序 章 自動人形とは何か
最初に、所謂自動人形と呼ばれる者には大きく分けて二種類存在する。
一つは義体式であり、もう一つは電字式である。
この二つには様々な違いがあるのだが、根本的な差異は脳に存在する。
自動人形の要である人工頭脳は、電字式の場合、その名の通りプログラミングにより人格の生成、制御がされているのだが、義体式の場合それは歯車と歯車の組み合わせ、即ち階差機構によって行われている。
この為、その人工頭脳は歯車式人工頭脳とも呼ばれているのだが、驚くべき事に、それを構築する階差機構の仕組みは今もって解明されていない。それ所か、製作者であり私の先祖の友人でもあったクリストフ・フォン・アッシェンバッハ(1827〜1895 土壱)すら、その原理を理解していなかったというのだ。
これは機械によって本物の脳、ひいては人間自体を造り出そうとしたからである。また、その人格形成に当たっては人間の様に一から知識と経験を積ませ、成長する様育てなければならなかった。故に電字式自動人形があくまでも労働機械の延長線上の存在、ロボットだとすると、義体式自動人形はホムンクルス、人造人間だと言えよう。
これが二つの決定的違いである。
また同時に、義体式自動人形が浸透しなかった理由でもある。
何せ手間が掛かり過ぎる。十九醒紀当時においてもその総製造数は(とある狂人の製作数を抜かせば)五十に満たなかったという。それも全てワンオフだ。猫も杓子も電字技術となった現代では尚更で、そもそも旧来の歯車と神経糸を用いた義体技術が既に廃れてしまっているのだから浸透も糞も無い。
だから今では歯車式人工頭脳も、『グルムバッハの瞳』や時間旅行機等と共に『時代錯誤機械郡』の一つに数え上げられている。上二つ程には魔術的、神秘的では無かったが、その頭脳を搭載した義体式自動人形が百年の歳月と二つの大戦、忌まわしきあの1999年七の月を乗り越えて、現在でも複数稼動している事実を知れば、誰もが驚嘆せずにはいられまい。
ハヤヤマ文庫 森 清太郎著
『自動人形 人の魂を宿した物達』(2007)