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第二十章 純欲(イノセンス)

「……のですか。」

「ん?……すまない、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ。」

「……何故殴ったのですか、あの男を。」

 その帰り道、整えられてはいるが所どころ乱れた石畳の上を行く馬車の中で、ノイラ・D・エディソンはアレックス・ボールドウィンに尋ねた。唇を一文字に結び、じっと見つめながら問うた彼女に、彼はまだ痛む腹を抑えながら応える。

「何故も何も……君が侮辱されたからに決まっているだろう。

 全く忌々しい男だ。」

「そんな……馬鹿ですか貴方は。

 あんな事をして、話を聞く所ではありませんでした。」

 ノイラの言葉に、アレックスは唖然とした。

 彼女は一体何を言っているんだ。

「馬鹿なのは君の方だろう、ノイラ。

 あんな事を言われて、怒らない人間がいる筈が無い。

 いや、寧ろ怒るべきだ、あれはっ。

 それにもう解っただろう、あいつがどんな人間か、良くな。

 なら、わざわざもう話を聞く必要もあるまいっ。」

 男の圧倒的剣幕に押され、あの少女がうっと押し黙った。

 彼女は反論出来ずに、ぶつぶつと小声でこう呟き始める。

「……それは、そうですが……しかし……何も私なんかの……人形の……。」

 その言葉を聞いて、アレックスは、やはりその魂は見た目通りの年相応な少女であるのだ、と溜息を付いた。

 だからこそ、自分自身が人形である事を一番気にしているのだ、とも。

 だが、それがどれ程人間臭い事かは、解ってはいまい。ルフィナ・モルグにその事実を指摘され、苦悩の果てに倒れる事そのものが美しき魂を持っているという証明であるのに。

 だがそれに果たしてそれに触れて良いものか。

 アレックスが思い悩んでいたその時、

「でも………………………………………………………………………………………………………ありがとうございます。」

 がたがたと五月蝿い車輪の音の向こうで。

 確かにそう言ったノイラの声が聞こえて来た。

 慌てて振り向くと、彼女はそっぽを向く様に窓の外を見ている。

「あー……すまない、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」

 勿論嘘である。

「……別に。何も言っていません。」

 何時もと同じ調子で言ったつもりだろうが声が上擦っている。

 ノイラの人工頭脳は明らかに動揺していた。

「……。」

「……。」

 アレックスはそんな彼女を、無言でじぃと見つめた。

 ノイラは喋る機構を失ったかの如く押し黙り、外を眺めている。

 普段とは逆の構図が暫く続いた後、アレックスは唐突にその美しい銀の髪へ手を伸ばすと、それを撫で始めた。

「ん……アレックス……何をするのです。早く、その手を引っ込めなさい。」

「いや、えぇ、と、その……俺がこう言うのも何、だが……可愛いな君は。」

 その言葉は本心から出た言葉だった。

 彼はこの少女が、その瞬間愛しくてたまらなくなったのだ。

 そしてそれは彼女の苦悩がどうこう、では無く。

 純粋に、本能に忠実な形で発現された。

「何を馬鹿……いや、やめなさ、やめて、やめ、やーっ。」

 らしくも無く慌てふためき、手を離させようとするノイラだが、逆に愛撫する手は激しくなる。きっと、これが普通の少女であれば、恥ずかしさに顔を真っ赤にさせて瞳を潤ませていた所だろう。

 撫でるアレックスの口元に、笑みが篭った。

 綺麗な人形の顔をして、何と人間らしい、いや少女らしい反応をするのだろう、と。

 その姿を鏡で見せられたらどれだけいいかとも思ったしかし、それ以上にただその愛くるしさが胸を突いた。

 今抱いているそんな感情を説明する事は、恐らく本人も出来ないだろう。

 それが友情なのか愛情なのか、後者であった場合それは家族としてなのか恋人としてなのか、或いは人形としてなのか。余りに漠然とした感情である為に、判別する事が出来なかった。

 ただ、特別な感情である事は確かなのだが。

 それも最早アデルの姿と重ねてでは無い。

 その感情の矛先は、確実に、ノイラ自身へと向けられていた。

 そういえば俺と彼女はまだ出逢って三日も経っていないのだよな、と撫でる手を一切休めずにアレックスは思った。三日は、特別な感情を抱く様な、特別な関係に至るには余りに短過ぎる様に感じる。ましてや相手は人間では無いのだ。だが、産業革命を潜り抜けてきた今の世の中にあっては、それもまたありえるのかもしれない。技術が飛躍的に進歩して世界を変えた様に、人とその関係もまた加速度的に推し進めて行くのでは無いか、と。その様な哲学的考察をするアレックスの手は、限り無く原始的衝動に従って蜘蛛の多過ぎる脚の如くわきわきと動いた。

 その触り方は汚された身を洗う様な風にも見えただろうが、やられる方としてはたまったものでは無い。

 哀れなノイラは、猫の様に身を丸めながら、にゃぁと可愛らしい悲鳴を上げて、その感触に必死に耐えた。結局この行為は、彼女の人工頭脳が処理し切れない刺激を受けて一時的に停止し煙を吹き始めるまで続けられた。自分が何をしていたかに気付いたアレックスが、彼女を高速でエディソン邸まで送り届け、そしてそこの主へ事情を説明する代わりに、色男への惜しみない賛辞を受けた事は言うまでも無い事実である。

 穴があったら入りたい、と言う言葉の意味を彼は大いに理解した。

 既に彼女へとさせてはいたのだが。

 しかし、今この時にも。

 事態は進行しているのだという事は、流石にその理解の外であった。

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