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 私が住んでいるのは、外界と隔絶された山中のさびれた村だ。王都から遠く離れ、月に一度来る行商人の他は旅人すら足を踏み入れないような、そんな辺鄙な場所。

 そこで私は生まれてから十五年を過ごしてきた。


「ライラ、ライラ」


 林の中に入り山菜を収穫する、それが今日の私の仕事。

 今の時期は木苺が美味しい。ジャムにしてもいいし、お菓子にもなるし、お茶にしてもいい、甘い果実。

枝から外すときに失敗して強く摘まんでしまうと、弾けて果汁が滴ってしまうから、慎重に、丁寧に、一粒ずつ、摘まんでは籠に入れていく。


「ライラ、聞いてよ、聞こえてるんでしょ?」


 そんな私の周りを、先ほどからうろうろうろうろと、行ったり来たりしては邪魔をしてくる幼馴染という名の駄犬が一匹。

 かれこれ十五年の付き合いだ。これくらいで苛立つような精神もしていないから、あえて無視して放置しているが、正直に言って邪魔だ。


 だが、邪険にしても、放っておいても、それでも諦めないのが駄犬の習性というやつらしい。

 袖を引っ張るわ、目の前に手を伸ばして振ってくるわ、その大きくなった体で行く手を阻むわ。金色の髪に葉っぱがつこうが、枝から落ちた芋虫が肩にくっつこうがなんのその。その空色の瞳で私の顔を覗きこむことだけしか考えていない。


「ライラ、ライラってば!」

「あーあー。聞こえませーん。人が一生懸命働いているときに鬱陶しく邪魔してくるような幼馴染の声が聞こえるような耳は持っていませーん」

「聞こえてんじゃん。ねぇ、こっち向いてって。大事な話があるんだ」

「なら猶更後にしてよ。お昼ご飯の時に聞くから」

「だめ。今聞いて。大体、最近は俺だってライラが仕事している時は邪魔しないようにしてたでしょ?」

「仕事してないときはいつでも絡んできてるじゃない。まとわりつくわ、抱きつくわ、ちょっと他の男の子と仕事してたら噛みつくような顔で引き離すわ」

「そうしないとライラは相手してくれないからだろ。あと、セナードはライラに気があるから近づいちゃだめ」

「それはない、絶対ない」

「俺のライラに関する鼻の良さを馬鹿にしないで」

「鼻自慢をするとは。さすが犬」

「でしょう?俺はライラにどこまで忠実でライラのことしか考えてない犬だから……って、話逸らさないで。今来たのにはちゃんと理由があるんだって!こっち見て!」


 駄犬こと幼馴染のカイリーが、私の肩を掴んで正面から目を合わせた。


 閉鎖されたこの村の住人は、村の中で結婚と出産を繰り返してきたから、元をたどれば全員どこかしらで血が繋がっていて、色素が薄めで整っているのが特徴だと行商人のおじさんは言っていた。

 カイリーはその中でもずば抜けて綺麗な顔立ちをしている。

 私の隣にいると、淡い金色の髪を風に揺らし、アーモンドの形の空色の瞳を煌めかせながらいつもにこにこと笑っているが、その様子はまるで晴れた空に浮かぶ太陽のように輝かしい。


「もうカイリーの顔は見飽きたわよ?」

「ひどい!俺はライラの顔を見飽きることなんて一生ないのに!というかずっと見ている気満々なのに!なのに……」


 しかし、それは単にこいつが、私の周りにまとわりつくことしか考えていないからであり、逆に言えば私の隣に置いておけば終始ご機嫌だからだということも、村の住人ならみんな知っていることだ。

 だから私とカイリーは幼馴染であり、そして婚約者でもあって、村の誰もこのことに反対していない。

 どちらかというと

「ライラちゃん、一生貼りつかれるのは大変だろうけど頑張って」

「そいつはライラの隣にいられると聞けば何でもやるからな!助かってるぞ、ライラ!」

とさえ言われている。

 そしてこいつは、それを聞いて照れながら「へへー」と笑っちゃうやつだ。頭が弱いんじゃないかと疑ったことすらある。

 そんなカイリーが、今私を正面から見ているのに、珍しく声の勢いを失わせながら空色の瞳を陰らせ、しょぼん、と項垂れた。


「だから目を離したくないのに……」


 そこでようやく異常事態だと気づいた私も木苺を入れていた籠を隣に置いて、カイリーと向き直った。


「なに、どうしたの?」

「……あのね、俺、今日から村を出なきゃいけなくなったんだ」

「……は?」

「俺ね、たくさんの人を呪い殺した極悪人の魔女を倒す勇者だったんだって。さっき、村に国からの迎えが来て、王都に来いって」


 この村でおぎゃーと産声を上げて早十五年。お隣同士の家で生まれ落とされたその日から、カイリーと私が離れたことはない。

 毎日見てきたけれど、特に変わったことはしていないはずだ。

 そのカイリーが、勇者?


 まだ結婚していない今ですら、毎朝起きたら、

「おはよう、ライラ!おはようのほっぺにチューは!?」

「そんなものはありません」

「じゃあ俺が!」

と言って私の家に駆けこんできて(キスの代わりになべ底でガードするのも忘れない)、一緒に朝食を取って、男女分かれた仕事に駆り出されるときはいつも手を握って

「大丈夫、俺絶対怪我しないよ!したらライラが泣くもんね!今日もライラのために頑張ってくるね!」

と言って出ていき、帰って来たと思ったら

「ライラ、ただいま!お帰りのぎゅーは!?」

と言ってきて(面倒なのでこれは許している)、夜ご飯を一緒に食べて、寝るときに

「まだ一緒には寝られない……あと45日、あと45日で……」

と目の前できっちり鍵まで閉められるドアを恨みがましい目で見て来る、この幼馴染が?



「何かの間違いじゃ、ないの?」

「違うんだ……国の偉い占い師さんが何度やっても俺なんだって。相手は悪魔に魂を売り渡した呪いに長けた魔女だから、俺じゃないと倒せなくて、それも最低でも三年はかかるんだって。断ったら、この村のみんなも、父さんも、母さんも、ライラもどうなってもいいのかって…………」

「そんな……」

「もちろんあいつらの脅しに屈するような俺じゃないよ?俺が暴れたら面倒だって分かってる村長だって、わりかし俺の味方をしてくれたし。……でも、それでも家族やライラに何かするって言われたら放っておくわけにはいかない。だから俺、行くことにしたんだ」


 私を一心に見つめる幼馴染はそこで自慢げに顔を一度輝かせた。


「でも安心して。俺、ちゃんと交渉してきた!」

「交渉?」

「うん。俺が勇者としてお仕事を果たした時には、必ずこの村に報奨金を与えること、あと、俺が行くと言った時点でこの村の誰にも手を出さないこと、帰ってきたらこの村と俺にはその後一切関わらないこと、……それから、一番大事なことだけど、帰ってきてからのライラとの結婚生活を邪魔しないこと」

「そんなこと、王都の貴族の人たちが守ってくれるの?」

「大丈夫。王様が誓約書書くまで、例え殺すって脅されても魔女退治に行きませんってはっきり言ったから。迎えに来た人たちも俺の態度に最初は怒ってたけど、向こうが勝手に俺の平穏な生活を壊しに来たんだよ?怒っていいよね?俺」

「まぁ、それはね……それで、怒ったの?」

「うん。それができないなら交渉決裂ですさようならって言って立ち去ろうとしたら、向こうの騎士っぽいやつの一人が剣で村長を人質にとって脅してきたから、殴って大人しくさせた」

「そ、村長は!?」

「うん?村長はこうなるだろうなーって目ぇしてたから驚いてすらなかったよ?王都から来た人たちは驚いたみたいだけど」


 貴族を殴るとか……そういえば昔からやたらめったら腕っぷしが強いやつではあったけど、この子は大丈夫なんだろうか。あ、だから勇者なのかしら。精神図太くないとやっていけなさそうな感じだもんね。


「そんなずるいことするやつらもいるからさ、念も押したくなるじゃん。だからね?もし万が一俺が行ってる間に約束破って、村やライラに何かしたら、城で暴れまわって王様とかお姫様とか殺しちゃいますって追加したら蒼ざめてた」


 念押しを忘れなかった俺、偉いでしょ?褒めて褒めて?と言わんばかりににこにこ笑うカイリーとは対照的に、考えなし度合いと物騒さに私の不安が募る。主にこんなやつの妻になる自分の未来が。


 王都の迎えの人たちと同じく蒼ざめた私を見たカイリーは、何を勘違いしたか眉を下げて慌てて言い募る。


「こ、この村は元々自然豊かで、自給自足が基本で、金なんかなくても困らないから報奨金については条件にしなかったけど……俺、間違えた……?」

「いや、それはいい……というかそこまでやったらちゃんと金も払うと思う」


 慌てるところの見当違いも甚だしい。


「よかった。村に――特に家族とライラに手を出さないってことだけ絶対にしてもらえれば俺はいいの。金のことはあと44日で念願を達成できたはずの俺の恨み――ライラとの甘い甘い甘い新婚生活をぶち壊しにしたことへの復讐みたいなもんだから」

「今の状態を甘くないと言うの?ねぇ、現状ですら普通の幼馴染の範囲は軽く飛び越えていると思うんだけどまだ足りないの?」

「足りない、全然足りないっ!俺がどれだけ色々、色々、我慢してきてると思ってるの!俺が考えてること、ぜぇんぶできるようになるまで、俺、必死で頑張ってるんだから!」


 カイリーは愛おし気に目を細め、私の長い髪に触れて撫でた。

 その空色の目に段々涙が溜まって来て、そしてこらえきれなくなったのか、がばりと私をかき抱き、締めつけてくる。


「……ごめんね、ライラ。結婚先延ばしになる。しばらく帰っても来られないけど、……俺のこと、嫌いにならないで?」


 長く下ろした私の髪を何度も撫でながら、耳元で小さな声で囁いたカイリーの声は不安で揺れている。



 まったく、馬鹿な子。

 馬鹿で物騒な幼馴染だけど、私がカイリー以外の男を生涯の相手として考えられたことなんて一度もないのに。


 普段鬱陶しいくらいの「これ」がなくなることへ寂しさを、じわりと湿った林の空気に溶かしてから、あえて明るい声を出す。


「だーいじょうぶ、こんなに面倒な幼馴染のことを忘れられるわけないじゃない。……カイリーのことちゃんと待ってるわ。だから絶対無事で帰って来て」

「……うん、行ってきます」



 私とカイリーはその日、木苺の群生する林の中で初めて口づけを交わした。


 そして幼馴染で婚約者の彼は、その日初めて私から遠く離れたところに行ってしまった。




#######


 あれから二年が経った。

 王都の情報なんて普段は全然入って来ないのに、カイリーのことだけは行商人によってきちんとこの村にも届いている。

 だから、カイリーが魔女を倒して無事に王都に帰ってきたことは既に伝え聞いていた。



「ライラ、聞いた?カイリー、今日着くんだって」

「うん」

「ようやく、ねぇ」

「……うん」


 私の家に遊びに来ている友人のバレッタが私の髪を見て感慨深げに呟く。


 カイリーとの結婚で結うことができるように長く伸ばした髪は、カイリーが出ていったその日からずっと後ろで一つにまとめている。結んでも背中を越えるくらいになったら伸びた分だけ切るようにして、何度も何度も撫でてくれた彼の手の感触を思い出しながら、手入れをしてきた。

 私の中で唯一自慢できるのがこの亜麻色の指通りのいい髪で、カイリーはよく髪を指で梳いては幸せそうに笑っていたから。

 一日も欠かさずまとめていればきっと彼が無事で帰ってくるとの願掛けで寝るときと風呂の時以外はずっと結び続けていた髪を、今日ようやくほどくことができる。


「カイリーが帰ってきたとさ!」

「今、入り口にいるらしいぞ!」


 バタンと乱暴に開けられた家のドアから、近所のおじさんたちが教えてくれた。


「ほら、行ってきなよ。カイリーはライラの顔が一番見たいに決まってるんだから!」


 にやにや笑うバレッタに背中を押されて、していた仕事もそこそこに家の外にまろび出る。


 村の入り口にはたくさんの村人が集まっていて、その人は見えなかった。私に気付いた後ろの人から順に道を譲ってくれて、徐々にその淡い金色の髪が見えて来る。

 一番手前で抱きついていたカイリーのお母さん――おばさんを抱擁するその姿に、涙が出そうになるのを堪える。


 前より更に背が高くなった?

 腕や胸元あたりが分厚くなってない?

 肌、焼けたんだね。真っ白だった肌が健康色になってる。


 考えれば考えるほど涙が浮かんで、必死に堪えていると、その人がこちらに目を向けた。


「カイリー……」


 私の呼びかけに、精悍な印象になったその顔が、昔みたいにへにゃりと笑って崩れる――そう、思ったのは、きっと私だけじゃない。


 けれど。

 カイリーは、はっきりと言ったのだ。



「……その口で俺の名前を呼ばないでくれる?吐き気がするんだけど」


 その人は、眉をしかめて私を汚いものを見る目で見た。


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