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 案内された部屋は、カーテンが閉めきられて日光が差さないためか、先ほどまで歩いていた廊下よりもずっと狭く感じられた。その薄暗い小部屋の真ん中には、黒いローブをまとった小さな塊がある。

 この塊のように見える人影が、きっと占い師様なのだろう。


「お前さんが勇者の幼馴染だね」


 騎士様によってドアが閉められたことで、二人だけになったこの部屋にいると、王城の中にいることを忘れる不思議な感覚に囚われる。

 つい、きょろきょろと不躾に部屋の中を見回していると、しわがれた声がした。


「お分かりになるのですか?」

「あぁ分かるとも。この時刻にお前さんが来るから通すように言ったのは私だからね。だから私は知っておるよ。お前さんが勇者の坊主に何があったのか知りたいと思ってはるばるやって来たことも、坊主を連れ帰ろうと思っていることもね」

「そうなんです!教えてください、占い師様、お願いします!」


 勢い込んで頼み込むと、鼻から下しか見えないローブから覗く、しわくちゃな口元が動く。


「ただで物を訊けるなんざ思ってないだろうね?」

「え?」

「当たり前だろう?この世界、無償でやるなんて甘い考えで生きていけるもんじゃない」

「わ、私は貧乏な田舎娘ですが、一生懸命働きます。ですから今すぐにはお支払いできませんが――」

「金が欲しいなんざ一言も言っとらんよ。私が欲しいのはそんなに簡単に手に入るもんじゃない。普通なら手に入らないものだから欲しいんじゃないか」

「……普通なら手に入らないもの……とは、なんですか?」


 首を傾げると、ローブから見える口元がにやりと下品な笑みを作った。


「例えばお前さんの命とか」


 私がひゅっと息をのむと、占い師様はかかか、と笑って続ける。


「まぁさすがに命を奪っちまったら私にも制裁が下っちまうからそんなものは要求しないさ。私が代価として欲しいのは、『奪われたくないもの』さね」

「奪われたくないもの……」

「仮に痛みを感じなかったとしても、目を奪われたくはないだろう?腕を奪われたくないだろう?そういうもんさ。別に肉体だけじゃない。そうさねぇ、例えば心――強い感情でもいいね。あんただったら――そうだ、勇者の坊主のことを愛する気持ちとか……まぁこれは例えだがね。そういうものじゃないと、例え私であっても、お前さんの聞きたいことには『答えられない』のさ」


 答えられない、ってどういうこと?

 占い師様であっても、ということは、彼はもっと答えられない状態にあるってこと?


 疑問に思う私の内心を見透かしているだろうにあえて答えず、占い師様は私に尋ねた。


「さぁどうする?」

「心なんて……そんなもの、奪えるんですか?」


 震え声になる私に、何も答えずに占い師様はただ不気味に笑う。


 気持ちを奪われるなんて意味が分からない。

 冗談だ。そんなことできないに決まってる。


 そうは思っても、彼のことを好きだと想う、恋しいと想う気持ちを失う万が一の可能性があるのだとしたら――冗談でも頷けない。


 そんな私に、差し出せるもの……奪われたくなくて、失ったら惜しいと思っていて、躊躇するような、そんな物。彼への気持ちと同じくらいのものなんてあったかしら?


 考えて、見つけた。――――――あった。あったわ。一つだけ。


 目を瞑って、すぅ、と大きく息を吸って、それから大きく吐く。

 もう一度目を開いた時、私の気持ちは固まっていた。


「占い師様、私の髪はいかがでしょう?」


 外套をぱさりと脱いで、後ろで一つに括った髪を見せる。


「私、彼とは結婚を間近に控えていたんです。花嫁は髪結いをしますから、髪を長く伸ばすでしょう?元々はそのために普通より長く伸ばしていたんですけど、彼が勇者として村を出ると決まった時に、無事に帰ってくる願掛けとして毎日、花の蜜と薬草で作った保湿剤を使って手入れを欠かさず、まとめていた髪です。私の体の中だったら、色も艶も、一番自慢できるところだと思っています。この長旅の最中でも毎日水で洗っていました。それでもまだ埃っぽいと仰るなら、一度洗髪してきます」


 話しながら腰まである髪を結わえていたリボンの端を摘まむ。


「彼もよく好きだと言って撫でてくれました。髪そのものも売れますが……二年間、彼の無事を祈って伸ばし続けていた髪です。彼への想いを毎日籠めておりました。彼を愛しいと思い、無事でさえあればいいと祈った、その心を籠めていました。もちろん、これまで髪を下ろした姿を誰に見せたこともございません。彼に一番に見せて、触ってもらって、……褒めてもらいたいと思っておりました」


 しゅるりと音をたててリボンを引くと、滑らかに、どこにも引っかからずに髪が流れていくのが分かる。

 長く美しく保って伸ばしていた髪を下ろした姿を最初に見せるのは、彼だと思っていた。


「髪そのものと、髪に籠めてきた想いでは、代価になりませんか?」


 しばらくの沈黙ののち、占い師様はからかうような声音を消して宣言した。


「……私は本当に冗談じゃなくその髪を切るよ」

「はい、冗談だとは思っておりません」


 目は見えないけれど、きっとそのローブの下に隠れているのだろう顔と目を合わせるようにしっかりと視線を上げる。


「……その髪が対価だとすると、うなじのところからばっさりと切らねばならん。それでもいいのかい?」


 この国では、女性はどんなに短くても胸元まで髪を伸ばすものとされている。

髪が短い女性は、普通の女性とは見てもらえない。

 髪が極端に短い女性は、髪を売ること――すなわち、女性であることを売らなければいけない人だけ。


 うなじの部分から切られれば、男性とそう変わらない長さになるから、伸びるまでの間、「そういう目」で見られることになる。

 カイリーだって、綺麗な髪がなくなったら私への想いが失せてしまうかもしれない。

 また、もしカイリーが私のところに戻ってきてくれても、最低限の長さである胸元まで伸ばすにはさらに時間がかかるから、結婚が遅くなるということでもある。


 そういう諸々を含めて、それでもいいか、その覚悟があるのかと占い師様が尋ねていることは私にも分かった。


「……確かに大事な髪です。とてもとても大事。……でも、だからこそ、対価になるのでしょう?」

「その通りだよ。よく分かってるじゃないか……それじゃあ交渉成立だね」


 分かった上で微笑んで見せると、占い師様はどこからか大きな鋏を取り出した。

 黒光りする刃から目を逸らし、その前に、と窓に近寄る。


「占い師様、一つだけお願いがあるんです」

「なんだい?」

「カーテンを開けてもいいですか?」

「それくらい構わないが……どうしてだい?」

「窓なら、うっすらとですけど、光が反射して鏡代わりになるでしょう?」


 音を立てて自分の隙間分だけカーテンを引く。

 眩しい日光に目を眇め暫く慣らすと、窓の向こうにぼんやりと、亜麻色の長い髪の女が見えた。


「私のせいで彼のための髪が切られちゃうんです。その切られる様を私が見送らなくて誰が見送るんでしょう?」


 彼の瞳と同じ青空に包まれた亜麻色の長い髪の女が、窓の向こうで微かに笑う。

 その姿だけ目に焼き付ける。


 これが最後じゃないもの。また伸ばせばいいのだもの。

 そう言い聞かせても、彼に見せたかったという思いでじんわりと目の奥が染みてきたので、慌てて目を閉じる。


「占い師様、どうぞ、お願いいたします」


 小柄な占い師様がひょこひょこ近寄って来て、これまたどこからともなく取り出した椅子の上に乗った。

 そして髪に触れ、まとめて根元に鋏の刃を差し込む冷たい感触が首元に感じられた。


「本当に綺麗な髪だね。こんなことに使うのが惜しいくらいの――お前さんの心とよく似た髪だよ」


 心からの称賛だろうと分かる感嘆の声の後に、占い師様が覚悟を籠めるように息を吸う音が聞こえ、そして。


 じゃきんと、耳元で音が鳴った。




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