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第十章 人造人間は蒸気羊の夢を見るか?

 そうこうしている間に二人を乗せた馬車は目的地である論曇(ロンドン)中央部、最も新しい事件が起きた街路へと到着した。

 時刻は昼過ぎ。アレックス・ボールドウィンが銀の懐中時計を開けて見ると、丁度二時になった所であった。純粋なものとは言い難い灰褐色の雲の間から、僅かに傾いた太陽の光が薄っすらと降り注いでいる。その光が微かな影を作る、数階建ての近代的な建物の間に挟まれたこの通りでは、様々な人間が、馬車が往来している。服装でどの層か解る、貴族階級から労働階級までのありとあらゆる詠霧趣(イギリス)人に、挙動が派手な阿真利火(アメリカ)人。浅黒い肌に髭を蓄え、ターバンを巻き付けているのはまず間違いなく寅怒(インド)人で、その隣を通り過ぎて行ったのは色からして中国人だろう。他にも風蘭守(フランス)人、土壱(ドイツ)人、至梨亜(イタリア)人、日本(ジャパン)人と様々な人種が行き来している。その中には恐らく貧民層で能力としても下級な保因者(キャリアー)と思われる、ローブをすっぽりと被り、人目を気にしながら日陰を歩いて行く者も少なく無い。

 その光景はここが百万都市、論曇である事を訪れた者に知らしめるものだ。

 アレックスとノイラ・D・エディソンは、そんな多種多様な人々が行き交う通りの真ん中で、手を取る事もまた取られる事も無く、馬車から降りた。

 そこはある建物の入口から直ぐ前にある、まだ灯の点っていない瓦斯灯が立つ場所であり、そしてまた、一週間程前に起きたドッペルゲンガー事件の現場であった。尤も、既にその証拠は警察によって文字通り洗われてしまっており、ここで強盗殺人が起こったと解るものは精々地面に付いた僅かな染み位なものだが。

 だが、それはここに来る時から解って居た事であり、その上で尚二人は訪れたのである。やはり、現場の空気と言うのはそこに実際にやって来なければ解らないものだ。文章だけではどうしても限界がある。目の見えぬ者が自然の光景の美しさを説明出来ぬ様に、空想は現実の上で始めてその形を成すのである。どれだけ素晴らしい知恵があろうと、幅広い知識と経験が無ければ意味が無い。

 その知識と経験を得る為にこの地に自ら赴いたノイラは、さっとその染みの元に跪いた。アレックスがその隣で、

「事件が起きたのは数日前の夜……と言うのはもう知っているだろう。

 襲われたのは、そこの建物の住人だ。」

 説明しながら、ついと親指を向ける。

 彼女は首だけ動かし、建物の入口を無表情に見た。

 その青い水晶の瞳がぱちりと瞬く。

 アレックスが根気良く説明し、言い諭した成果だ。だが更に注意すれば、その一定時間に置ける平均回数は、女性のものでは無く男性のものだと気付く筈だ。瞬きは定期的に一定の数を行うもの、と言われたノイラが真似したのが、アレックスのものだったからである。

「どうも飲みに行くつもりだったらしい。

 それでこう、出た瞬間に、ぐさり……とな。その上で財布を盗んで行った。

 丁度その時通り掛かった近隣住人が、逃げる男を目撃している。街灯のおかげで、顔の判別が付いたのだが、その人相はハリソン・バウチャーの物と一致していた。しかし、奴は捕らえられていない。

 理由は言うまでも無く、だ。」

 そのアレックスは、そこまで説明すると言葉を切り、神妙な面持ちで首を振った。その理由によって、彼はずっと苦しめられているのである。ノイラは警部の言葉を聞きながら木製の扉とそこに繋がる階段を見、そして再び人の往来によってかすれた血痕を見つめた。アックスには、彼女が何を考えているかは理解しかねた。ただ、胸ポケットに収まっている時計が秒針を進ませるカチカチという様な音が、その銀髪の向こうから聞こえて来る。そんな気がした。

 そんなノイラにアレックスが暫し見取れていると、概ね見終えたのだろう、彼女は立ち上がり、そしてこう言った。

「一夜の憩いを夢想しながら扉を出た瞬間唐突に殺された……。

 被害者はどんな気持ちだったのでしょうか。」

「……何だって?」

 実際に現場を見た上で改めて仮説を言うのかと思っていたアレックスは、ノイラの言葉に面食らった。

 まさか、この機械仕掛けの人形の口からその様な台詞が出るとは。

 それは彼にとっては余りに意外な言葉だった。

 だからこそ、アレックスは思わず言ってしまったのだ。

 即ち、

「気持ちって……そもそも人形の君に人間の心が理解出来るって言うのか?」

 と。

 その瞬間、ノイラは反応を無くした。アレックスは何事かと思いながら、彼女の背中を見つめる。

 すると、不意にその白いブラウス越しの肩が揺れ、ノイラは振り向いた。

 その時始めて彼女の表情を見た彼は、先程よりも遥かに驚いた。

 ノイラが今にも泣きそうな顔を浮かべてこちらを見たからである。

 事実として言えば、それは錯覚にも等しかった。僅かに目元が細くなり、口元が下がっているだけなのだから。彼女が動かす事の出来る顔の部位はその程度に過ぎないのである。勿論涙腺なんてものは備わっていないのだから、本当に涙を流せる訳が無い。だと言うのに、これ程まで如実に感情を示す事が出来るとは。

 アレックスは、フィリップ・エディソンと言う人物の非凡さを改めて実感した。七人教授(セブンマスターズ)には劣るかもしれないが、彼もまた天才に違いない。

 何せ、自分の心をここまで振るわせる様な表情を作り出したのだから。

 彼は、己の言葉が余りに酷だった事に激しく後悔し、謝罪の言葉を述べた。

「あ……すまない。そんなつもりで言ったのでは、」

「いいのです。慣れていますから。ただ、」

 その言葉を途中で制しながら、ノイラは背を向けた。

 そして、申し訳成さそうに視線を逸らすアレックスに言う。

「私が今ここに居るのも、貴方に協力したいと望んだのも……いえそもそも父に造られたのも。

 全てはその心を理解する為にあるのです。

 その可能性だけは、否定しないでください……次に新しい現場へ行きましょう。時間が惜しい。」

 そう言い切るとノイラは、アレックスを余所にさっさと馬車に乗り込んでしまった。罰が悪そうに後へ続いて乗った彼は、彼女の横顔を見る。その顔はもう元に戻り、何の感情も映さぬものへとなっていた。

 その時アレックスは思う。

 人間の気持ちを知りたい、その心を解りたい、と彼女は言った。

 だがしかし、あの顔を見る限り、かなり理解しているのではなかろうか。

 少なくとも、その地平程度には到達しているのでは無いか。

 人形の無表情な横顔を眺めつつ、罪悪感に苛まれながらアレックスは、ふとそう感じたのであった。

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