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第三章 フランケンシュタインの少女

 もし先の命令が無くば、アレックス・ボールドウィンがこんな場所を訪れる事は無かったと考えて間違いあるまい。

 だが不幸にして命令は存在していたのである。有効な形で。

 警部が今居るのは、その風変わりな探偵が住むという、論曇(ロンドン)西部の郊外にある館の一室だ。訪れた彼は無愛想なメイドの案内によってそこに通され、今は主が来るのを待っている所である。

 その間に彼は部屋を見渡し、この場所に『風変わりな』人物が居る事は認めた。

 部屋は端的に言って、汚かった。

 と言うより、散らかっていると表現した方が正しいだろう。

 床と言う床には、その一部らしいものを描いたイラストと共に呪文の様な計算式が判別不能の文字によって書き殴られた紙が散らばっており、足の踏み場も無い。アレックスは座っている様言われた椅子に来るまでそれを避けながら進まねばならなかったのだが、それは酷く難儀だった。

 また紙と紙の間には分厚い本達が、本の蒐集家が見たら発狂しかねないおよそ愛着の欠片も無い方法によって塔の如く積まれている。元々それがあったのだろう、壁際の大きな本棚には、隙間が出来た事によってばたりと倒れ、そしてそのままにされている本が沢山寝転がっていた。極め付けは、その壁に掛かった腕や脚、つまりは義体義足であり、それが虎か何かの剥製の様に置かれているのである。

 探偵の事務所と言うより、科学者の研究室と言った方が的を射ているだろう。

 成る程確かにこれは変わっている、とアレックスが思っていると入口とは別にある奥の扉がばたんと開いた。

「いやはや、待たせてしまったな。」

 そう言って現れたのは、この部屋の印象に相応しい小柄で白髪の老人だった。少々体に合っていない白衣をずりながら、薄汚れた眼鏡をその胸元で拭いている姿は、正しく科学者のそれである。

 何なら頭に狂ったと付けてもいい。

 アレックスにどんな第一印象を受け止められたのかも知らず、老人は歩み寄ると、すっとその手を差し向けた。

「私の名前はフィリップ・エディソン。

 君が来る事はグラントから聞いている、歓迎しよう。」

「アレックス・ボールドウィンです、宜しくエディソンさん……あの、」

「フィリップでいいよ、何かね?」

 握手に応じたアレックスは、その呼び方に疑問を感じ、質問を試みた。

「警視をご存知なのですか?」

「古い古い友人だ。仕事柄、彼には世話になる機会も多い。」

「……成る程。」

 だから自分の上司は彼の元へと遣わしたのか、とアレックスは己の旧友にして検視医を努めるヘンリー・ウェストとの関係をぼぅっと想像しながら、そう考えた。ただ個人的に警察と医者の関係と比べると、警察と探偵のそれは必然とは言い難く、出来るならばなるべく私情を挟んで貰いたくは無かったが。

 いやそれはおかしい、とアレックスは自分自身の考えを制した。

 確か警視の話だと、探偵は女性と言う事である。目の前に居る老人は明らかに男性だ。これで女性だったら、彼は神の悪戯を大いに呪うだろう。風変わりな、という点は確かに当たっているが、彼が探偵だということはあるまい。

「所で探偵と言うのは貴方ですか?

 私が聞かされていた人物像とは、少し違うのですが。」

「嗚呼、違う違う。

 私はしがない研究者で、まぁ博士ではあるが探偵では無いよ。

 彼女はほら、あの扉の向こうに居る。」

 言うと、彼は二回手を叩きつつ、奥の扉に向かって「ノイラ」と呼んだ。

 声に応えて扉が開かれると、中から人影が現れ、部屋へと入って来る。

 その姿に、アレックスは思わず息を呑んだ。

 開かれた扉の前で立ち止まった人物は、十代後半と言った様子の女性だった。

 襟元に青いリボンを巻き付けた白いブラウスと青いロングスカートと言う簡素な装いだったが、本物の銀糸では無いかと思える程きらびやかに輝く、足元まで達した髪の毛が非常に幻想的な美しさを醸し出している。その姿を一目でも見れば、女嫌いで通っている警部が何故呆然としたのかも解るだろう。

 だがそれは単純に美しいからだった訳では無い。その美しさには少しばかり違和感があり、顔立ちは少女らしかったが子供らしさは余り無く、アレックスに女性と言う印象を持たせた。

 その理由は恐らく小柄で華奢な体躯の割に胸部の発育が大変宜しかった為もあるだろう。だが、それよりも顔面に張り付いた冷たい表情とその視線の方が、理由としては強い。それらは冷たい、と言うよりも、無いと言った方がより正しい。確かに可愛らしく整った顔をしていたが、人間的な温かみが一切感じられないのだ。これに比べると、先程のメイドの態度が、非常に優しさの篭ったものに感じられる位である。

 そんな風に思っていると、彼女はキリキリと無機質な青い瞳で彼を捉え、すすすと音も無く歩み寄った。

「紹介しよう。ノイラ・D・エディソンだ。

 私の娘にして君に協力する探偵である。どうか、宜しく頼む。」

 博士の言葉と、目の前に差し出された陶器の様に白い右手に、はっとアレックスは我に帰る。そして、慌ててその手を握り締めた。見た目と印象通りに、冷たい手である。いや、冷た過ぎる。これではまるで――

「人形みたいだ……と、そう思っていますね?」

 薄い唇がほんの僅かに動き、鈴の様な愛らしい音が響く。

 それがノイラの声だと気付いたアレックスは、数瞬後にその意味を理解して飛び上がりそうになった。

「い、いや決してそんな事は……無い。」

 だがそこは数々の修羅場を潜ってきた叩き上げの警部である。

 彼は自制心を持って何とか体を抑え込む事に成功した。

 その時、くくっと言う妙な笑い声と共に、フィリップが言った。

「全くグラントも人が悪いなぁ。

 あいつ、女性の探偵だ、と言う事しか言ってなかったろ。」

「は?……えぇ、その通りですが。」

 無表情にこちらを見つめるノイラと握手したままで、アレックスは博士の方を見た。この男は何を言おうとしているのか。そう訝しそうに見つめる警部の視線に応えて、フィリップは言う。

「君の考えは当たりだアレックス君。

 DはDollのD。

 私は義体研究者で、彼女は私が作った義体人形なんだよ。」

 今度ばかりは流石に自らの驚きを制する事など出来なかった。

 驚愕した様子でアレックスはノイラの方を見る。

 人形は、キリキリと極小歯車を軋ませる青い水晶の眼球で、彼が驚いている間もずっと観察を続けていた。

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