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第十七章 たったひとつではない、冴えてもいないやり方

「――成る程なぁ、それで様子がおかしかった訳だ。」

「……すみません、あんな事になるとは思いもせず……。」

 なかなかの繁盛を誇っているパブ『赤鐘亭』のテーブル席にて。

 アレックス・ボールドウィンはそうフィリップ・エディソンに頭を下げた。

 普段家に篭りがちな博士をパブまで連れて来たのは警部の方である。

 昨日の思考通りの相談と、そして謝罪の為に。

 アレックスはフィリップをここまで呼んだのだった。

 尚、場所がこの店である事に他意は余り無い。ノイラが居るだろうエディソン邸から離れられるならば別に何処でも良かった。ただ以前来たので、通り掛かった時に意識へと登ったのである。

 中に入ると、セヴラン・モガールが明らかに嫌がっているエミリーを口説いている所だったが、彼はアレックスを見るとそそくさと出て行った。昨日、敬愛すると共に軽視している女性に睨まれた事が響いているのだろう。いい気味である。そうして邪魔されぬ様、奥の方にあるテーブルへと付いた二人は、まずエールを頼んだ。そして、二つのジョッキが届くよりも尚早く、アレックスはフィリップに向けて、昨日の事について謝ったのである。

 博士の方はしかし、眼を丸くした後、かかかと笑って、こう返した。

「気にする必要は無いさ、うん。良くある事だからね。」

「良くある事、ですか。」

 その言葉を反芻するアレックスに対し、フィリップは更に応える。

「うん。今まで知らなかった、考えもつかなかった事を知ろうとして、考えようとしての結果だからね。

 人間で言えば知恵熱みたいなものさ。ノイラも幼い頃は何度もそう言う風に良く倒れたものだよ。知識と経験をある程度蓄えた最近は見なくなったけど。

 だから、気にする必要は無いんだよ、本当に。知恵熱で死ぬ人間はいまい?」

「そう、ですね。確かに……。」

 警部は、博士の言葉に頷くと、ははっと笑い声を上げた。しかし、その声色は乾いたもので、唇は歪んでいた。知恵熱で死ぬ様な人間もいるのでは無いか、という思いがその心中に渦巻いていたからである。

「真面目だな、君は。

 いや、それだけ想われている私の娘が幸せ者と考えるべきか。」

「え……いえ、それは違、」

「何なら私を父と呼んでくれても構わないよ?アレックス君。」

 笑いながらそんな本気とも冗句ともつかない発言をするフィリップに、アレックスは頬を慌てふためく。

 その時エールが二つ、文字通り酒の肴である詠国名物、フィッシュ・アンド・チップスと共にエミリーによって運ばれて来た。ジョッキを掴むとアレックスは、落ち着く為に中に満ちた濃い小麦色の液体を勢い良く飲んで行く。フィリップはそんな彼を愉しそうに見つめながら、魚のフライと一つ口にした。

 豊かな苦味を喉から胃へと流し込む様に場が静まると、アレックスは、ちびちびとエールを啜る博士に言った。

「……でも、彼女は何故あそこまで人形である事を気にするのでしょうか。」

 その問いは、ノイラに対してずっと抱いていたもので。

 彼女の父であるこの人物ならば解るに違いない、と思ったのだ。

 それに対し、フィリップの顔は強張り、笑みが消えた。

 ぐいっとジョッキを傾けてから、彼は逆に聞き返す。

「……君は、あの子が今何歳だと……造られてから何年経ったと思っている?」

「は……そう、ですね。十年、位では無いでしょうか。」

「いや三年だ。彼女はまだ三年しか生きていない。」

「三年……。」

 自分が思っていた年齢よりもずっと短い歳月にアレックスは思わず呟いた。

 それに頷きながら、博士は講義を続ける。

「そうだ。まだ三年、三歳なんだよ、彼女は。何冊もの本を読み、私が教えたその知識と経験から滅多な事では驚かない、落ち着いた、知性ある女性に見えるかもしれないがね。

 だが、考えても見たまえ君。

 彼女は義体人形だが、その元を辿れば人間を生み出そうとして造られた者なんだよ。

 故に学び育つ。

 まるで本物の子供がそうする様に。

 そして現に成長している。

 しかしその体が、歯車と陶器とその他の機械で構築されているという事実は変わらない……君が三歳の女の子だったら、どう思うかな?砂糖菓子とスパイスと、素敵なもので出来ていると思っていた自分が、実は蛙や蝸牛、子犬の尻尾にも劣る様なもので造られているんだと知ったならば。」

「……。」

 マザーグースの詩の一節を引用したその言葉に、アレックスは思い出した。

 魔女の厨での、あの悲痛極まりない魂の叫びを。

「それもこれも、まだ世界をちゃんと見ていない事に原因がある。言うまでも無いが、あのフィリアス・フォッグ氏の様に世界一周しろという訳じゃない。何だろうな、自分を取り囲む環境を理解しろ……という所か。歯車も陶器もその他の機械も実は結構良いものなんだってね

 。なかなか口で説明するのは難しいが、私がノイラに探偵なんてものをやらせているのはその所為なんだよ、前にも言ったと思うが。幾つもの場所へと赴き、善悪様々な人々と出逢い、そして思考する。それはやがて彼女の人間としての成長に繋がるだろう。私の知っている義体人形達がそうした様に。特に阿真利火(アメリカ)のアリスは顕著だったな。性的愛玩用に造られた彼女はケイン・ザ・ネバーモアと言う一人のガンマンと、」

「……博士。」

 何処かで聞いた覚えのある名には少し興味があった。

 だが、アレックスはフィリップの解説を途中で遮った。

 今重要なのはそんな事では無いからだ。今重要な事、それは――

「何だい?」

「……私は……その、ノイラの為に一体何をどうすればいいんでしょうか。」

 フィリップから眼を背けつつ、アレックスはそう言った。

 それを聞く為に、彼は博士をここまで呼んだからに他ならないからだ。

「ふむ……。」

 ジョッキを置くとフィリップは、何事か考えている様に黙ると、アレックスをじぃと見つめながら言った。

「それは、警察官としてのアレックス・ボールドウィンの質問かな?或いは、何者でも無いただのアレックス・ボールドウィンとしての?それによって、私の回答は変わって来る。さぁ、どうかな?」

 問い掛けに、警部は瞳を閉じると、己の内面へと目を向ける。

 そして語った。

「……半々……でしょうか。

 私は、彼女の能力を認めている。探偵としてのその力を頼ろうとしている、いや実際もう頼っている。二人で共に事件を解決するとも言いました……だから、捜査に支障を来たす様な障害はなるべく排除したい。

 ですがそれと同じ位……いや、それ以上に私は……俺は彼女自身を気にしている。彼女のすました顔が歪むのを見ていられない。だから俺は……ノイラの為に何かをしたい、と考えて、います。でもどうすればいいのか……。」

 アレックスは自分の気持ちを確かめる様にゆっくり言い終えると、すがる様な眼でフィリップを見つめる。

 博士は途中で遮ったりする様な事はせず、ただ黙って聞いていたが、彼が喋り終えると、徐に口を開いた。

「……最初に、警察官としての君に対してならば、答えは簡単だ。無視すればいい。それで何も問題は無い。君が気にせずとも、彼女は自力で解を得るだろう。或いは、苦悩の果てに人間的な自殺を遂げるかもしれないが、そんな事はやはりアレックス君、君の悩む事では無い。あくまでも、君とノイラは仕事上の同僚という間柄なのだから。君は彼女を、事件解決の為の道具として見ればいい。そう、一体の思想機械の様に。」

 その言葉に、警部の顔がさっと強張る。

 そんな彼に向けて、フィリップはすっと優しく微笑みながら続けた。

「しかし、もし君が友人として、或いは恋人としてノイラの事を想うのであれば……考えるべきだ。」

「……何ですって?」

 期待していたものとは違う台詞に、アレックスはそう聞き返した。

 フィリップは、ふふっと笑い声を上げながら、こう応える。

「考えるのさ。君自身が、彼女の為にね。そしてすべき事を見つけ、実行するんだ。勿論、私自身どうすべきかの答えは持っている。だが、それが君にも有効かどうかは解らないし、同じ事をしても、君自身があの娘にしてやったとは言えないな。それは私の答えなのだから……だから君は考えるべきだ。考えて、考えて、考え抜くがいい。」

「……。」

 アレックスは博士を、困った様に見つめた。

 そんな彼に微笑を送りながら、立ち上がったフィリップは肩に手を置くと、

「悩んでいるね、それがいいんだよ……だがまぁ、目下の所は脇に置いて、今まで通りに接すればいい。それはたったひとつではない、冴えてもいないやり方だが……何、時は稼げるだろう。その間に大いに悩め、若者よ。」

 何処ぞの魔女の様な言葉を残しながら、出口へと向かう。エミリーが「ありがとうございました」と言う声と共に、扉の向こうへと消えて行く背中を見終えると、アレックスはもう日課にすら思える溜息を付いた。

 彼は真剣に困っていた。

 博士の答えは、まるで東洋の謎掛けである。

 解らないから聞いたのに、その応えが解れであるとは……

 だが、確かにその通りではある。

 かりかりとポテトを口にしつつ、結局自分はどうすべきなのかと考える。

 考えて考えて、アレックスはやはり解らないという答えに至った。

 そして結局は、博士が最後に行ったやり方で行く事にした。楽観的にも、やがては何か思い付くだろうと信じて。

 何処かでモガールの嫌な笑い声が聞こえて辺りを見回したが、そこに彼の姿は微塵も無かった。

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