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首を動かした時の軽さが、そこにあったはずのものがなくなったことを教える。
切り終わったことを確認して振り返ると、占い師様は、「これならいけるさね」と呟いていた。
「あの、それで、彼のことなんですが――」
「こちらに来んさい。お前さんの勇気ある行動で、ようやく光が見えたのだからね」
「え?あの、占い師様!?」
切り取った私の髪を片手に握った占い師様は、椅子から降りると、小さな体格に見合わない力強さで私を引っ張って小部屋を出た。
見苦しいであろう髪を見せないように慌てて外套を被る私が連れられたのは、大きな広間だった。
昼間の日差しがたくさん入り込む広間には、騎士様方や壁側に控えている侍女の方々が集っており、バルコニーのところに部屋に似つかわしくない大鍋が設置されていた。
「用意はできているだろうね?」
「はっ、申しつけられたものは既に全てこちらに」
「いいね。これだけ日が出ていなければ成功するものもせんよ……夜はあやつの力が強くなるからいけない」
広間まで来た占い師様はそこで私を放置して、騎士様方が用意した鍋の方に向かい、ぐつぐつと煮立っている様子の鍋の中に私の切り取った髪を投げ入れた。
ぼちゃんと重みのあるものが液体に投げ入れられる音と、じゅっと何かが溶ける音、そして人の髪が焼ける嫌な匂いが一瞬だけした。
鍋をかき混ぜる占い師様の傍に、一人の一際美しい佇まいの男性が近づいて声をかける。
「婆様、どうだ?いけそうか?」
「ポヴァ―ヌか、よさそうだよ。少なくとも私たちのは解けそうだ。……だが問題は彼の方だね……なんとまぁ重く複雑なものをかけられたものだ……これに関しては完全には解けなさそうさね。そしてこれ以上、私にはどうすることもできんだろうよ」
「そんな……」
「まぁ、私は私ができることを精一杯やるだけさ……それよりも、そこの勇気あるお嬢ちゃんに事情を説明してやらなければならんよ」
「そうだったな。ようやく『言えるようになった』のだから」
お一人だけ騎士様たちとは違う、金色の縁取りの白い隊服を身にまとった男性――いや、女性が私の前まで歩み寄ってくる。
長い栗毛を一つに束ね、小さいお顔が凛と整ったその方は、きちんと正面から見ればどう見ても女性なのに、一見男性と見まがえるほど堂々としていて、王者の威風があった。
「申し遅れてすまない。わたくしの名前はポヴァ―ヌ・ド・ライアンテ。この国の第一王女をしている」
「王女……様……?」
「そうだ。あなたがライラだろう?」
「も、申し訳ございません!!わ、私は勇者カイリーの――」
王女殿下が名乗る様子をぽかんと見守ってしまってから、自分の不敬に気づき慌ててその場で跪くと、私の肩を王女殿下がお支えになり、私の顔を見てにこにこと顔をほころばせなさった。
「……うん、やはりとてもよく似ている。紛れもなく本人だと分かるぞ。……あぁ、いや、あなたが本物であの絵があなたを模して描かれたものなのだから似ているのは当たり前なのだがな」
「はい?えぇと――」
「すまない。混乱させてしまったな。あなたのことはここにいる皆が勇者の命よりも大事な幼馴染だと分かっているから安心しなさい。あぁ、その外套も取って」
「い、いえ!お、お見苦しいものをお見せするわけには参りません!」
外套のフードを両手で固く握りしめると、王女殿下は、わざわざ自ら跪かれ、桃色の美しい瞳を細めて私をご覧になった。
「どこが見苦しいのか。その髪はあなたのカイリーへの想いの証だろう?誰も馬鹿にはせんし、したものは王族であるわたくしが責任を持って処罰しよう。きちんと話がしたいのだ。いや、あなたにこそお話しなければいけないのだ。彼に起こった忌まわしいあのことを」
王女殿下のお言葉と、その美しい笑顔にほだされ、握りしめていたフードの裾からそろそろと手を下ろすと、王女殿下の白魚のような指が、そっと私のフードを取った。
フードが落ち、短くなった髪が晒されても、その場にいるどの方も何も言わずに私と王女殿下の行動を見守っている。
王女殿下はそれから私の手をお取りになると、わざわざ手ずから椅子まで案内してくださり、そこに座るように仰った。
「先に尋ねておこう。彼はおそらくあなたに考えられないような酷いことをしたのだろう?」
「は、はい」
「それから暴言を吐いて、あなたのことを嫌いだ、憎いと罵った?」
ふざけることもなく尋ねられる言葉に、あの時の彼の表情を思い出して胸が苦しくなることを誤魔化しながら、視線を落として絞り出すように答えた。
「……ぼ、暴言は吐かれましたが、……一度も嫌いだとは……。その望みに縋ってここまで参った次第でございます」
「……そうか。安心してほしい。彼はすさまじい意思の力でそれを口に出さないように堪えたのだ。あなたは今も彼に深く愛されているのだよ」
「どういう……ことでしょうか?」
思わず顔を上げると、王女殿下が優しく微笑んでいた顔から笑みを消し、柳眉をきゅっと寄せられた。
「彼は今、わたくしたちが打ち倒した魔女が死の間際にかけた呪いに苦しめられている」
「呪い……?」
「あぁ。最も大事なものを自らの手で傷つけ続けるよう強制され、そしてそのことを誰にも伝えられないという、恐ろしく下劣な呪いだ。そしてこれは、彼だけでなくわたくしたちにも少しかけられていてね。だからこれまで本人はもちろん、誰も周囲に現状を説明できなかった。婆様だけは分かったようだったがね……それが、あなたの勇気ある行動によって少し解かれたのだよ」
舞い込んでくる新しい情報に頭がついていけず、目を瞬かせると、王女殿下は、「申し訳ない、わたくしも気が急いてしまった」と仰いながら、深く椅子に腰掛けなさった。
「これを説明するためには彼がこの王城に来た時のことから話をしなければならないね。そうだ、彼のことなら心配ない。今はこの王城の一室にいて、本人がそこに籠っている。今すぐ会いたいかもしれないが、そのまま会ってもおそらく村であったことと同じことが起きてしまうだけだろう。……少し長くなるが、わたくしの話を聞いてくれるかい?」
「はい」
王女殿下の前でしっかりと頷くと、王女殿下はカイリーが王城に来た時のことを話して下さった。
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勇者カイリーがここに連れてこられたとき、彼が真っ先にしたことは、剣の稽古をするでもなく、事情を訊くでもなかったよ。
何と言ったと思う?
「絵を描くための布と木炭と水にぬれても落ちない絵の具をください」だったのだよ。
一体何を描くのかと思ったが、こちらも結婚間際だったという彼の日常を邪魔して連れてきてしまった負い目もあって彼の言い分を許容した。
どうやら寝ないで描いていたらしい彼が、数日経って自慢げに見せつけてきたのが、あなたの姿絵だった。
「これだ」
「に、似ていますね……」
「だろう?絵の才能があるのではないかと言ったら、『分かっていませんね、王女殿下。いつも目に焼き付けるようにして見ているライラだからこれだけ上手く描けたのです。いつでもどこでも思い出せるように暇さえあれば貼りついて見ていますからね。あぁ、それにしてもなんであんなに可愛いんだろう、俺のライラは……』と返してきた。それから威張るように胸を張って『ライラと離れている時間が長ければ長いほど俺は萎れていくので、さっさと終わらせましょう』とのたまった。……最初の村での暴れっぷりも聞いていたわたくしたちは、この辺りで分かったよ。『彼は、勇者であるということ以前に普通の人間ではない』と」
「大変申し訳ございません……」
顔を上げなさい。あなたに関することを除けば、彼は極めて優秀だったよ。
武芸の稽古をする一年なんか要らないと言ったときには騎士団長を初めとして騎士たちがいきり立ったが、実際に相手をして全員がこてんぱんにのされてみなさい、誰も文句などつけられない。
そういうわけで、魔女退治の旅も予定の三年ではなく二年で終えられたというわけだ。
旅は彼とわたくしと七人の騎士で行った。
……え?なぜ王族であるわたくしがそんな危険な旅に行ったか疑問だって?はは、わたくしはこの通り、元々一騎士として働いている身で、王位継承権は兄にある。王族の末席に身を連ねるだけの騎士に過ぎないから、責任者という意味で同行していたのだよ。王族がいれば大抵の融通は利くからな。
旅の最中、彼は毎朝起きると自分で描いたあなたの絵姿に口づけし、そして日中は常に肌身離さずあなたの絵姿を持っていて、夜寝るときはそれを抱きしめて寝ていた。口を開けばあなたの魅力とあなたの好きな物のことばかり。昼夜問わず毎日聞かされるものだから、わたくしが諳んじられるほどになったよ。
あぁ、そんなに悲痛な顔をしないでくれ。彼のそういう姿は、恐ろしい魔女に臨むわたくしたちの緊張や恐怖を馬鹿馬鹿しいと思わせ、ほぐしてくれたのだからね。
しかし、その姿は彼の容姿でなければ……いや、彼ほどの容姿であっても、その――変質者と言われても仕方がないようなところがあってね。
そんな彼の様子は、勇者という国の誉れとなる人物に憧れる一部の騎士たちには大不評だったから、同行していた騎士と喧嘩になることもままあったのだ。
とはいえ、彼は勇者。暴れ出したら騎士が数人がかりで止めないと止まらないような手練れだろう?どうやって諫めようかと悩んだ末、
「あんまり暴れるようなら、この旅が終わった後にライラ殿に逐一報告するぞ」
と言ったところ、彼は借りてきた猫のように大人しくなったよ。
ふふ。そのげんなりした顔を見るに、おそらく村でのいつも通りの姿なのだろうね。
少々変わった人物であるということを除けば、彼は紛れもなく勇者としての素晴らしい素質に恵まれていたし、人のいい青年でもあったから、旅も順調だったのだ。
――あの、魔女との最後の戦いを迎えるその時までは。