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前編



彦星と織姫は、新婚早々いちゃラブしすぎて互いのお仕事の業務をおろそかにして、天帝さまさまにお叱りを受けました。その結果、罰として年に一回しかいちゃラブできなくなりました。



「遅い……」


織姫は、怒りがたくさんこめられた重低音ボイスで唸りました。

今日は、一年に一回の大切な日なのです。この日のために、織姫は出来うる手段すべてを使い、一年かけて美を磨きました。すべては、一年に一回しか会えない愛してやまない愛しい旦那さまと会うためです。


「遅い……!」


なのに、待てども待てどもお相手の旦那さまが来ません。二人が毎年会う場所も時間も変わりはありません。

会えないといえども、お手紙のやり取りくらいは許されているのです。

今年も例年のように、いちゃラブできる日の打ち合わせを手紙でしました。この日のために二人は毎年有給休暇を取得しますし、お互いの職場も“おもいっきり楽しんできてね”と、毎年きちんと二人がお休みを取得できるように協力してくださいます。


「7日、午前0時に愛を誓った場所でって記してくれたじゃない……!」


織姫は、その大きな眼からぼろぼろと大粒の涙をこぼします。涙は頬を伝い、ふわふわの雲の地面に落ちる頃には真珠となりました。ひとつ、ふたつと真珠は増えていきました。次第に織姫の周囲は、たくさんの真珠の輝きで満ち始めていました。


「うっ、うっ……」


織姫はどれだけ泣いて、どれだけの真珠を成した頃でしょうか。織姫の周囲1メートルの範囲がすべて真珠で埋まってしまった頃、織姫は顔をあげました。


「………」


いつの間にか、雲と空の境は朝焼けの暖かな橙色の光に染まっていました。橙と紫のグラデーションが見事な光景でした。

この光景は本来なら、織姫が旦那さまと見るはずの光景でした。しかし、織姫はひとりです。


「うー……っ!」


織姫はさらに悲しみが込み上げてきました。何故こうして、たったひとりでこの美しい光景を見ないといけないのでしょう。織姫にとって、とても悲しすぎる出来事です。


「ぐすっ」


ついに織姫は泣き疲れて座り込んでしまいました。この場所は、雲海の中でもひときわ高い場所です。この場所には崖があり、その先は人の世界に繋がっています。美しさに足場をとられて、たくさんの仙女や仙人が落ちていきましたから、誰も来ないのです。

だから、織姫はわんわんと泣きながら、ある行動に出るのにためらいはありませんでした。誰も見るものがいないからこそ、出来たといえたでしょう。


「旦那さまのばかーっ!」


織姫の周囲には、織姫が涙で自己生産した大量の真珠がありました。織姫はそれをわしっとひと掴み、ぽーんと地上に繋がる崖へ投じました。次から次へと織姫は投じていきました。


「……ひっく、ばかぁ」


織姫の涙は止まることを知りません。だから、投じる真珠には事欠きません。

しかし、泣きすぎた織姫の大きな目は限界だったのでしょう、いつの間にかぷくぷくと腫れ上がってしまい、織姫の視界を遮ってしまいました。

こうなってしまっては、この日のためだけに“お手入れ”という努力で苦労して手に入れた美しいかんばせがぱぁです、台無しというものです。


「うぅ〜っ」


この日、織姫は延々と真珠を投じ続けました。それは、雨師さまという天候を司る神様が「人の世に美しい真珠の天気雨が降る」という天帝さまさまからの苦情を受けて調べに来るまで、延々と続いたのでした。




「どうしてこうなったんだい?」


「わかりましぇん」


延々と真珠を投じ、人間界に“晴れたお空から真珠が降ってきた”という珍事を起こしてしまった織姫は、雨師さまを通じて天帝さまよりお叱りを受けてしまったのです。

そうして、今は雨師さまから“真珠を降らせてしまった”原因を聞かれていました。織姫は困ってしまいました。何といえばよいのでしょうか。


「………」


織姫はうつむき、黙ってしまいました。すると自然に、美しい珊瑚でできた卓が視界に入ります。

ここは天帝さまが管理される“仙女・仙人のためのお叱り部屋”です。見るものの気持ちを落ち着かせるという“べーじゅ”という異国の優しい色あいの壁に、ふわふわとした淡い桃色の雲の絨毯。天井はなく、きらきらと輝く星々が見えます。お外はまだ青空が眩しいお昼過ぎなのに、このお部屋だけは何故か夜なのです。


「だまっていてはわかりませんよ、織姫さん。あなたが何故あのようなことをしてしまったのか、教えてくださいませんか?」


にっこりと穏やかに微笑んで雨師さまがいいます。その優しい口調で、雨師さまは今まで何人もの人を「ごめんなさい、実は」と口を割らせてきました。

雨師さまは、天候を司りながらも、こういった仙女や仙人のお叱りをする係りでもありました。ひとえに見た目からでしょう。雨師さまは中性的な、誰もが見惚れてしまうきらきらしい美貌の持ち主なのです。その美々たる青年の容姿を利用して“落とし”ているのですが、この織姫はなかなか“落ち”ません。

雨師さまは何故かイライラし始めました。初めて味わう感情です。何でしょうか、“落ち”ない織姫を“おとし”たくてウズウズするのです。


「……だって」


だって、と鈴の音のように軽やかで可愛らしい声が嗚咽します。ポロポロと、潤む大きな目から、やがては真珠となる涙が流れます。それを見た雨師さまは、あの真珠は織姫の涙なのだと気づきました。同時に雨師さまは、織姫が何故あれだけの真珠を生じさせてしまったのかが気になり始めました。あの場にあった真珠は、大人の男性の雨師さまが抱えきれないくらい、たくさんたくさんあったのですから。織姫は、何が悲しくてあれだけ泣いてしまったのでしょうか。


「泣いてしまうほどに、悲しいことがあったんですか」


雨師さまは、泣きじゃくり続ける織姫を見ました。瞼が赤く腫れ上がり、きらきらした紫玉アメジストのような瞳が半分隠れてしまっています。可愛らしく愛らしいかんばせが台無しです。

雨師さまは、織姫の腫れ上がった目を見て腹が立ってきてしまいました。すぐにその濁ったドロッとした感情に驚きました。これも初めての感情です。雨師さまは、戸惑いました。


「ほら、目が腫れてしまって、綺麗な瞳が隠れてしまいますよ」


いつの間にか、雨師さまは身を乗り出して織姫のかんばせに触れていました。指で涙を拭き取りつつ、治癒の力を込めて腫れた瞼を癒し始めたのです。




「う、し……さ、ま?」


織姫は首をかしげました。何で雨師さまが切なそうな顔で織姫を見ているのか、織姫にはわかりません。


「何でもありません」


雨師さまは気にしないでくださいと続けました。疑問を感じながらも、織姫は腫れが治まった目をぱちぱちと瞬きました。そして、白く細い指で瞼に触れます。雨師さまの優しさに触れているみたいで、どうしてでしょうか、織姫は胸が暖かい気持ちでいっぱいになりました。まるで、旦那さまといちゃラブしていた頃のような暖かさです。


「雨師さま」


だから、織姫は理由を打ち明ける気になれたのかもしれません。こんなにも暖かい気持ちにさせてくれる雨師さまの優しさに触れたからからでしょうか。


「わたくしがかつて、旦那さまとの時間を大切にしすぎて与えられた職務をおろそかにし、天帝さまに直接お叱りをいただいたことをご存知でしょうか」


泣きたくなる気持ちを抑えて、織姫は言葉を続けます。織姫は言葉を続けるのが精一杯だったので、何かに気づいたような雨師さまの驚愕に満ちた表情には気づきませんでした。


「罰として、わたくしたちは離縁させられました。そして、会うことを禁止されたのでございます。自業自得でございます。わたくしたちは過去のわたくしたちを省みて、反省いたしました。お優しい天帝さまは、そんなわたくしたちに一度だけなら会う機会をと、年に一度だけ会うことを許可してくださいました。それが今日なのです」


ここまでいい終えた織姫は、再び涙を流し始めました。


「しかし旦那さまは、今年は織姫のもとへおいでくださいませんでした。お手紙で約束を交わしたのに、わたくしはひとりでした」


ほろり、と一筋の涙が織姫の白い頬を滑ります。


「わたくしは、この日のために一年を生きてきたようなものなのございます。わたくしは、年に一度の逢瀬でございますのに、お会いしたい殿方には会えない哀しい一仙女でございます。どうかお叱りはこれだけにしてくださいませ」


そういって、織姫は両の白い手で可愛らしいかんばせを隠してしまいました。




「なんと」


雨師さまは驚愕しました。織姫と彦星の逢瀬の逸話は知ってはいましたが、それがまだ続いていて、またその日が今日だとは思いにもよらなかったのです。

何故なら、彦星は――


「お顔を見せてください、可愛い織姫」


雨師さまは優しく優しく、織姫の頭を撫でました。黒い艶のある髪は、おそらくは丁寧にまとめあげられていたのでしょう。しかし今となってはあちこちがほつれてしまい、硝子玉の綺麗なかんざしがずれてしまっています。


「彦星は……」


雨師さまは悩みました。

あぁ、織姫は知らないのだとわかってしまったのです。

先に続く言葉を教えてしまっていいのか。知らない方が幸せなこともあります。でも、それでは織姫の涙は止まらないままでしょう。この先に続く言葉を知らなければ、織姫は泣き暮らし続けることでしょう。

なので、雨師さまは決心しました。織姫の涙を止めるためにも、心を鬼にしたのです。

この先に続く言葉を知った織姫はより悲しくなるかもしれませんが、その先は悲しみを乗り越えることができるはずです。何故なら、事実を知らなければいつまでたっても泣き続け、乗り越えることなど到底無理だからです。


「彦星さまは?」


赤く潤み始めた眼で、織姫は雨師さまを見てきます。きょとんとしたその様子は、思わず守りたくなってしまう愛らしさです。雨師さまはぐっとこらえ、勇気を出して続けました。


「彦星は――」


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