇市で会う予定の親友とは、阿蘇警察署捜査一課の山辺宏一警部である。同じ、警察の人間だ。
そもそも、城戸は、阿蘇の生まれだ。山辺の出身地は、阿蘇市近くの、阿蘇郡産山村である。
熊本県阿蘇市は、阿蘇山の麓に位置する。カルデラの窪地にあるので、周りは外輪山に囲まれている。
阿蘇市は、阿蘇山などから、自然の恩恵を豊かに受けている。阿蘇の天然水、漬物などに利用される高菜、そして、地元のブランド牛・あか牛などが、豊かな阿蘇の自然を、証明しているだろう。
そんな阿蘇で育った、若かりし城戸は、国家公務員試験に合格し、交番や、交通課での勤務を終えた後、熊本の高森警察署で、初めて刑事として捜査一課に配属された。その時、一緒だったのが山辺宏一なのだ。
城戸は、刑事になった喜びで浮かれていたが、良い思い出は、残っていない。辛い思い出ならいくらでも思い出せるという感じである。恐らく、山辺も同じであろう。
新人の刑事が、事件の謎を解いたり、表立って活躍することは、やはり少ない。全く無いと言った方が正しいだろうか。
会議の時に、上司にお茶を出し、書類の整理など、雑事がほとんどで、所謂、下働きというものを毎日こなしていた。
事件の捜査に参加できたとしても、外で、歩き回って聞き込みをするくらいである。当然、足は棒にしてである。上司から、「お前らは、俺らの足となって聞き込むんだ」とまで言われたのが、城戸の頭からは離れない。
そんな時は、山辺と共に熊本市街に出でて、何杯も呑んだ。毎週末、当たり前のように酔っ払った。その時、酒の肴にしたのは、上司への文句だったのは、今でも城戸の記憶に焼き付いている。
それでも、上司の働きを、傍らからではあったが、城戸は、注目して見ていた。その時見た捜査手法は、警視庁捜査一課に配属され、警部になった時も参考にしている。
城戸にとって熊本県は、故郷であり、刑事としても自分を成長させてくれた地であるのだ。
きっと、山辺も、当時の上司に倣って、地元・阿蘇で警部として頑張っているであろう。
そんなことを考えていると、『九州横断特急七二号』は、既に県境を超えて、熊本県に入っていた。
一一時二七分、『九州横断特急七二号』は、定刻で阿蘇駅に到着した。
城戸は、運転席のすぐ後ろの、一番前の扉から、乗り場に降りた。
阿蘇は、避暑地として知られるから、東京と比べると、気温が低いように感じた。
これまで、列車が進んでいた方向を、城戸は、立ち止まって見ていた。
熊本駅に続く線路は、敷いてはあったが、列車が走ることはない。城戸は、細長い、二本の鉄でできた直線に、に感傷的になった。
『九州横断特急七二号』に乗っていた乗客で、乗り場に残っていたのは、城戸のみになってしまった様だ。その城戸も、切符を駅員に渡して、乗り場を出た。
阿蘇駅舎は、ダークな木材で揃えられた、木造駅舎だった。木造だが、どこを見ても綺麗だったので、改装した時に、ダークな木で作られたのだろう。
そんな駅舎の中にあるベンチに、見覚えのある顔の男が腰掛けていた。その男こそ、山辺宏一である。
向こうも、城戸に気が付いたようで、手を挙げた。城戸も、すぐに気が付き、手を挙げる。
お互い、すぐに認識したという事は、あまり変わっていないのかもしれない。
それでも、城戸が山辺を見た時、彼に貫禄がついた様に感じた。少し、太ったのだろう。
城戸は、山辺のもとに歩み寄り、山辺は、ベンチから立ち上がった。
二人は、固く手を握り、握手した。
「山辺、久しぶりだな」
お互い手を握ったまま、城戸がそう言った。
「ああ。遥々東京から、疲れたたんじゃないか?」
「実は、昨日から九州に居たんだ。大分への出張があって、そのついでに、君に会おうと思ったんだ。突然呼び出してしまって、悪かったな」
「こっちは、全然大丈夫だ。阿蘇は、田舎だから、平和なものさ。そこのレストランで、食事しながら、ゆっくり話そう」
山辺が指差した方を見ると、これもダークな木に、『地産地消レストラン あそ』と彫ってある看板がかかっていた。
城戸が、肯くと、二人はそのレストランに入った。
中は、空いていた。店の真ん中あたりにあるテーブルで、二人は食事する事にした。
地産地消レストランという事で、この店の看板メニューは、赤牛のステーキの様である。
城戸は、赤牛のステーキではなく、同じく地元の高菜を使った、高菜ピラフを注文することにした。
店員に、高菜ピラフを注文すると、山辺も同じものを注文した。店員が去ると、まず、山辺が声を掛けた。
「君と会うのは、何年ぶりになるのかなあ」
「十年ぶりだろう。最後に会ったのは、君の結婚式の時だったね」
「そうだったな。その時は、城戸にスピーチを頼んだりもしたな。それで、君の奥さんは元気か?」
「ああ、元気だよ」
「子供はいるのか?」
「まだ、いない」
「それなら、逃げられないように頑張らないとな」
山辺は、笑ってそう言った。城戸の方も、冗談と分かっていたので、微笑した。
「まあ、十年前の君は、女性を怒らせるような男ではなく、どうやら、今もその時と変わっていないようだから、大丈夫だと思うがね」
と、山辺が付け加えた。
「山辺の方はどうなんだ?」
「実は、自分にも、子どもはいないんだ」
そこで、話題が変わった。
「しかし、城戸。今や、君は、警視庁の名警部だそうだな。確かに、若い時も、君は優秀だったよな」
「そんなことはないさ」
城戸は、苦笑して言った。
「それでも、城戸は、馬鹿な俺に付き合ってくれたんだ。その事は、本当に感謝しているよ」
山辺がそう笑顔で言うと、城戸も笑った。しかし、城戸は、表情を変えて、
「でも、自分は、阿蘇で警察官をしている君が、羨ましいかな」
と、言った。
「何故だ?」
「故郷で働けることは、何よりも素晴らしい事だと思うんだ。第一、東京に行ったって、楽しいと思ったら大間違いだ。自然なんてどこにもないし、人間は冷たい人ばかりだ」
「確かに、そうなのかもしれないな」
城戸にとって、阿蘇というのは、かけがえのない場所であった。自然豊かなこの地で生まれ、幼少期を過ごしたのは、城戸にとって、何よりの誇りである。
そして、自分は、大切な時を阿蘇で過ごしたのだと振り返る。人間として成長し、刑事として成長した地でもあるのだ。
つまり、今の城戸は、阿蘇で生まれ育ったからこその人間である。
よく考えれば、こうやって、山辺と共に談笑している事も、自分が、阿蘇で大切な時を過ごしたからなのである。