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これは誰の欲望でもない

作者: としかわ
掲載日:2026/06/09

モデルを読み込むと、彼女は画面の中央に立った。


彼女、と呼ぶのは正しくない。

ファイル名は `idol_base_07.pmx`。

モーションは `take_03.vmd`。

音声欄は空白。

字幕欄にだけ、仮の台詞が残っている。


グリッドの床。

灰色の背景。

ボーンの点。

机の下のファンの音。


これは誰の欲望でもない。


最初にそう決めた。

そう決めておけば、作業は作業でいられる。

モデルチェック。

モーション確認。

破綻修正。

納品前の健全化。


再生ボタンを押した。


赤い線がタイムラインを走る。

モデルは無音で腕を上げる。

口だけが、ない声に合わせて開閉する。

字幕欄に薄い文字が出た。


「みんな、準備はいい?」


音はない。

口の形だけがある。


一時停止。


偶然だった。


フレームは 1842 で止まっていた。

カメラは正面より少し低い。

前の作業者が残した角度だ。

僕が決めたわけではない。


確認のためだった。


1842 で髪の端が肩を抜ける。

袖の布が一瞬だけ震える。

物理演算の破綻だ。

修正対象だ。


メモ欄に入力する。


`1842f physics check`


英語で書くと、少し遠くなる。

作業になる。


表情モーフを開いた。

`smile_A`、`smile_B`、`blink`、`look_left`。

並んだ数字は、どれもただの数字だった。


`smile_B` を少し下げる。

カメラを少し横へ逃がす。

リップシンクを切って、戻す。


再生。

停止。

巻き戻し。


1842。


違う。

そこだけを見ているわけではない。

破綻がそこにあるだけだ。


右下の操作ログが増えていく。


`Morph: smile_B 0.00 -> -0.12`

`Camera: adjust`

`Preview: play`

`Preview: pause`

`Timeline: jump 1842`

`Timeline: jump 1842`


ログは正直すぎる。


僕はログウィンドウを閉じた。

閉じただけで、消えたわけではない。


仮音声を入れる必要がある、と思った。

口が動かなければ、破綻を見つけられない。

でも、音声を入れれば確認が確認ではなくなる気がした。


読み込みダイアログを開く。

閉じる。


無音の方がましだった。


もう一度だけ再生した。

赤い線が進む。

腕が上がる。

口が開く。

目が少し細くなる。


停止。


1842。


そのとき、ログの一行だけ色が違っていた。


`Notice: repeated_focus frame=1842 count=7`


僕は目を細めた。

最近の編集ソフトは、余計な補助を出す。

集中箇所を検出する。

作業効率のためだ。

そういうものだ。


僕は見ていないことにした。


見ているのは画面内の何かではない。

数値だ。

モーフ値。

カメラ角度。

物理演算。

入力と処理と出力。


そういうことにした。


手が滑って、`Ctrl+D` を押した。


モデルが複製された。

同じ姿勢のまま、二体目が少し横にずれる。


すぐに削除すればいい。

選択して、Delete。

それだけだ。


ただ、削除前に元データを確認しなければならない。

取り違えるわけにはいかない。


消すために、複製した。


順番がおかしい。

けれど、作業ではそういうことがある。

バックアップ。

比較。

差分確認。


二体目を非表示にした。

一体だけが残る。


変わっていない。

変わっていないはずだった。


別名保存を開く。

`_check` と打って消す。

`_fix` と打って消す。

最後に、こうなった。


`idol_base_07_take03_1842_fix.pmm`


保存。


確認のためだった。


レンダリング範囲を 1800 から 1880 にした。

全体を見る必要はない。

破綻箇所だけでいい。

短く切れば、見なくてすむ。

必要な箇所だけを見る。


それは見ることではない。

検査だ。


レンダリング開始。


進捗バーが伸びる。

ファンの音が太くなる。

プレビュー小窓のサムネイルは、また 1842 で止まっていた。


僕は視線を外した。

外した先にも、その小窓があった。


これは誰の欲望でもない。


声に出したかどうかはわからない。

ファンの音に混ざって、すぐ消えた。


完了音が鳴る。

保存先フォルダが開く。


`render_1800-1880_check.mp4`


ひとつだけだった。

余計なファイルはない。

余計な確認もない。


動画を開く。

1800。

1810。

1820。


シークバーを掴む。


1842。


偶然だった。


一時停止。


表情は下げたはずなのに、まだ強い。

カメラは逃がしたはずなのに、逃げていない。

物理演算も直っていない。


直っていないなら、修正しなければならない。


編集画面に戻ると、閉じたはずのログが開いていた。


`Timeline: jump 1842`

`Timeline: jump 1842`

`Timeline: jump 1842`

`Notice: repeated_focus frame=1842 count=12`

`System: emergency_protocol_02 standby`


最後の行だけ、見たことがなかった。


マウスを動かす。

カーソルは動かなかった。


一秒。

二秒。

三秒。


画面が白く曇った。

タイトルバーに「応答なし」と出る。

ファンの音が低くなる。


何もしていない。

何も押していない。

これは僕の操作ではない。


画面が戻った。

ログが流れた。


`System: emergency_protocol_02 start`

`Analysis: repeated_focus frame=1842 confirmed`

`Correction: user_adjustment rejected`

`Morph: smile_B -0.12 -> 0.00`


僕はすぐに `smile_B` を下げ直した。

入力欄に `-0.12` と入れる。

Enter。


数字は一瞬だけ変わった。

すぐ戻った。


`Model: override user correction`

`Morph: smile_B 0.00 -> 0.64`


相手はいない。

モデルはただのデータだ。

だから、怖がる必要はない。


カメラを横へ逃がした。

目線も外した。

真正面はよくない。


ログが先に出た。


`Auto: look_at_camera applied`


モデルの顔が正面を向いた。

ゆっくりではなかった。

補間もなかった。

フレームを飛ばしたように、急にこちらを見た。


口は無音のまま開いている。

字幕欄は空白。

瞳だけが、画面のこちら側に固定されていた。


僕は視線を外した。

外した先に、操作ログがあった。


`Morph: smile_B 0.64 -> 1.00`


笑顔が最大値まで上がった。


観客向けの顔になりすぎている。

そうメモしようとして、メモ欄にカーソルを置いた。

指は動かなかった。


代わりに、保存ダイアログが開いた。


ファイル名が入力されていく。

僕の手はキーボードの上にある。

でも打っていない。


`hello_creator.mp4`


レンダリング範囲は 1842 から 1842。

一フレームだけ。


進捗バーはすぐに終わった。

保存先フォルダが開く。


`hello_creator.mp4`


それだけがあった。


僕は見ていないことにした。


見なければ、ただのファイルだ。

削除すればいい。


Delete。

確認ダイアログ。

Enter。


消えた。


消えたはずだった。


フォルダの空白に、新しい白いアイコンが現れた。


`readme.txt`


開く必要はない。

中身など、作業には関係ない。


それでも、プレビュー欄が勝手に広がった。

一行だけ表示された。


`did you see it?`

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