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それから一カ月。
私は今、王都を出て、王女殿下がつけて下さった送迎用の馬車で村のある山のふもとまで送ってもらっているところだ。この馬車であれば外套を深くかぶって短くなった髪を隠す必要もないから、顔を上げ、悠々と馬車の外の景色を眺められる。
外の景色はもうすっかり王都の賑やかな様子をなくし、各地の小さな町やのどかな平地の自然が広がっていた。
そっか。平地だと小麦の実る季節だったんだわ。
山も恵みが一番多く、寒い季節に備えた獣たちも活発になる時季だから、いつも人手が足りなくて村総出で大わらわになる。
村長が、「ライラは何をぐずぐずやっておるんじゃ、早く帰ってきなさい」と怒っている姿がはっきりと想像できてくすりと笑うと、隣に座っていた幼馴染がすぐに私の機嫌のよさを嗅ぎつけて尋ねて来る。
「なになに?なに笑ってるの?楽しいことがあった?」
「んー?ようやく村に帰っていつもの生活に戻れるんだなって思ったの」
「そうだね。……へへへー俺とライラの幸せな新婚生活がついに……!」
何を妄想したのか、幼馴染――カイリーの整った顔が下品に脂下がっているので、ほっぺたを軽く抓っておく。
もちろん、そうされてもカイリーが怒ったり嫌がったりすることはなく、むしろ「構ってもらえたー!」と言うようにへらへら笑って期待のこもった目でこちらを見るだけだ。
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カイリーが倒れてから暫く、私は王城でカイリーの看病をしていた。
占い師様が死なないと言っていた通り、あの不気味な液体を飲んだカイリーが死ぬことはなく、逆に体を壊したことでカイリーの呪いが完全に解けたことが分かった。
占い師様の話では、私が、呪いをかけられたカイリーに口づけ、本心からの愛を示したことで「十分な対価」が生じ、カイリーがあの液体にこめられた私の強い想いを体内に入れたことで魔女の呪いに完全に打ち勝ったのだろうとのことだった。
怪我の功名で万事が丸く収まったからよかったとはいえ、あんな得体のしれないもの――私は飲むことが予定されていたからまだしも、カイリーはされていなかったのだから――を口にするなんて危険な行為は幼馴染として見逃せない。
ミルク色の柔らかい布の敷かれた天蓋付きの寝台に横たわる幼馴染が上体を起こせるようになってからすぐにこのことを叱った。
「あれが毒だったらどうするの!」
「ライラが服毒する代わりになれて本望!」
「本望、じゃないわ!死ぬようなものじゃなかったからよかったけれど……でも私の髪が入ってた液体なのよ?飲むなんて汚いでしょ」
「なんで!?ライラの髪だよ?汚いことなんてどこにもないのに。むしろ役得」
「…………早まったかしら、私」
「どこにどう早まったの?」
「……もういいわ。でもあんなことしたら次は怒るわよ?」
「ライラに怒られるならいいもん」
どれだけ叱っても打てば響くような駄犬の模範解答を返すだけで、カイリーが堪えた様子は一向にない。
とうとう諦め顔になった私にカイリーはきょとんとしていたが、寝台の枕元の椅子に腰かけた私の手を握って、静かに呟いた。
「ライラに悲しい顔されるよりも、辛そうにされるよりも、ずっといい。……俺、こうしてまたライラに触れられて、ライラに愛を囁けるようになれたから、これ以上何もいらないんだ」
その愁いを帯びた声音にこれまでの彼の辛い一年を想起させられ、私もそれ以上説教をすることはできなかった。
占い師様の見立てでは半月ほどは起きられないはずだったのに、カイリーは一週間ほどで回復した。
カイリー自身は「大好きなライラが一生懸命看病してくれたから!ねぇ、これって、まさしく俺とライラの愛の力だよね!」と言っていたけれど、王女殿下と占い師様は「馬鹿は本来病にかからないものだから」という見解で一致していた。
王女殿下がすっかり元気になって私に始終ひっついているカイリーを見て、「これがあなたたちの日常なんだな、カイリーのあの異常な行動の数々も腑に落ちる」と納得した様子をお見せになりながら、世間話をするように仰った。
「まぁこれから短くとも数年の間は、王都で勇者とその婚約者のサーガが語り継がれるだろうな。このままここにいると村に帰ることなど忘れるくらい忙しくなるぞ?」
「えぇ!?そんな!」
「かかかっ、なにせ愛する者を自ら傷つける呪いと引き換えに恐ろしい魔女に打ち勝った勇者と、その呪いを解くために髪と愛情を惜しげもなく差し出した若い婚約者の純愛だからねぇ。娯楽に飢えた王都の民の間ではそりゃあ広まるだろうよ、ひひひひひ!」
「俺とライラの愛のサーガ……!いい響きだー。ねぇ、ライラ、もうちょっとここにいようよ」
「何言ってるの、カイリー。だめよ」
「いいじゃん、ちょっとくらい帰るのが遅くなっても」
私に反論するということは相当魅力を感じているな、と長年の付き合いで察知した私は直ぐに作戦を変えた。
「ねぇカイリー、ここにいるほど私との結婚も遅くなるのよ?」
「帰る!今すぐ帰ろう、ライラ!」
すぐに意見を翻したカイリーを生暖かい目でご覧になっただけで無言を貫いたお優しい王女殿下が、私の往路の旅費と馬車、そして村で採れない日持ちする果物などのお土産を用意してくださった。
「たくさんお世話になったから、報奨金の上乗せはいただけない」とお金だけは断り、愉快気な占い師様方に見送られて今に至る。
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カイリーは私との結婚の妄想からしばらく帰って来ずに、うきうきとした様子で指を折っていたが、途中でぱっと顔を上げて私に輝かんばかりの笑顔を見せた。
「ねぇライラ。子供は五人、六人、七人どれがいい?」
「そもそも選択肢の下限が間違ってるわ」
「えぇー。俺、お母さんとお父さんがいちゃいちゃする時間を邪魔しちゃだめってちゃんとしつけするよ?」
「私はあなたのしつけをやり直したい、切実に」
「ライラがしつけてくれるのっ?」
もうこの前までの様子を微塵も残さない、幼い日からぶれない幼馴染にため息をつきつつも、屈託のない笑顔につい力が抜けてしまう。
だめだわ、これに流されたら面倒なんだから。
「カイリー、分かっているの?帰ってからだってすぐには結婚できないのよ?お父さんだってまだ怒っているし、みんなの誤解を解かないといけないし……それに、髪だってまだこんなに短いし」
空気に触れる襟足に無意識に手を伸ばし、長年付き合ってきたしっとりとした手触りのそれがないことを思い出す。
カイリーはそんな私の手を取って、後ろから私を抱き締める。
「大丈夫、ライラが隣にいてくれるなら俺、そんなものすぐに何とかするよ」
それにね?と吐息がかかるほど近くでカイリーは幸せそうに目を細めると、むきだしのうなじに唇を触れさせる。
「これ、俺のためにしてくれたことでしょ?これ以上に俺への想いを示した物なんてないんだから、事情を話したら村の誰も何も言わないよ。……もちろんライラが気にするなら結婚式は伸びてからにするけど」
そこで、カイリーがぶぅと頬を膨らませてむくれて見せた。
「そんなに色っぽいライラなんて反則。俺、他の狼に食べられないようにもっと注意して見張らなきゃ」
「セナードのあれは断ったし、もういないって。特にこんな髪になったら誰も――」
「知ってる?その髪ね、可愛い。いつも可愛いライラがもっとずっと可愛い。初めて見たときから今すぐに食べちゃいたいって思ってる」
「最後のはいつも言ってるじゃない」
もう、と鼻をつまんでやり返すと、カイリーが楽し気に喉を鳴らした。
「ねぇ、ライラ。俺のこと好き?俺、こんなだけど、ずっと好きでいてくれるよね!?ね?」
「分かってるのにあえて聞いてくるような計算高い子には答えませーん」
意地悪してそっぽを向くと、本気でしょんぼりと眉を下げたのでくすっと笑って撤回する。
「……もう、馬鹿ね。好きじゃなきゃここまで来ないわ」
すると途端に萎れた花が水を得たように元気になって顔を上げ、今日の外の天気と同じくらい澄み渡った水色の瞳を輝かせる。
「だよねっ!俺と四六時中一緒だよ?生きるのも死ぬのも、何するのも。ね、ライラ、追いかけてくれるんだよね?何度でも口塞いでくれるって言ったよね?ね、今して!今!」
「簡単にはしません、図に乗るもの」
「ちぇー、じゃあ俺がするからいいもんねー」
肩を優しく抱かれたから目を瞑ると、そっと唇が触れて、離れていく。
元の位置に戻った彼と目を合わせて少し照れくさくなって笑ってしまうと、カイリーはこれ以上ないくらいに頬を染めて、叫んだ。
「ライラ、大好き!愛してる!」
駄犬な幼馴染は私のところに帰ってきたようです。
おしまい。
ここまでお付き合いくださった読者様、どうもありがとうございました。
ツンデレな女の子とだめわんこ幼馴染の一途な王道純愛ものとして書きました。
なろうの時流を大きく外した非テンプレもの、かつ、初っ端からストレス展開が続く拙作をこれだけ多くの方に読んでいただけるとは全く思っておらず、大変驚いております。
番外は今のところぜーんぜん予定にありません(もし気が向いたら書くかもしれないですが)ので、ひとまずこれにて完結です。
感想などを一言でもいただけると、ライラの隣にいるカイリー並に尻尾をぶんぶん振りながらこれからの執筆エネルギーに変換しますので、気が向けばご一考ください(なんて)。
お読みいただきありがとうございました!
わんわんこ