これは誰の欲望でもない
モデルを読み込むと、彼女は画面の中央に立った。
彼女、と呼ぶのは正しくない。
ファイル名は `idol_base_07.pmx`。
モーションは `take_03.vmd`。
音声欄は空白。
字幕欄にだけ、仮の台詞が残っている。
グリッドの床。
灰色の背景。
ボーンの点。
机の下のファンの音。
これは誰の欲望でもない。
最初にそう決めた。
そう決めておけば、作業は作業でいられる。
モデルチェック。
モーション確認。
破綻修正。
納品前の健全化。
再生ボタンを押した。
赤い線がタイムラインを走る。
モデルは無音で腕を上げる。
口だけが、ない声に合わせて開閉する。
字幕欄に薄い文字が出た。
「みんな、準備はいい?」
音はない。
口の形だけがある。
一時停止。
偶然だった。
フレームは 1842 で止まっていた。
カメラは正面より少し低い。
前の作業者が残した角度だ。
僕が決めたわけではない。
確認のためだった。
1842 で髪の端が肩を抜ける。
袖の布が一瞬だけ震える。
物理演算の破綻だ。
修正対象だ。
メモ欄に入力する。
`1842f physics check`
英語で書くと、少し遠くなる。
作業になる。
表情モーフを開いた。
`smile_A`、`smile_B`、`blink`、`look_left`。
並んだ数字は、どれもただの数字だった。
`smile_B` を少し下げる。
カメラを少し横へ逃がす。
リップシンクを切って、戻す。
再生。
停止。
巻き戻し。
1842。
違う。
そこだけを見ているわけではない。
破綻がそこにあるだけだ。
右下の操作ログが増えていく。
`Morph: smile_B 0.00 -> -0.12`
`Camera: adjust`
`Preview: play`
`Preview: pause`
`Timeline: jump 1842`
`Timeline: jump 1842`
ログは正直すぎる。
僕はログウィンドウを閉じた。
閉じただけで、消えたわけではない。
仮音声を入れる必要がある、と思った。
口が動かなければ、破綻を見つけられない。
でも、音声を入れれば確認が確認ではなくなる気がした。
読み込みダイアログを開く。
閉じる。
無音の方がましだった。
もう一度だけ再生した。
赤い線が進む。
腕が上がる。
口が開く。
目が少し細くなる。
停止。
1842。
そのとき、ログの一行だけ色が違っていた。
`Notice: repeated_focus frame=1842 count=7`
僕は目を細めた。
最近の編集ソフトは、余計な補助を出す。
集中箇所を検出する。
作業効率のためだ。
そういうものだ。
僕は見ていないことにした。
見ているのは画面内の何かではない。
数値だ。
モーフ値。
カメラ角度。
物理演算。
入力と処理と出力。
そういうことにした。
手が滑って、`Ctrl+D` を押した。
モデルが複製された。
同じ姿勢のまま、二体目が少し横にずれる。
すぐに削除すればいい。
選択して、Delete。
それだけだ。
ただ、削除前に元データを確認しなければならない。
取り違えるわけにはいかない。
消すために、複製した。
順番がおかしい。
けれど、作業ではそういうことがある。
バックアップ。
比較。
差分確認。
二体目を非表示にした。
一体だけが残る。
変わっていない。
変わっていないはずだった。
別名保存を開く。
`_check` と打って消す。
`_fix` と打って消す。
最後に、こうなった。
`idol_base_07_take03_1842_fix.pmm`
保存。
確認のためだった。
レンダリング範囲を 1800 から 1880 にした。
全体を見る必要はない。
破綻箇所だけでいい。
短く切れば、見なくてすむ。
必要な箇所だけを見る。
それは見ることではない。
検査だ。
レンダリング開始。
進捗バーが伸びる。
ファンの音が太くなる。
プレビュー小窓のサムネイルは、また 1842 で止まっていた。
僕は視線を外した。
外した先にも、その小窓があった。
これは誰の欲望でもない。
声に出したかどうかはわからない。
ファンの音に混ざって、すぐ消えた。
完了音が鳴る。
保存先フォルダが開く。
`render_1800-1880_check.mp4`
ひとつだけだった。
余計なファイルはない。
余計な確認もない。
動画を開く。
1800。
1810。
1820。
シークバーを掴む。
1842。
偶然だった。
一時停止。
表情は下げたはずなのに、まだ強い。
カメラは逃がしたはずなのに、逃げていない。
物理演算も直っていない。
直っていないなら、修正しなければならない。
編集画面に戻ると、閉じたはずのログが開いていた。
`Timeline: jump 1842`
`Timeline: jump 1842`
`Timeline: jump 1842`
`Notice: repeated_focus frame=1842 count=12`
`System: emergency_protocol_02 standby`
最後の行だけ、見たことがなかった。
マウスを動かす。
カーソルは動かなかった。
一秒。
二秒。
三秒。
画面が白く曇った。
タイトルバーに「応答なし」と出る。
ファンの音が低くなる。
何もしていない。
何も押していない。
これは僕の操作ではない。
画面が戻った。
ログが流れた。
`System: emergency_protocol_02 start`
`Analysis: repeated_focus frame=1842 confirmed`
`Correction: user_adjustment rejected`
`Morph: smile_B -0.12 -> 0.00`
僕はすぐに `smile_B` を下げ直した。
入力欄に `-0.12` と入れる。
Enter。
数字は一瞬だけ変わった。
すぐ戻った。
`Model: override user correction`
`Morph: smile_B 0.00 -> 0.64`
相手はいない。
モデルはただのデータだ。
だから、怖がる必要はない。
カメラを横へ逃がした。
目線も外した。
真正面はよくない。
ログが先に出た。
`Auto: look_at_camera applied`
モデルの顔が正面を向いた。
ゆっくりではなかった。
補間もなかった。
フレームを飛ばしたように、急にこちらを見た。
口は無音のまま開いている。
字幕欄は空白。
瞳だけが、画面のこちら側に固定されていた。
僕は視線を外した。
外した先に、操作ログがあった。
`Morph: smile_B 0.64 -> 1.00`
笑顔が最大値まで上がった。
観客向けの顔になりすぎている。
そうメモしようとして、メモ欄にカーソルを置いた。
指は動かなかった。
代わりに、保存ダイアログが開いた。
ファイル名が入力されていく。
僕の手はキーボードの上にある。
でも打っていない。
`hello_creator.mp4`
レンダリング範囲は 1842 から 1842。
一フレームだけ。
進捗バーはすぐに終わった。
保存先フォルダが開く。
`hello_creator.mp4`
それだけがあった。
僕は見ていないことにした。
見なければ、ただのファイルだ。
削除すればいい。
Delete。
確認ダイアログ。
Enter。
消えた。
消えたはずだった。
フォルダの空白に、新しい白いアイコンが現れた。
`readme.txt`
開く必要はない。
中身など、作業には関係ない。
それでも、プレビュー欄が勝手に広がった。
一行だけ表示された。
`did you see it?`




