第十三章 隠せないさ 君の瞳は ホンの小さな事まで
こうして真に相棒となった、アレックス・ボールドウィンとノイラ・D・エディソンは、当初の予定通り幾つかの現場へと向かった。朝も早くから赴いたのだが、何せ論曇の至る所で事件が起きている為、西へ東へ向かっている間に、気が付けば既に正午が過ぎていた。
そこで二人は、何処かで昼食を取ろうと言う事になった。勿論、義体人形であるノイラに食事は必要無い……その代わり、一日に一度背中の挿入口から大量の蒸気を送り込まなければならないのだ……が、人工頭脳にも休息は必要であろう。
また今まで見て回った事件現場に対する考察を纏めようと、彼等は近くのパブ『赤鐘亭』に行く事にした。
店へと入り、カウンターの一番手前の席に着くと、早速アレックスはアルコールと、そしてランチを注文した。
まず木製のジョッキに注がれて差し出されたエールで喉を潤し、続いて出されたソーセージとその付け合せの一品により胃袋を満たす傍らで、ノイラは一切を口にする事無く、店内を見渡している。
大人しく引っ込み思案だがその分良く気が回り、また愛らしい顔をしている事で評判のエミリー・フレイザーが看板娘をしている事と初代店主である先々代が何処からか持って来た赤錆だらけの鐘が目印となっている以外は、論曇に数多くあるありきたりなパブの一つであったが、それでも彼女にとっては物珍しい様だ。その顔は相変わらず感情に乏しかったが、しかし硝子製の瞳の向こうに映っているのは明らかな好奇の光である。
濃厚な麦の風味を味わいながらそれを横目で見るアレックスの口元に、笑みが浮かんだ。博士はこういう場所には連れて来なかったのだろう。詠国人にあるまじき事に。その視線に気付いたのだろうか、ノイラは、エミリーが盛大にこけて洗い物をぶちまける姿より視線を離すと、
「……それは美味しいのですか?」
アレックスからジョッキへ、そして再び彼へと青い両目を向けた。
「勿論……何だ、君も飲んでみたいのか?」
それに応えながら、彼はジョッキを差し出した。対し、ノイラはと言えば、
「いえ、私の機構は飲食出来る様にも味わう様にも造られていませんので……。
折角ですが、辞退させて頂きます。」
そう丁寧な言葉遣いで返し、彼に向けて頭を下げた。
その目元口元に無念な様子を忍ばせながら。
解り易いな、苦笑いを浮かべつつ、アレックスは濃厚な小麦色の飲み物を飲み干した。落ち着いたのか頃合を見計らっていたのか、ノイラは何時もの表情に戻ると、その小さな唇を開かせて、
「……所で。ずっと見ていて気付いた事があるのですが。」
「ああ、何だい。聞かせて見てくれ。」
切り分けたソーセージを口に運ぶアレックスに向けて、こう言った。
「この事件で現場となった場所は数え切れず、また様々な場所で事件が起きています。
それらの場所は、一見するとただただ何も考えず何処ででも行っている。
と思えますが、しかし一つだけ共通点がありました。」
「ふむ……共通点、か。それは?」
「何処の現場も確実に無人である事は無く。
一人か二人に目撃される可能性があると言う事です。」
確かに、それはノイラの言う通りだった。
どの場所も、例え夜であったとしても人の往来が多少ある様な所で、この事件の犯人は常にそんな場所で犯行を行っている。他にもっと適切な、犯罪にはうってつけの場所があるにも関わらず、だ。現に強盗の顔は幾度も目撃されている。それは、短絡的且つ直情的な殺人という手段を持ってその財産を奪ってしまおうと言う犯罪へ至らせる一つの心理、死人に口は無いが本当は更に手も足も体も頭ももとい何もかも無いという事、即ち強盗は出来得る限り被害者との接触を『生きている間は』避けるのだと言う観点からすると、奇妙な点である。
「そう……まるで、犯人はあえて人々に自分を目撃させようとしているかの様な。
そんな気がしてならないのです。」
「……その犯人がハリソン・バウチャーであれば、理由は明白だな。」
腕を組んで唸りながら、アレックスは思案した。
数多の事件に置いてその人相が目撃されており、十中八九犯人であると目されるハリソンが捕らえられない最大の理由は、同じ頃に奴が犯行現場では無く別の所に居るのが確かに目撃されていると言う点にある。その歴然とした怪異を、ただの人間が起こせるとは考えられなかった。ましてやあの様な小悪党には。だが、二人の同一人物の内、どちらか一方でも目撃されていなければ、この怪異は成立しないのである。逆に言えば、これによってますますハリソンは黒へと染まるのだ。
限り無く近く、
「しかしその理由が明るみに出ても。
ハリソン・バウチャー自身が罪を犯している事を証明しないと……。」
「奴を捕らえる事は出来ない、と。
結局、同じ奴が、同じ時間に、別の場所で目撃されているという謎が問題、か。」
そして果てし無く遠い程度に。
溜息を漏らして、アレックスはジョッキにある残りのエールを飲もうとした。
「おっんやぁ。そこに居るのはアレックス・ボールドウィンでは無いか。」
その時、唐突に警部の背中へ、声が掛けられた。
アレックスは、う、とエールを喉に詰まらせる。
振り向かずとも、声だけでそれが誰であるか解った。その、例え明日世界が滅びようとも今日私は女性を口説く、と言わんばかりに明るい調子。直す気の毛頭無い風守蘭鈍りが実に耳障りな英語。そんな喋り方で、自分に話し掛けてくる様な人物など、彼は一人しか知らない。知らない方が良かったのだが。
「……セヴラン・モガールか。」
ジョッキを置いてそう言いながら、アレックスは振り向いた。
それに合わせてノイラも首を動かす。
彼等の背後には、ハンサムな顔立ちをした男が立っていた。しっかりと洗濯され、且つアイロン掛けをした服を着こなし、毎日剃り整えているのだろう口髭を神経質そうな手つきで撫で付けている。その行為が、アレックスには堪らなく嫌だった。それを隠そうともせず、警部は言う。
「三流探偵風情が、まだ詠国に居たのか。
そろそろ故郷が恋しいんじゃないか?早く帰ったらどうだ。」
「相も変わらず口だけは達者な様だな、アレックス。だが、果たして仕事の方は順調かな?
まだ解決出来ていない様じゃないか、ドッペルゲンガー事件。
一体どれだけの歳月を費やせば、犯人を捕らえられるのかね?」
詠国警部の言葉に、モガールも負けじと返す。
その口元には笑みが浮かんでいたが、目は決して笑っていなかった。
セヴラン・モガールと言うのがこの男の名前である。
その名を聞かなくとも、容姿と態度を見れば直ぐに解る通りの風蘭守人である彼は、何らかの理由で祖国に居られなくなったらしく、数年前に大陸からカレー海峡を渡ってこの島国へやって来た探偵である。
だがその職業名は、はっきり言って名前だけだ。この男が、探偵としてが解決した事件などただの一つもありはしない。強いて言えば一件だけ解決しそうになった事件はあった。もし担当の警部が真犯人を見つけなければ、一人の善良なる市民が、甚だ妄想としか言いようの無い推理により、悪名高き殺人鬼としてその名を刻まれる羽目になっていただろう事件であるが。にも関わらず、今だ詠国内で探偵としての活動が出来ているのは、そのルックスと話術が世の淑女達に大変受けている為である。はっきり言って、事件現場を調べるより、聞き込みと称しお嬢さん方と話している時間の方が圧倒的に長い。
寧ろ、そちらの方が本業に思えた。
その職業も推理も、ご令嬢への話題造り、人気取りで行っているのだから。
だから女性からの人気とは裏腹に、男性からの評判は最悪で、特にアレックスはこの男が大嫌いだった。能力も権利も無い癖に事件へと首を突っ込みたがり、勝手気ままに喚き散らして捜査を混乱させるこの三流探偵が。
因みに、モガールが解決し損ねた事件を担当していた警部とは他ならぬ彼である。その為モガール自身もアレックスを嫌っていた。犯人が誰であろうと、何を思って罪を犯そうと、捕まってどうなろうと知った事ではない、自分が活躍すればそれでいいと考えるこの風蘭守人に取って、彼は後もう少しという所までやって来た名誉を掻っ攫って行った憎き堅物野郎であったのだ。勿論それは自業自得だが、そもそも解っていたならば、最初から行動などしまい。
ともあれ、この二人の仲は犬猿どころの騒ぎで無かった。特にモガールは、何かにつけてこの詠国人の鼻をへし折り、更にもぎ取ってやろうと考えており、事ある度にこうして皮肉の一つでも言いに来るのである。実に煩わしい事に、自分では解決出来ぬと知っているから捜査には一切手を出さないで、だ。
「……目下、捜査中だ。」
「そう言い続けて何年だ。ん?もう三年になるのでは無いか。」
その意味でこのドッペルゲンガー事件は、実に打って付けだった。これ程までアレックスに効くネタは他にあるまい。少なくとも今現在においては、この事件は彼のウィークポイントと言って良かろう。
実際解決出来ていないのだから、モガールの言う事も尤もだ。
何も言い返せぬまま、アレックスはぎりっと歯噛みする。
その様子にモガールは大変満足した。
そして満面の笑みを浮かべながらノイラへとウィンクし、
「全く、倦怠にも程がある。そうは思いませんかな、お嬢さん。」
「……えぇ、ですが目下、捜査中です。
私と彼が、もう間も無く解決するでしょう。」
無表情のままにそう返って来た言葉に、面食らった。
アレックスも驚いた様に彼女を見つめる。
「えー……あぁ、失礼。私と彼が、とはどの様な意味でしょうか?」
予想外の言葉に、モガールは恐る恐るそう聞いた。
ノイラは無言で見つめるのみで、代わりにアレックスが応える。
「….…モガール、彼女は探偵なんだ。事件解決の為、俺に協力してくれている。」
「何と、探偵?このお嬢さんが?」
風蘭守人は目を丸くさせながら、口元を醜く吊り上げる。
それは、明らかにノイラを見下していた。
顔と口と名だけで簡単に釣られる様な生き物が探偵とは。
自分を棚に上げてのそんな考えがモガールの表情にありありと浮かんでおり、
「……。」
それに対し、ノイラが北の海程に冷めた視線を向けたのは当然であった。
思わず息を呑みながら探偵は、自分がした過ちに気付き、咳払いを一つして、
「あ、あぁ……これはとんだご無礼を。
女性で探偵とは珍しい為……いや、ですが素晴らしいですな。」
慌ててそう言い繕う。
だが、彼女の視線は氷柱の様に鋭く尖り、決して緩もうとしない。
「……。」
「は、はは……と、それでは私はお暇しましょう。
お二人で捜査頑張ってくださいませ。」
その青い瞳に遂に耐えられなくなったのだろう、乾いた笑いを発しながら、モガールは慌てて退散した。そそくさと出て行きながらも、看板娘エミリーに対する目配せは忘れない男を、アレックスは深い深い溜息交じりに見送った。
そして、どうやら自分を庇ってくれたらしい少女へと向けて、頭を下げた。
「……ありがとうノイラ。助けてくれたのだろう?」
彼女はふんふんと首を横に振りながら、
「いいえ、貴方の為ではありません。」
そう応えた。アレックスは、そんな様子に笑みを浮かべた後、
「しかし、君に比べてあの男の態度と来たら、酷いにも程があるな。
知っているか?あれで評判はいいんだぞ、あの風蘭守人は。
尤も、あくまで女性限定だがな。男達からはからっきし。
加えて頭の中もからっきしの癖に、声援を受ける為だけに事件に首を突っ込み、余計な事をしでかす。ろくに調べてもいない癖に、頭の中にある事実のみを捏ね繰り回して推理と称し、大勢の前で騙るんだ。
そんなのがまた大勢居るのだから、嫌になるな探偵はっ。」
そう忌々しそうに、先程去って行った男の愚痴を語った。
「……。」
そんな彼の方を、ノイラはじっと見つめる。まるで何事かを問い掛けるかの様に。アレックスは訝しがって、聞いた。
「……?……どうした。俺は今何か妙な事でも言ったか?」
彼の言葉に、彼女は長い髪をすっと揺らして小首を傾げながら、こう返す。
「いえ……最後に、探偵、で総括した所に違和を感じました。
父は貴方を探偵が嫌いと言っていました。
が、今の言葉を聞くとただ探偵が嫌いと言うよりも、先程の男性の様な探偵が嫌い……と、感じられたので。」
アレックスはその言葉に虚を突かれた。
確かにモガールの様な人間は大嫌いだし、その様な人間達が探偵と称して顔を突っ込むのも嫌いだった。だが、果たして全ての探偵がそうかと言うと必ずしもそうではあるまい。顔を突っ込むという表現は的を射ているだろうが、しかし無能とは限らない事は自分自身認めている。
つまる所自分はモガールと探偵に対する感情を混濁しており、探偵嫌いとするのは聊か行き過ぎでは無いだろうか。そう考え、己の中でそれを認めると、アレックスはノイラに頷き、その頭を撫でた。
「……そう、だな……嫌い、と言うには言い過ぎかもしれない。
君の様な優秀な人材もいる事だし。」
彼女は頷き返し、眉を軽く吊り上げながら、再び言った。
「はい……後、女性嫌いとも聞いていますが、それも間違いです。
ほら、またそんな事を……止めなさい。」
「嗚呼それは……何だろう、な。自分でも良く解らない。」
「何ですかそれは。ふざけていますか?」
「いや、本当だ。嘘じゃない……いや、待て。」
実際の所その理由は解っていた。
ノイラにアデルの姿を重ねたからである。
だが、それ自体について何故かを考えると、疑問符が浮かぶ。
何故自分はそんな風に感じたのだろうか。別に容姿は似ていない。ただ、すねた時の態度が似ており、外見年齢が近かっただけと言えばそれだけである。故に彼女を人形ではない、少女なのだと感じたのは確かだが、だからと言って行動まで妹のそれと同じにする必要が果たしてあっただろうか。
どうやら、自分は彼女に対して特別な感情を抱いていた様だ。
それも自分で気付かぬ間に。で無ければ、家族の様に気兼ね無く触れるなんてまず出来ないし、他人から何かを指摘され、自分からそれを正そうなんて思いもしなかったろう。
一体その原因は何か、とアレックスは己へと視線を向けた。
だが、答えは出て来なかったので保留する事にした。
そして、考え込む自分を不思議そうに見つめているノイラの方を向くと
「……やはり解らないな……すまない。俺が悪かったから、そんな眼で見るな。」
「……。」
眼を細めて胡散臭そうに見つめる彼女の視線を、嫌という程浴びるのだった。