眠るまで一緒にいるよ
「マリンが眠るまでそばにいるよ」
そう言って私の手を握りながら、婚約者のエリックは目を細めたのだった。
最近の私はうまく寝付けない日が続いており、とうとう今日は眠れなくなってしまった。
お医者様には「ストレスが原因のようです。何か心当たりはありますか?」と聞かれたが、心当たりしかない。
なんせ第三王女殿下が、婚約者のエリックを狙い始めたのだから。
第三王女殿下はいわゆる『人のもの』がお好きなタイプで、婚約者のいる男性ばかりを狙っては遊ぶのを楽しまられている。
いくら身分の高いご令嬢が文句を言っても聞き入れてはもらえず、もうすぐ遠い異国へ輿入れされるからそれまでの辛抱だと我慢を強いられている状況だ。
まんまと婚約者と遊ばれて泣いているご令嬢の涙を見たばかりだというのに、まさかエリックまで狙われるとは…。
伯爵令嬢の私ではできることがほとんどない上に、伯爵令息のエリックにまで手を伸ばすとは、噂以上に節操がないようだ。
まだ狙いを定められているだけで、何も起こっていないとはいえ、もう頭も痛いし、胃も痛いわ…。
エリックならきっと大丈夫。
そう思うのに、毎日城へと登城して仕事をしている彼のところへ第三王女殿下が訪ねに行っていたら…。
夜会で遠巻きに私をニタニタと見ている王女殿下が言葉巧みに、エリックに近づいちゃったら…。
そんなことを考えても仕方がないというのに、ずっと考えてしまうのだ。
せめて、第一王女や第二王女が嫁がれていなければ抑止力になってくださったでしょうに…。
もう叶わぬ願いを望んでもしょうがないのだが、やはりお姉様方が国を出て行かれたからは末の姫である第三王女殿下の好き放題な状況に、少なくとも年の近い私たち世代の女性陣からは反感を買っている状況だ。
全員が総じて「早く嫁いでくれ」と思っていることだろう、…今回の件で私もその一派に加わりそうだ。
ううっ、胸がムカムカして気持ち悪い……。
「悪いんだけど、お水を持って来てくれる?」
自室に水を持ってくるように頼んだ侍女は、お客様も連れて戻ってきた。
「エリック!?どうしたの、今日約束をしていたかしらっ?」
その客は婚約者のエリックで、慌てて立ち上がろうとしたけれどエリックに両肩を抑えられたのだった。
「仕事が早く片付いたんだ。だから、顔が見たくて寄っちゃった。約束もなしにごめんね?」
「ううん、顔が見られて嬉しい」
「僕も。……マリン、あんまり顔色がよくないね。医者を呼んだとさっき執事から聞いたけど、大丈夫?」
優しい声とエリックの手の甲が、私の頬をサラッと撫でていく。
その骨ばった手が、そのまま私のおでこを撫でた。
あ、使用人たちに口止めしておくのを忘れたわ…。
「大丈夫よ、ちょっと疲れているだけみたい」
「何か困りごとでもある?最近、浮かない顔をしていることが多いよね?」
「え…」
気づかれていたようで、つい自分の目元を触ってしまった。
クマがひどいのが、バレていないといいんだけど…。
「マリン、言いたいくないことだってあるってわかるよ。でも、話せそうなら教えてほしいな。僕はマリンが大事だから、力になりたいよ」
真剣な目が私の方を向いて、気持ちがグラリとした。
大丈夫、エリックなら不誠実なんかことはしない。
わかっているのに、こんなに臆病になってしまうのが、もっとイヤ…。
だんまりしている私のそばで、エリックはしゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ。
「マリンにそんな顔をさせている奴のことは、ぶっ飛ばしに行かないとだな…」
真顔で言ってくるものだから、力が抜けて笑ってしまった。
「…ふふ、ダメよ。身分の高い方なんだから」
「なんだ、上位貴族にでも嫌がらせされているの?」
「あっ、いや…」
「安心して。ちゃんと裏から手を回して、それ相応の報いを受けさせるから」
「ううん、そんなことはいいんだけどっ…」
エリックが心配そうに私を見ているのがわかって、少しだけ勇気が湧いた。
ええっい、聞いちゃえ…っ!
「だ、第三王女殿下と仲がよかったりする…?」
声が裏返ったけれど、聞きたいことは聞けていた。
「第三王女殿下?」
意外そうな声とともに、だんだんとエリックの表情が険しくなっていく。
「エリック……?」
「マリンから彼女の名前が出るとは思わなかったな」
「あの…」
「殿下なら、最近やたらと僕に会おうとしてくるよ」
ああ、やっぱり…、仕事中に会っているんだ…。
「本当にいい迷惑だよね。全く仲よくないよ。むしろ、どうにか距離を取りたいと思っているんだよね」
「そうなの…?」
「あれでしょ、婚約者のいる男とか既婚者の男が好物らしいよね。身分が高いからって、なんでもできると思ったら大間違いだし、本当にいい加減にしてほしい」
その声と表情は嘘なく嫌そうにしていて、なんだか拍子抜けだった。
というか、ここまで嫌そうにしているのも意外で、王女殿下は何をなされているんだと逆に心配になってくる。
「何人かの婚約者様は、王女とお遊びになられたと聞いたから…」
「えっっ、もしかしてそのことで心配させてた!?ごめん、王女なんて全然眼中にないから気にしてもなかった!」
「え、あ、そっか」
「それで顔色がよくないの?気づかなくてごめんね!?」
「ちょっとだけ、考えすぎて、眠れなかっただけで…」
「ええぇっ、マリンが気にしているとは思わなかった。だって、僕マリンが好きだし」
「うん、それはそうなんだけど」
あれ、想像以上に心配することなかったみたいだ。
王女殿下でも、エリックはおとせなかったのかしら。
「寝てないってどれくらい?僕がそばにいたら、王女の相手もしていないって証明になる?僕、今日ずっと一緒にいようか?」
「ええっ、そこまでじゃないから大丈夫よ」
「でも、マリンに誤解されたくないし」
エリックは私の手を取って立ち上がらせると、そのまま奥の寝室へと入っていった。
「エリック、さすがに結婚前にこれはまずいわ…」
「マリンの侍女三人と侍従三人体制でものすごく見張られているけれどね」
「そうだけど」
「あーあ、早く結婚したいな。二人きりじゃないなんて残念すぎる」
エリックはそう言いながら、私をベッドへと連れていって横にならせた。
「今日はマリンが眠るまでそばにいるよ。だからもうおやすみ?」
「エリック、王女殿下に何されているの?あなたこそ、疲れた顔をしているんじゃないの?」
そう訊くと、エリックはフッと力が抜けるように笑った。
それから、スッと真顔に戻ってきっぱりと言い切った。
「僕、下品な人好きじゃないんだよね」
「え」
「第三王女殿下って、いっつも胸がガバリと開いたドレスだよね。あれ、薄気味悪いからやめてほしい」
「え、…っと」
「あと、どギツイ香水ね。虫除けのために強烈に匂いを出す特殊な花より臭いよね。毎回、鼻が曲がりそうになるからほんとに会いに来ないでほしい」
「あー、えー…」
「大体、男がみんな婚約者を蔑ろにして遊びたい生き物だと思っているところが、何より気色悪いよね。知ってる?僕の部署の既婚者先輩たちからは軽蔑されまくってて、僕に突撃しにくるたびに鬼のように叱られているんだよ。でも当然だよね、愛妻家ばっかりの部署に来ているんだからさ。それなのに懲りずに毎度やってくるのって、頭悪すぎると思わない?そもそも仕事場に来るなんて、邪魔だからやめてほしいし。あれでよく嫁ぎ先が決まったよね。まあ、厄介払いのために国王が何ヶ月も移動にかかる国に嫁がせるって決めたらしいけど、先方も可哀想にね」
「……そろそろ不敬罪で捕まると思う」
なんとか口を挟むと、エリックは心底嫌そうな顔からいつもの優しい顔に戻った。
「というわけで、あんな人に微塵も興味がなければ、靡くこともないので、安心して寝てください」
「エリック…」
「ほら、手を繋いだままにしておこう?マリンが眠れるまで、僕ここにいるから」
「まだ婚約の身で、寝るまで一緒に過ごすなんて知られたら醜聞になってしまうわよ」
「第三王女以上の醜聞なんてこの国にないと思うけどね」
「それは…」
「大丈夫、そうなったらなんとかするから。それに、僕がこの手を許すのはマリンだけだし」
そう言って、エリックはグッと手を握り直した。
その体温が心地よくて、久しぶりにうとうとしてきた。
瞼が重くて、視界がゆらゆらと揺れていく。
「ほら、おやすみマリン。手を繋ぐのも、心を預けているのもマリンだけだから、安心してね」
「……エリック、あのね」
「うん?」
「私も大丈夫って思ってた、の……。でもね、王女殿下に、エリックは私が好きなので…って言えなかったことを、後悔、し、てた、の……」
それだけ言うと、事切れるように私は眠りに落ちていった。
たしかに感じたままの体温に身を委ねるように、最近の分を取り戻すように深く深くと眠った。
「うん、僕が愛しているのも、好きだと伝えたいのもマリンだけだよ。……不安にさせてごめんね、マリン」
夢の中でエリックの優しい声がして、「ううん、大丈夫よ」と返した気がする。
これだけ寝れたのは、久しぶりのことだった。
ちなみに後日私たちの噂は流れることとなった。とてもとても脚色されて。
その内容は、『節操のない第三王女に襲われそうになったエリックは、どうしても婚約者のマリンに抱き締めて欲しくて家を訪ねて、遅い時間までそばにいてもらった』というものだった。
夜会でエリックが率先して「マリンじゃないとダメなんです」と触れ回るものだから、私も恥ずかしかったし、当の第三王女殿下は顔を真っ赤にさせていた。
相手にされなかったどころか、存在が無理ですと遠回しに言われたものだから、恥をかいたおかげか、輿入れするまでのわずかな期間の火遊びはおさまって、なぜか私は他のご令嬢たちに感謝されることになったのだった。
あと、もっと先の話だが、結婚したあとのエリックは必ず私の隣で寝てくれるのだった。
私としては、それが一番嬉しいことだったりしてね。
了
お読みくださりありがとうございました!!
263日目。




