侍女は語る
これから私が語りますのは、もう二十年も前のことになります。私がちょうどあなたぐらい、そうですね、十七くらいの時のことです。
あなたがお聞きになりたいのはハイラ家のリューディア様のことでしたね。ああ、リューディア様付きの従者エリアスさんのこともですか。
私がハイラ家の侍女となったのは、十六の時でした。その一年後にはハイラ家は没落し、私はお役御免となってしまったので、私が話せるのは一年間のことだけですよ。
それでもいい? そうですか。
私が侍女としてハイラ家に入りました時、リューディア様と言うひどく誇り高く扱いにくいお嬢様のお付きを命ぜられました。新入りが彼女付きになることは珍しかったようですが、今考えますと、それはハイラ家の衰退が始まっていたということだったのでしょう。
リューディア様は非常に美しい方でした。誰もが羨むような混じりけのない金色の髪に、大きく澄んだ青い瞳。リューディア様はご自身が美しいということをよく御存じでいらっしゃいました。貴族の娘らしく自分を飾り、磨き、そして非常に気高いかたでした。
使用人の失敗は許されませんでしたし、彼女の気まぐれに使用人が少しでも不服そうな色を漂わせると即刻首にさせられました。使用人は基本的に皆、不服は上手に取り繕うすべを持っている物なのですが、リューディア様は非常に敏い方だったので、そういう仮面は通用しなかったのです。
私は新米でしたが、私には後がありませんでした。私はハイラ家を首になるわけにはならない理由がございましたので、必死だったのです。必死だったからこそ、リューディア様は私を首にはなさらなかったのでしょう。
リューディア様は非常に誇り高く、厳しい方でしたが、理不尽な方ではありませんでした。非常に教養のあるお方で、聡明でもあり、そしてお優しくはありませんでしたが、情もしっかりとお持ちでした。
彼女は人に煩わされるのを嫌い、使用人と馴れ合うことは決してありませんでした。社交界においても、ハイラ家の令嬢としての役割はきちんと果たされる方でしたが、それ以上に誰かと関係を持とうとなさる方ではありませんでした。
今考えますと、彼女は少し不器用だったのかもしれません。私がこんなことを申し上げるのは恐れ多いのですが、リューディア様は人づきあいがお得意でなかったように思うのです。
しかしそんなリューディア様も、気を許している方が数名いらっしゃいました。これは御本人から伺ったことではなく、私の主観になってしまうのですが、今となっては確かめようもございません。
私の記憶に在る限りでは、パーテロ家のソルヤお嬢様と、リューディア様の従者のエリアスさんでしょうか。ソルヤ様は非常に風変りな方でいらっしゃいました。貴族然としたリューディア様とどうして親しかったのかはわかりません。しかしソルヤ様はリューディア様に親しみをお持ちでした。
リューディア様はソルヤ様が訪れられるたびに、適当にあしらっておいででしたが、それでも追い返したことはありませんでした。二度と来るなと言外に告げることもございませんでした。ソルヤ様が来られる前日には必ずソルヤ様のお好きなお菓子を、使用人の誰かに町に買いにいかせておりました。というのも、ソルヤ様は庶民が食べるようなお菓子を好んでいらっしゃったので、ハイラ家には買い置きがないものだったのです。
ソルヤ様のことはいいから、エリアスさんのことを話してほしい? かしこまりました。
私がハイラ家にやってきたとき、エリアスさんは私を見て言いました。この屋敷で働き続けたいのならば、リューディア様の言うことには否を言わずに従えと。たとえ本人の前でも彼女の悪口は許されないと。
初めからこんなことを言うものですから、私は震えあがってしまいました。リューディア様が気難しいと言うのは噂で聞いておりましたし、どんな理不尽な方なのかと勝手に想像を膨らませてしまったのです。実際はリューディア様は少し気まぐれで、気位が非常にお高いだけの方だったのですが、エリアスさんも人がお悪いですよね。
エリアスさんはリューディア様に十年もお仕えしていた方で、非常に有能な方でした。孤児になったところをリューディア様に拾ってもらったのだとおっしゃられておりましたが、詳細は存じ上げません。エリアスさんはリューディア様には多大なる恩があるとおっしゃっておいででした。そしてリューディア様の話し相手としてハイラ家にあがったので、リューディア様と同じかそれ以上の教養が求められました。
リューディア様をご存じない方にはそれがどれだけ大変なことかお分かりにならないでしょう。リューディア様は本当に聡明な方だったのです。ハイラ家の小さくない図書室の本はすべて頭の中に入っていらっしゃるような方でした。丸暗記などではなく、リューディア様はしっかりとご自分の考えを持ち、理解し、知識を生かして物事を洞察する力をお持ちでした。
そんな彼女と対等かそれ以上を求められていたエリアスさんは、本当にすごい方だと私は思います。
それに、エリアスさんは非常に美しい男性でした。
リューディア様の従者としての格好でしたが、彼が貴族の格好をすれば、リューディア様と並んでも引けをとらないであろうと思うほどに美しい男性だったのです。
多くの女性がエリアスさんに恋をしておりました。
私ですか? 私は自分にあまり余裕のない時でしたので、そういった想いを抱くことはありませんでした。
エリアスさんは誰の想いにも答えることはありませんでした。私はエリアスさんとともにリューディア様にお仕えしていて、気づいたことがありました。
エリアスさんは従者としての立場を非常にわきまえていらっしゃり、決してリューディア様になれなれしく接することはありませんでしたが、リューディア様のすべてをご存じでいらっしゃいました。すべてなどといえば大げさだと思われるかもしれません。ですが私にはそう思えるほど、エリアスさんはリューディア様をよく理解しておいででした。
彼女が気まぐれで食事の場所を変えるときも、彼女が口にするより先に食堂に手を回せるほどでした。そんな彼でしたから、リューディア様もエリアスさんのことは気に入っていらっしゃるようでした。
あくまでも従者としてです。
しかしエリアス様は、リューディア様を非常に大切にしていらっしゃるようでした。彼が女たちの誰の想いにも答えなかったのは、そういうことではないのかと邪推してしまっておりました。
二人の間に恋はなかったのかと? あなたはお二人が恋仲であったとお思いですか?
そうであったら、私は幸せな気分になれたでしょう。しかしエリアス様は私よりも早くハイラ家をお辞めになっているのです。あの日のことは、私の記憶の中でもとても鮮明なものとして残っております。
何が起こったのか? あなたはせっかちな方ですね。語りますとも。しかし物事には順序があるのです。少しはお待ちになってくださいませ。
何のお話しをしていたのだったか……。そう、エリアスさんとリューディア様が恋仲であったかについてですね。結論だけ申し上げれば、そうではなかったということになります。しかし、エリアスさんはきっと本気でリューディア様を愛しておいでだったのだと思います。
私は初め、どうしてエリアスさんが十年間もリューディア様の側でお仕えしていたか分からなかったのです。のっぴきならない事情のあった私はともかく、ハイラ家は勤め先として最高ということもありませんでした。もちろん悪くはなかったのですが、エリアスさんほどの能力の持ち主ならば、もっと上位の貴族のもとへ行けるだろうと私は確信しておりました。
しかしエリアスさんはそうする気はありませんでした。それはひとえにリューディア様にお仕えするためだったのだと思います。エリアスさんは自ら望んでリューディア様の支えとなっていました。
決して告げることの許されなかった想いですが、エリアスさんは確かに愛情をお持ちだったと私は確信しています。その愛は、家族愛ではなく、深く深く押し殺されてはいながらも、リューディア様を女性として愛していたのだと。
私はともに働いていて気づいたのですが、エリアスさんは非常に完璧に従者を演じていらっしゃいましたので、そういう風に感じた使用人はあまりいなかったようなのです。私は自分で申し上げるのはなんですが、それなりに敏いほうだと自負しております。
さて、リューディア様の方ですが、リューディア様がエリアスさんに愛情を抱いていらっしゃったかどうかは、私でもわかりません。リューディア様は尊敬に値する方でした。彼女の本心は敏いと自負する私でも推し量るのは非常に難しかったのです。
ですが、リューディア様はエリアスさんにたいして情を抱いてはいらっしゃいました。彼の将来を考えていらっしゃいました。だからこそ、あの日、ああいう決断を成されたのです。
あの日は、エリアスさんがリューディア様に抱いている感情が愛であると確信した日でもあります。
あら、待ちくたびれてしまったのですか。お話しします。あの日のことを。
あの日の天気は定かではありません。私の気分は大雨でしたが、案外晴れていたかもしれません。あの日は、例の変わり者の令嬢であるソルヤ様がいらっしゃっていました。
普段と変わらぬ日の様でした。しかし、あの日、リューディア様は何かを決意していらっしゃったのかもしれません。
私はいつものように紅茶を淹れ、エリアスさんはソルヤ様のお好きなお菓子を出されました。そして私どもはいつものように部屋の隅に立っておりました。
するとソルヤ様がエリアスさんを手招きされました。エリアスさんはリューディア様の方を見て、彼女がうなずくのを確認したあとソルヤ様の側に寄りました。
あのときのソルヤ様の御言葉、私は一字一句漏らさず復元できます。彼女はこうおっしゃったのです。
『いつも思っていたのだけど、あなた、綺麗ね。観賞用に欲しいわ』
私は侍女として有能でした。自分で言うのもなんですが、有能であったと思います。ですから驚きを顔にだしたりはいたしませんでした。ソルヤ様の言葉が、今日は晴れね、ぐらいの平凡なものであったかのように振る舞って見せました。
リューディア様も驚いた様子はございませんでした。眉を少しだけ上げて、そして何を思ったかリューディア様は微笑まれました。そしておっしゃったのです。ああ、あの時のあの言葉も私は全ておぼえていますとも。
『欲しいのなら持っておいきなさい』
私は有能でした。しかしいくら私と言えども、リューディア様の御言葉には、口を開けずにはいられませんでした。幸いにもリューディア様の後ろに立っていた私は、リューディア様にそのことを咎められることはなかったのです。
そして、リューディア様の言葉に衝撃を受けたのは私だけではありませんでした。何を言われても動じないあのエリアスさんが、私の記憶に在る限り初めて、リューディア様の言葉に否を唱えたのです。
『リューディア様……! 私はどこにも行きません』
『私の命令は絶対に聞くと、お前は誓ったわね。命令よ。ソルヤの元に行きなさい』
『ですが!』
『くどい。私の言うことが聞けない従者はいらない』
泣いているって? 泣きますとも。あの日のことは何度思い出しても涙がとまらないのです。あれほど切実なエリアスさんを見たことはありませんでした。絶望と驚愕の両方を体現された顔をしていました。
しかしソルヤ様はそんなことを気にも留めず、あっさりとこうおっしゃったのです。
『ありがとう。何か注意事項は?』
『エリアスのこの家での給料額を書面で送るわ。参考までにね』
リューディア様のあの時の心境は、あの時の私には理解できませんでした。私はひどく動揺していましたし、エリアスさんの激情に触れて、私は泣くのを必死にこらえていたのです。私は愚かでした。あの時ほんの少しだけソルヤ様とリューディア様を心の中で詰ったのです。
そんな私に見向きもせず、リューディア様は最後にエリアスさんにこうおっしゃいました。
『エリアス。お前は有能だったわ。でも、私とは縁が切れた。これが全てよ』
その後のことは、正直に言って記憶が曖昧です。
ですがリューディア様はソルヤ様に今日は疲れたから帰ってほしいと頼み、ソルヤ様はエリアスさんも従えてお帰りになられました。私がエリアスさんを見たのはそれが最後です。
あの時、私はどんな顔をして働いていたのかわかりません。エリアスさんの苦痛に満ちた表情は私の心を揺るがしました。どんな時でも平然と従者をこなしていらっしゃったエリアスさんが、あれほど感情をあらわにしたのです。私は涙をこらえるので精いっぱいで、平静を装うことなどおおよそ無理でした。
しかし私はあの後、さらに混乱に陥ることになりました。
ソルヤ様とエリアスさんがハイラ家を離れられた後、リューディア様に何か召し上がるか伺いに言った時でした。あのリューディア様が泣いていらっしゃったのです。
声は上げておられませんでした。しかし、窓の外を見つめ、静かに涙を流しておられました。
私は扉をそっと閉めました。ノックはして部屋に入ったのですが、リューディア様のお耳には届いていなかったようなので、そうしたのです。
私は混乱しておりました。
平然とエリアスさんを手放したリューディア様がどうして泣いておられるのか。
あの時の私には理解できませんでした。しかしリューディア様にとって、エリアスさんが無価値な従者ではなかったという事実に、ほっとしたことは覚えております。
そして、あの日から二か月後、私はハイラ家の侍女を辞めさせられました。ハイラ家が没落する一か月前のことです。
リューディア様は私を呼びだして、二か月分の給料とともにおっしゃったのです。
『お前は新入りのわりによくできた侍女だった。これはそれに対する褒美よ』
リューディア様は紹介状を私の手に握らせました。そして、状況を理解できない私にハイラ家の状態について詳しく語ってくださいました。
そのとき私は初めてハイラ家の窮状を理解しました。
そして、エリアスさんを手放したのも、私を手放すのも、リューディア様なりの情けなのだとようやく理解するに至ったのです。
ああ、なんと愚かな私。
エリアスさんを手放されたリューディア様を、ほんの一瞬でも詰った昔の私を叱ってやらなければなりません。そこには深い情がありました。
愛があったかは定かではありませんが、少なくともリューディア様は情はお持ちでした。
私はリューディア様のおかげで今こうしてここに存在していられます。子供にもめぐまれました。リューディア様は本物の貴族として高い誇りと責任感をお持ちでした。
最後まで、私たちの前では貴族でおられました。
ハイラ家没落の後、リューディア様がどうなされたのか私には知るすべはありませんでした。
しかし私はリューディア様が修道院などで生活できたとは思えません。
彼女は非常に気高く、貴族としてしか生きられないお方でした。貴族として生きられぬのなら命を絶たれるような方でした。
あの方はきっと……自ら死を選ばれたのではないでしょうか。
これは私の憶測です。
え、もうお帰りになる? わかりました。ところであなたはどちらさまで?