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第十四章 彼岸紀行(Voyage to A)

 その後パブを出た二人は、午後から再び現場を見て回る事にした。

 だが夜が差し迫り、回った現場の数が事件総数の半分に達しようとしていたが、特に目新しい進展は無かった。あえて言えば、ノイラ・D・エディソンが昼間指摘した点がまず確定的となった位の事だろう。

 アレックス・ボールドウィンは、これ以上現場を見て回っても無意味だと感じていた。

 元々手掛かりを求めてのものでは行っていた訳では無く、ノイラに現場を知って貰う為の行為だったから、彼女の印象が固まった時点でその目的は達したと見ていいだろう。

 しかしこれからどうするか、という事は何も考えていなかった。

 ヤードに戻って山の様な調書を黴臭い倉庫で二人して延々と読み続けるか、と恐らく五十何番目かの現場である珈琲ハウスの前でアレックスが考えていると、ふいにノイラがその袖をくいくいと引っ張った。

「……?……どうした。」

 考え事を止めて、彼は彼女へと向き直った。

 ノイラは、何時もの様にじっと視線を向けながらこう言う。

「貴方が考えている間に、ある言葉を反芻していました。」

「……ん……どの言葉だ。」

 アレックスもその視線に眼で応えて聞き返す。

「昼間のモガール氏への評価です。

 『ろくに調べてもいない癖に、頭の中にある事実のみを捏ね繰り回して』

 私は昨日の馬車の中で、ドッペルゲンガーに対する幾つか仮説を上げました。

 そして既に調べていた貴方は、それらの可能性を否定しましたが、しかし私自身はそれを調べていません。

 これからまた何かを推理しようという時に、それでは頂けないと思うのです。

 ですから、ちゃんと調べて置きたいのですが……いけないでしょうか?」

「それは構わない……が……。」

「が?……何か問題でもありますか?」

「いや……。」

 ノイラの言葉は尤もであるし、別に時間はある。『何時に何処其処で誰々がハリソン・バウチャーと思しき男に殺され、金品を盗まれた。しかしハリソンは同時刻別の場所に居た事が確認されている』なんて判を押した様に同じ事が書かれた調書を読み続けるより余程建設的だろう。だが、何か嫌な予感がした。

 それが一体何なのかを確かめるべく、アレックスはノイラへと尋ねた。

「で……具体的に君は何がしたいんだ?」

「貴方と私が最も可能性の高いと判断した、保因者(キャリアー)について。貴方が逢った専門家に、私も逢って話を聞きたいのです……どうしましたか?」

「……それは……どうしても、俺が逢った専門家で無くてはならないか?」

 彼女が自分の要望を言うのを聞いた瞬間、彼は露骨に嫌な顔を浮かべた。専門家とは即ちあの魔女ルフィナ・モルグに置いて他ならないのだが、アレックスとしてはまた彼女に逢いに行くのはご免被りたかった。

 そんな事とは露とも知らずに、ノイラはぶんぶんと首を縦に振る。

「貴方がその人物の言葉を信用し、私の考えを否定したのですから。

 その人に逢わなければ意味がありません。」

「……むぅ。」

 アレックスは、彼女をじっと見つめ、その言葉が決して覆らない事を悟った。

 そして、

「解った、案内しよう。」

 どうなっても知らんぞ、と思いながらそう応えるのだった。


 こうして二人は沈み行く夕陽を背に、論曇(ロンドン)東部、イースト・エンドと呼ばれる地域へと向かった。

 イースト・エンドは、論曇の中でもかなり治安の悪い地域に属する場所である。元々皇州は大西洋の影響で西から東へと風が吹く。その為、都市部での生活の為に必要悪となる悪臭から逃れようと、裕福な者程西へ住居を立て、反対に東側は余り裕福ではない、寧ろ貧しい者達が住み始めるのが常である。

 そう言う訳でイースト・エンドに住む人間は、貧しい労働者か海外からの移民者、それら二者とかなりの割合で重なる悪党と保因者といった具合であった。

 当然インフラも万全とは言い難く、勝手気ままに建てられた掘っ立て小屋の様な家や撤回されぬままになった瓦礫によって、馬車が通れない様な道が平気で走っている様な有様である。厄介にもルフィナ・モルグが居るのはそんな場所の深部であり、その為にアレックスとノイラは馬車を降りて行かねば成らなかったのだ。

 アレックスは魔女の厨を訪れる為に華僑の情報屋に頼んでこの荒れ果てた道を通ったし、またそれで無くとも事件の捜査の為に、で何度も訪れた事はある。

 だが、それでもこの雰囲気に慣れる事はあるまい。ここはそう言う場所だ。絶えず警戒を必要とし、緊張が心と体を苛む類の。何か起こった時の為、武器を取り出す心構えは常にしておかなくては。

 そんな彼は何時からだろう、ノイラの手を掴んでいた。最初掴まれた時は軽く驚いた様に、眉を潜めた彼女だったが、振り解いたりする様な事は無かった。アレックスの真剣な面持ちをその青眼で捉えたからだ。そこには彼自身気付いていなかったが、恐れや不安の中でも彼女だけは守ろうと言う気概が見受けられた。ノイラはその表情をじぃっと見つめつつ、引かれるに任せて進んで行く。その所為だろうか、警戒或いは値踏みする様な視線を感じる事はあっても特に何事も無く二人は目的地へと到着した。 

 そこは隣の建物に寄り掛かっている程度に崩壊が進んだ木組みの建物であり、通りに対して前面には地下へと続く急な階段がぽっかり口を開けていた。影となったその奥には、薄っすらと扉を確認する事が出来る。

「ここですか?」

「あぁ、ここだ…………ぁ、と、と、すまない。」

 その言葉に、アレックスは初めて自分がその手を握っている事に気が付いた。

 しかし彼女はゆっくりと頭を横に振ると、こう言った。

「……いいえ、構いませんよ。」

「そう、か?それならいいんだが。」

 また睨まれるかと思っただけに、アレックスは少しだけ安堵した。

 そして、こほんと咳払いをした後、

「では……行こうか。」

 おずおずと、その手を差し伸べる。

 ノイラも頷くと、伸ばされた手を握り締めた。

 手と手、指と指で繋がった二人は、冥府から抜け出そうと地上を目指すオルフェウスとエウリュディケとは丁度反対に、連れ立って地下への階段を一歩、一歩下って行く。足元は暗く、踏み外さぬ様慎重に、確実に。

 やがて階段の深部へと辿り付いた二人は、薄っすらと魔術的紋様が刻まれた扉の前に立った。彼はノイラを見た。彼女もアレックスの方を見、そしてくっと頷く。それに合わせて警部がノックをすると、中から扉が開かれた。

「……誰?」

 現れたのは、肩程度の長さに切り揃えられた銀髪に、濃い褐色の肌をした青年である。黒いタキシードにブーツを履いて、装飾が成された柄に、鞘の形状からするとベルトには刺突剣(レイピア)を帯びている。容姿は小柄且つ童顔で、年齢的にも身長的にもノイラとそう大差無かった。しかし、眼帯によって隠された右目と、真紅に輝く左目、短く尖った耳、そして漂わす異界の雰囲気から、彼がアレックスの倍、下手をすればもっと生きている保因者であるのは明白だった。その耳や顔立ちは森に住まう長寿者エルフに似ていたが、しかし肌の黒いエルフなんていうのは見た事も聞いた事も無い。

「何か用?」

「ぇ……あ、あぁ……失礼。ルフィナ・モルグ殿に逢いたいんだが。」

 初めて見るこの青年とあの魔女との関係を考えて呆としていたアレックスは、慌てて用件を伝えた。

 青年は、その兎の様に赤い左目で警部を上から下から眺めた。

 そして、奥の方をちらりと見ながら、

「今ちょっと別のお客さんが来てるから、少し待ってて貰え、」

「その必要は無いわルイス。もう帰るそうだから。」

 返答しようとした瞬間。

 その奥の方から妖艶な女性の声が弾み、それを掻き消した。

 ルイスと呼ばれた青年は、軽く肩を竦めて見せながら、

「だそうだ。それじゃ、入って。」

 顎でくいっと、アレックスとノイラを促す。

 二人は頷くと、魔女が住まう深淵へとその一歩を踏み込んだ。

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