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すみません胸くそ展開です。
安心してください、この回が最底辺ですよ。
カイリーの言葉に、私だけじゃなく村人全員が凍りつくように固まった。
再会への感動で溜まっていたはずの涙が、感動とは違う理由で頬を伝って冷えていく。
強張って動けない私の代わりに、顔を引きつらせながらカイリーに話してくれたのはバレッタだった。
「か、カイリー、やだなぁ。久しぶりに会って、あまりに綺麗になっているから分からなかったの?彼女は紛れもなく――」
カイリーの肩を軽くたたいた後、私の後ろに回って私をカイリーのすぐ目の前に立たせる。
でも違う。
やめて、バレッタ。やめて。
私には分かる。彼は「忘れているわけではない」。
だって彼の目が。
外れてほしい私の予想は、本人によってあっけなく肯定された。
「忘れているわけじゃない。彼女の名前はライラ。俺が生まれてからずっと一緒にいた幼馴染であることも婚約者であることも分かってる。なんなら生まれて俺がこの村を出ていくまでの経緯も話そうか?俺がどれだけ彼女を――」
そこで一度言葉を詰まらせたカイリーは、くしゃりと顔を歪めて吐き捨てた。
「くそっ、反吐が出る」
「カイリー……?」
「触るな!」
別人になったような幼馴染が怖くて怖くてたまらないのに、それでも苦しそうな表情に反射的に伸ばしてしまった手は、あっけなく弾き飛ばされた。
そしてそのままの勢いで、二年前までは私に優しく触れられていた手が乱暴に私を突き飛ばす。勇者になった幼馴染が何気なくやったであろうそれは、ただの村娘に過ぎない私にとってはあまりに強く、私は地面に倒れた。
「俺の前にその汚い顔を晒すな。二度と」
地に倒れ伏す私を前にしたカイリーの手がぷるぷると震え、それを誤魔化すようにぎゅっと握り込まれるのが見えた。
私を見下ろす瞳には蔑みと憎悪の色が浮かんでいる。
限界だった。
「ライラ!」
走って逃げた私の背に、バレッタや大人たちの声がかかる。
でも一番聞きたい声は最後まで聞こえなかった。
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次の日の朝、泣き腫らした私の目はりんごよりも赤く充血していた。
何度洗顔しても腫れは引かない。結局一睡もできなかったせいで頭もぐらぐらと重い。
家の外に出て井戸から水を汲んでいると、背後で、じゃりと地面を踏みしめるような音がする。
背後に立たれた雰囲気がするのに、ただ立つだけで何もしてこない。
「……なにしに、来たの?」
背後のその人物が誰かなんて、私が一番よく分かってる。
こうして水を汲みに出てきた時に決まって
「ラーイラっ!おはよう!今日もいい匂い~!」
と言って彼は後ろから抱きついてきたのだ。
二年前までは。
問いかけても、無言を貫くその人物に私の怒りと悲しみはあっという間に頂点に達する。
「なんとか言ったらどうなのよ!」
振り返ると、頬に傷あてを貼った彼がそこでにこりともせずに私を見下ろしていた。
あの後、カイリーのお父さんか、うちのお父さんに殴られたんだろうことは想像に難くない。カイリーのお父さんは、私を将来の娘としてとても可愛がっていてくれたし、私にべったりのカイリーの様子に、お父さんに土下座して私をカイリーにやってほしいと言ってくれた人だ。
あんなことを目の前でした息子を殴るくらいの良心を持ち合わせた人だということを私も知っている。
涙の乾ききらない目で睨みつける私に、彼はようやく口を開いた。
「泣き顔だと余計ぶさいくになるんだなと思って」
「なっ――」
「昔から思ってたんだ、なんでそんな地味な顔なんだろうって。見れば見るほど、なんで俺、こいつなんだろうって笑いがこみ上げてくる」
口元に浮かぶ嘲笑に、枯れたはずの涙が湧き上がる。
嘲笑なんてこれまで見たことなかったのに、それにこめられた嘲りがすぐに分かってしまうのだ。
前の彼の顔に浮かんでいたのはいつも明るくて、朗らかで、屈託のない幸せそうな笑顔だったから。
「――最低っ!!」
涙を見せるのが悔しくてたまらなくて、汲んだばかりの桶の水を思いっきりその綺麗な顔にぶちまける。
頭から水を被ったカイリーは、物も言わずに静かにその場で水を滴らせる。
その姿に一瞬自分がしたことへの後悔が浮かんで、そしてそれをかき消すように、私は家の中に駆けこんだ。
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その日から、カイリーの私への嫌がらせが始まった。
目が合えば、その秀麗な顔を歪めて罵倒される。
「貧相な体してんなおい。よくそれで俺に近づこうと思ったな」
「俺に近寄るな、臭いんだよ」
「もう名前呼ぶのも嫌だ、汚い、触れるな」
「思いあがってたんじゃないの?俺がお前を好きでたまらないって」
「お前は昔っから傲慢だったもんな。俺に何でも押し付けてさ。邪険にばっかりしやがって」
「これはその報いだってことくらい分かってんだろ?」……
事情を聞こうと近づけば、露骨に避けられる。
仲直りしようとこちらから近寄ろうとすれば、乱暴に振り払われる。
カイリーが果物を持っていた時なんて、顔に思い切り投げつけられた。
籠にたくさん詰まったベリーは、旬でないものも入っていた。きっと王都からわざわざ持ってきたであろうそれは完熟を迎えており、柔らかい実が私にぶつかって簡単に潰れ、果汁が私の顔から流れて服に染みを作る。
その様を見てまたカイリーが笑う。
カイリーの人格が変わってしまったのかとも思った。
でもカイリーは、自分の両親にも私の両親にも私と同じ扱いをしなかったし、暴言も吐かなかった。
他の村人たちにもそうだ。老若男女関係なく、私以外には友好的とまで言えなくても、暴力を振るうこともなければ、暴言をぶつけることもない。
ただ私の話題について訊かれた時だけ、私へ見せる表情で馬鹿にする言葉を吐き連ねた。
村の他の女の子たちで「お馬鹿で鬱陶しいから自分は遠慮するけど、どこまでも一途だから見ていて羨ましい」と思っていた層は、その様子に落胆を隠し切れないようだった。私と仲のいいバレッタあたりは、絶交宣言までして激怒している。
実は昔カイリーを好きで、この隙を狙おうとするような子も数人はいたようだが、カイリーは首を振って相手にしていなかった。
そんな様子にほっとする自分がいて、変わってしまってもカイリーを好きな気持ちが残っているんだと自覚する日が続いた。
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すっかり変わってしまったカイリーが帰って来てから一週間が過ぎ、カイリーは今や村の鼻つまみ者になってしまった。
彼らとて、最初は村のために出ていったカイリーを応援していたはずだった。そして帰ってきたときに私への対応を見たときも、疲れているのかと半信半疑だった人が多かった。
しかし、一週間経っても酷すぎる私への対応が変わらないせいで、段々とカイリーに向けられる目が冷たくなっていき、最近では露骨に嫌味と悪意をぶつける人も増えてきた。
「向こうでいい女でも出来たのかい」
「昔の女には何を言ってもいいと思ってるのかい?冗談じゃないよ」
「早く村から出てけ!」
彼らは私を慰めようとしてくれているのかもしれない。
しかし、彼がそういう言葉を向けられるだけで自分に言われたように胸が抉られる思いがした。
違うの、きっと違うの。これには何か理由があるはずなの。
怒っているのに、悲しんでいるのに、酷いと思っているのに。
それでも彼にそんなことを言わないでと涙が零れる。
けれど私の泣き顔を見た村の人は余計にカイリーへの敵意を募らせてしまうらしく、悪循環を生んでしまう。
そしてその様子を黙って眺める彼は、無言で甘んじて村人たちからの非難を浴び続けていた。
私だけが特別、という状態は、ある意味二年前と変わっていない。
だけど、あの時密かに胸の奥で感じていた特別扱いへの喜びはない。
一言一言、どんな言葉も、彼の口から発せられるだけで、心がずたずたに引き裂かれていく。
彼の表情を見るたびに、私の心から彼へ向ける愛情と笑顔がそぎ落とされていく。
周りには以前と変わらぬ態度を示す姿を見るたびに心の奥が凍り付く。
何かの間違いだ、何かあったに違いない。
そう信じる気持ちは、今にも消えそうな風前の灯火になりかけていた。