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わたくしたちは、魔女の居所を突き止めては追いかけ、を繰り返した。
あの魔女は姿を変えるのが得意なやつでね、ある時は民家で老婆、ある時は町中で若い娼婦、ある時は海辺でいかつい兵士……と、様々な姿でわたくしたちを翻弄したよ。勇者は姿を化けた魔女を見分けられる唯一の存在だからね、彼がいなかったらきっと永遠に逃げ回っていたんだろう。
最後は、枯れた木々とあばら家の立ち並ぶ人気のないところまで追いつめた。
いかな悪魔に魂を売り渡した極悪非道な魔女とはいえ、正体を隠し人に紛れることも出来ない場所で屈強な騎士や勇者相手に逃げ切ることはできなかった。苦心の末、とうとうわたくしたちはあれに致命傷を与えたんだ。
だが、魔女が虫の息になったことを確認したその瞬間、愚かにも、わたくしたちは長い闘いが終わったのだと、油断してしまった。
あと一瞬……!息の根を止めてから息をつけば、こんな惨事は起こらなかったというのに……!毎晩思い出しては悔しさとやるせなさに魘されるんだ、なんだってあの時わたくしは……!
あぁ、すまない、ハンカチをありがとう。あなたは優しいな。話を続けよう。
わたくしたちの油断の一瞬の隙をついた、あの性格のねじ曲がった魔女は、腹から出る自らの大量の血と残り灯火ほどになった命をかけて、彼を呪ったんだ。
『可愛い愚かな勇者。わたしを弑したことを生涯後悔させてあげよう。お前の最も大切にしているものをわたしが奪ったら、お前は一体何と言うだろうね?その動じない顔をどれだけ苦痛に歪めるだろうね?ひひひひひっ』
『ライラに手を出してみろ、地獄の底まで追いかけて未来永劫殺し続けてやる!』
『ふふ……お馬鹿な子。名前はもらったよ。術は完成した!』
『なにをっ――!』
魔女の黄ばんだ目がカッと見開かれ、赤く彩られた口が三日月の形に歪に笑んだ後、あれは大声で叫んだのだ。
『よくお聴き?これからお前が愛する娘・ライラに愛を囁こうとすれば、それは全て怨嗟と憤怒の言葉に変わるだろう!その容姿を褒めたたえようとすればそれは全て逆の嘲りと罵りとしてその口から漏れるだろう!その腕にかき抱こうとすれば、突き放し、優しく撫でようとすれば乱暴な殴打に代わるだろう!お前が娘と目を合わせ、その想いを募らせれば、言葉を出すことは到底止められまい!お前の顔もその言葉には逆らえない!言葉通りの表情で娘を罵り倒すのだ!お前も誰も、この世の者はどの者も、どんな手段をもってしてもこのことを他人に伝えることはできない!』
周りの皆が――特に彼が首を刎ねに走りに行く間も、魔女は謳うように叫び続けた。
『ははは!お前はその身をもってして、愛しい娘の身と心をずたずたに傷つけ引き裂くのさ!安心をし?わたしは優しい魔女だから、その娘を死なせはしない。お前が娘への愛を感じられなくなるようなことはしない。二人が永く生きられるよう願ってやろう!ねぇ?勇者。わたしは優しいだろう?ははは、勇者カイリー、お前は娘の憎しみと悲しみと怒りを惜しみなくその身に浴び、自ら死を選べればと願うほどの絶望を一生味わい続けるのだ!娘がお前への憎しみを抱え、怨み深い目で睨みつけ、そのうち視界にお前を入れることすらなくなってもお前はその気持ちを忘れられまい!娘が他の男と幸せになる姿を血の涙を流して見届けるがいい!生きながら狂え!勇者!』
それから彼がその首を刎ねるまで壊れたように笑い転げていたよ、あの魔女は。
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「わたくしたちも、初めは最期の悪あがきだろうと思った。けれど、魔女退治が終わった後、彼がいつものようにあなたへの賛美を口にしようとした途端、その言葉は全て――」
「……私に向けられた言葉と同じようなものになったのですね」
王女殿下がこくりと頷かれる。
「彼は目の玉が飛び出るほど唖然としてその場で固まっていたよ。自ら口に出せば罵倒になってしまうなら、他の者が好きかと問うたらどうなるかと試せば、声がでなくなるのだ。あなたへの好意を伝えるための行動をとれない。口を動かしても言葉が出てこない、あなたを愛していると文字を書くこともできない。ライラという少女が好きか?の問いに頷くことすらできなくなった。……さっき絵を見せただろう?彼が肌身離さず持っていたはずのあなたの絵を、どうしてわたくしが持っているか、疑問に思わなかったかい?」
「そういえば……」
「王都に戻って来てからね、『好きな人は誰か』と訊かれてあの絵を指さすことができるか試したんだ。……そうしたらね、彼はあんなに大事にしていたあなたの絵を引き裂こうとした」
「っ!」
「彼の顔がたちどころに真っ青になるのをわたくしは出会って二年目で初めて見たよ。自分が持っていたらまたあんなことをしてしまうかもしれないから預かっておいてほしいと言われてそれ以来預かっている、というわけだ」
「そう、だったのですね……」
私があげたものならなんでも大事にしまい込んで、生ものすら同じことをして腐らせていたような彼が、私の絵を引き裂こうとしたなんて。
色を失う私を前に、王女殿下は淡々と窓の外の鍋をご覧になりながら続けられた。
「そんなことがあったものだから、わたくしたちも呪いを解くまではなんとかここに彼を引き留めようとしたんだ。お互いのためにならないから、と言ってな。……彼が、そんなわたくしたちや婆様の制止を振り切って『なんとかなるかもしれない、いや、何とかして見せる、俺のライラへの――――っ、とにかくっ、ライラならきっと分かってくれる!』……そう言って村に帰ったのがちょうど一年ほど前だった。……結果は、あなたもご存知の通りだったと思うが」
王女殿下が沈痛な面持ちで膝の上で手を組まれ、低く漏らした。
「こちらに舞い戻って来た彼は婆様の肩掴んで叫んだんだ。『なんで俺を勇者にした!俺はただ彼女と幸せに生きて、一緒に死んでいきたかっただけなのに!それだけでよかったのに!……嫌われてしまえば、楽になるのか……無理だ……ライラに嫌われたら死んでしまう……嫌いになれたらいっそ楽なのだろうに、嫌いになれないんだ。どうやっても。……あぁ、あの魔女が言った通り、俺は狂いそうだよ!』そう言って泣いて泣いて……それ以来彼はずっと部屋に籠っている」
「しょ、食事はとっているのですか!?」
「最低限は食べさせているよ。ほとんど残そうとするのを無理矢理食させている……皮肉なことに、魔女の『生きる』呪いのおかげか、病には至っていないようだ……体はね」
たった一人で、ずっと孤独に戦い続ける彼。
村のみんなに誤解されたままの彼は、今も一人だ。
あれほど生き生きと朗らかに笑っていた彼が、薄暗い部屋の中で一人きりで、生きているのか死んでいるのか分からないような様子でぼんやりしている姿がありありと思い浮かべば、もう堪えることはできなかった。
「なんて!なんて、辛かっただろう……!カイリー!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!分かってあげられなくて、ごめんなさい……!」
「……だがあなたはここに来てくれただろう?それだけでも違うはずだ」
顔を覆う私の耳の近くで王女殿下の声がする。近くで感じる体温と、甘い香水の香りはどこまでも優しく私を包んでくる。
けれど、この人肌こそが彼が一番必要としているはずなのに、とただただ自分の弱さを疎ましく思う気持ちだけが募っていく。
「助かる方法は、あるのですよね……?呪いを解く方法は、見つかったのですよね?私はまた彼に触れられるのですよね?」
私の問いに、王女殿下は今度こそ私から視線を逸らされる。
そして悔し気に強く目を瞑って、低く唸るように仰った。
「……婆様の呪術で、……あなたの『対価』を得られれば、もしかしたら、と言われていた。だが……」
「そんな……」
「ちょうどいい頃合いだね。ちょっといいかい」
立ち上がって王女殿下に縋り付こうとしたその時、足元からしわがれた声が聞こえ、相手を確認する間も惜しんで跪いてその黒くごわついたローブにしがみつく。
「占い師様、嘘ですよね!?私の髪で、カイリーは助けられるのですよね!?」
しかし、占い師様は無情にもゆるりと首を横に振る。
「……残念なことだが、呪いは一部しか解けなかった。勇者の坊主のお前さんに関する呪いは、完全には解けておらん。……他人に呪いのことを言えるようにはなっただろう。が、それ以外は私にも分からん。触れられるかもしれん、があの坊主の口は変わらんだろう。愛を囁けるかもしれん、けれどあの坊主の表情は変わらんだろう。どこが助けられたか分からぬまま……不完全なのさ」
「そんな……!そんなことって――……」
「すまないね……これもあの魔女の呪いに私の力が敵わなかったゆえ」
ひどい、ひどすぎる。カイリーが一体何をしたと言うの?何がいけなかったと言うの。
「だが、同時に思わぬもの――お前さんに聞かせたいものもできた」
「予想外の、聞かせたいこと?」
「あぁ。ややもすると、今のお前さんに聞かせるのは酷なものかもしれんがね」
絨毯の上に崩れ落ち、ただひたすら赤い絨毯の模様を睨みつけたまま硬くて短い毛足を握りしめて俯く私の頭にしわくちゃの手が乗った。
その手の温かさが、ここに来る前に私の頭を撫でてくれた村長のことを思い起こさせる。
村長だけじゃない、カイリーのご両親だって、……誤解が解ければ、私の両親やバレッタや、村のみんなだって。
カイリーのことを待っているのは私だけじゃない。
そうよ、ライラ。こんなことで諦めてはだめ。まだ望みがあるのなら、なんでも縋らなければならないわ。
「――それは一体なんなのですか?」
「勇者の坊主が、村にいた時にお前さんに伝えたかった本当の言葉さ。先ほど対価として受け取った髪……あれは、お前さんと一緒にずっとあったのだろう?……髪に浸み込んだ坊主の本当の言葉が聞こえるようになっている。……聞く資格があるのも、聞きたいと一番に思うのもお前さんだろう?どうするね?」
「……聞きます。聞かせてください」
私は今度こそ顔を上げて、占い師様のがさがさの荒れた、けれど温かい手を取った。
すみません、あと少しのところまで来ていますが、ちょっと疲れたので更新が少し遅れるかもしれません。