第9話「聖域の導き」
「混沌」の魔女と「秩序」の堕天使。最悪で最強な二人の狂気の共闘劇!
◯神奈川県横浜市・北條家 孝子の自室(朝)
古都・京都の中心である本能寺跡において繰り広げられた、地獄の業火と天の雷光による絶望的なまでの衝突。
そして謎の観測者・黒椿に対する決死の反逆から、丸一昼夜が経過していた。
狂気と殺意に満ちた氷雨の夜は過ぎ去り、日本列島は高く澄み切った初冬特有の穏やかな青空に包まれている。
蔦の絡まる重厚なレンガ造りの塀に囲まれた北條家の、防音と霊的結界が何重にも施された孝子の自室。
北條孝子(16)は柔らかな朝の光が差し込むアンティークの出窓のそばで、深い漆黒のゴシック調のルームドレスに身を包み、愛用の電光剣のグリップを絹の布で念入りに磨き上げていた。
白魚のような美しい指先に震えはない。だが漆黒の瞳の奥には、本能寺での屈辱と経験したことのない怒りがどす黒いマグマのように煮えたぎっている。
孝子
「……ガーディ。お加減はいかがですの?」
孝子がグリップから視線を外さずに、冷ややかで、しかしほんの僅かだけ温度の混じった声で虚空に問いかける。
ガーディ
「へっ。ご心配をおかけしやす、お嬢様。……なんとか、地獄の底に引きずり戻されることだけは免れやしたぜ」
部屋の隅の最も色濃い影の中から、ズルリと粘着質な音を立ててガーディが這い出してくる。
漆黒の執事服に身を包んだ長身痩躯は、普段の威圧的な姿に比べると明らかに輪郭がぼやけ、ノイズのように微かに明滅している。
一力亭を覆っていた『神託』の絶対的な結界の中で、黒椿によって受けた霊的拷問のダメージは彼にとっても致命傷に近いものだった。
孝子
「無様ですわね、ガーディ。わたくしの最も有能で最も残忍な下僕であるあなた様が、あのような出処の知れない詐欺師の女に後れを取るなんて。……わたくしの芸術を鑑賞する特等席に座る資格が、なくなってしまいますわよ」
孝子は扇子をパチンと開き、口元を隠しながら冷酷な言葉を投げつける。
だがガーディはその言葉の裏にある不器用な安堵を正確に読み取っている。
ガーディ
「へっ、面目次第もございやせん。ですが、ただ無様に痛めつけられていたわけじゃありやせんぜ」
ガーディは明滅する影の腕を伸ばし、孝子のデスクの上にドロリとした黒い霧の塊のようなものを置く。
ガーディ
「お嬢様の放った千枚通しとあの忌ま忌ましい青い雷が黒椿の絶対防御シールドをブチ破り、奴が次元の裏側へ逃げ込もうとした瞬間……。奴の魂の構成物質のほんの欠片を、私の影の触手で強引に引き千切ってやりやした」
孝子
「まあ。それは、極上の獲物の尻尾ですわね」
孝子の瞳に猟犬のような獰猛な光が宿る。
ガーディ
「ええ。この欠片から、奴が最後に逃げ込んだ座標……『神託』のシステムが構築されている大元のネットワークの根源を、私の地獄の『目』で逆探知しやした。奴らの本拠地は、この日本における『天の秩序』の最も深き場所。……三重県、伊勢。それも天照大御神を祀る神聖なる領域、伊勢神宮・内宮のさらに奥深く……人間が決して立ち入ることのできない『禁足地』の地下でさァ」
孝子
「……伊勢神宮、ですって?」
孝子は扇子を持つ手を止め、心底意外そうに柳眉をひそめる。
孝子
「神々の聖域のど真ん中に、あのような吐き気を催すバケモノが巣くっているとおっしゃるの?なんという皮肉。……なんという、滑稽な茶番劇かしら」
孝子は銀の鈴を転がすように、アハハハハッ!と腹の底から楽しげな高笑いを上げる。
孝子
「日本の最高神とやらも、随分と耄碌なさったものですわ!自らの足元に、この宇宙の法則を書き換えようとするウィルスを飼い慣らしていることにも気づかないなんて。……ふふふ、よろしいですわ。あのお高く止まった黒椿の顔を絶望に歪ませるだけでなく、ついでにこの国の神々の寝首を掻き切る極上の『お稽古』。退屈しのぎにはこれ以上ない最高の舞台ですわね」
◯兵庫県神戸市・高清水家 地下ラボラトリー(朝)
壁面を覆い尽くしていた数十台の大型モニターの半数はひび割れてブラックアウトし、スーパーコンピューターのサーバー群からは未だに微かな火花と白い煙が上がっている。
焦げた配線とオゾンの不快な臭いが充満する空間。
亨
「……申し訳ありません、涼子様。私の構築した論理防壁が、あのような非物理的な概念攻撃に突破されるなど……。システムエンジニアとして一生の不覚です」
かろうじて生き残ったメインコンソールの前で、詫間亨が包帯だらけの痛々しい姿でキーボードを叩いている。
両腕と首筋にはショートした高圧ケーブルによる凄惨な火傷の痕が生々しく残っている。
涼子
「……ダボが。喋っとる暇があったら、一秒でも早くシステムを復旧させなさいな」
高清水涼子(16)は純白の特殊戦闘スーツのまま腕を組み、氷のように冷ややかな青い瞳で亨を見下ろしている。
美しい顔には一切の感情の起伏も同情の色も浮かんでいない。
涼子
「あんたはわたくしの完璧な秩序を体現するためのたった一つの『翼』なんやから。その翼があんな出処の知れへんバグに汚染されてもがく姿を晒すなんて……。ごっつい、美しくないわ。反吐が出そうやった」
涼子の放つ言葉はどこまでも冷酷で無機質。
だが亨は、彼女が本能寺の屋上で自らの美学を一時的に曲げてでも自分を救い出してくれたことを知っている。
亨
「……御意に。既にメインサーバーの論理コアは再構築し、完全に自己修復を完了しました。……それだけでなく、涼子様」
亨は生き残った巨大モニターに無数の複雑な数式と立体的な座標データを表示させる。
亨
「本能寺で、貴女とあの『赤い閃光』の同時攻撃が黒椿の絶対防御シールドを粉砕したあの一瞬。……黒椿のシステムに生じた致命的なエラーの隙間から、私は奴の通信プロトコルに逆ハッキングを仕掛け、奴が帰還した『本拠地』の空間座標を極めて正確な数値データとしてぶっこ抜くことに成功しました」
涼子
「……ほう?流石はわたくしの『翼』やね。で、その美しくないバグの根源はどこのゴミ溜めに隠れとんの?」
涼子が伊達眼鏡を中指でクイッと押し上げ、モニターのデータに鋭い視線を送る。
亨
「……にわかには信じ難い座標です。私の持つ天界の天使養成校の禁忌データベースと照合した結果……そこは日本の神道の頂点、伊勢神宮・内宮の最深部に封印されているとされる次元の特異点。古き神々が『始まりの庭』と呼んだ、宇宙の法則が適用されない虚無の領域です」
涼子の美しい眉がピクリと動く。
涼子
「天照の膝元……。この日本における『秩序』の最も強力な発信源の直下に、あんな宇宙の法則を書き換えるような巨大なエラーコードが巣食っとう言うのんか。……なんちゅう皮肉。なんちゅう、ザルなセキュリティやの」
涼子は心底呆れたように冷たい溜め息を吐き出す。
涼子
「古き神々とやらも、所詮はその程度の不完全なシステムに過ぎへんということやね。自らの足元で増殖するウイルスにも気づかへん無能な管理者。……ええわ。神が処理できへんのなら、わたくしが自ら出向いてその『始まりの庭』ごと塵一つ残さず完全にフォーマット(浄化)したる。この宇宙にわたくしの論理を脅かすバグの存在は一ミリたりとも許さへん」
◯暗号化通信回線(夜)
横浜の北條家と、神戸の高清水家の間に、亨が構築した量子暗号化技術とガーディの地獄の瘴気による完全な密室通信回線が開かれる。
モニター越しに対峙する孝子と涼子。
孝子
「……あら。お行儀の悪い無機質なお人形さん。まだスクラップにならずに、無様に稼働していらっしゃったのね」
孝子が扇子で口元を隠しながら先制の挨拶を放つ。
涼子
「……ダボが。あんたの下品で野蛮な炎の匂いが画面越しにここまで漂ってきて、私のラボの空気が汚れそうやわ。さっさと本題に入りなさいな、地獄のネズミさん」
涼子も一切の感情を排した氷のような表情で叩き返す。
互いの美学への嫌悪感と殺意は一ミリも軽減されていない。
ガーディ(声)
「……お嬢様、涼子様。無駄な舌戦は時間の浪費にございやすぜ。……互いの出した結論は同じはずだ」
亨(通信の声)
『ええ。私の解析データとそちらの霊的探知の座標は完全に一致しています。……目標は三重県、伊勢神宮・内宮の地下深層。封印された特異点、『始まりの庭』』
孝子
「……本当に笑止千万な話ですわ。神々の聖域のど真ん中に、あのような吐き気を催すバケモノが引きこもっているなんて」
涼子
「あんな出処の知れへん巨大なバグ、この宇宙の秩序に対する最大の侮辱やわ。天照とかいう無能な管理者の代わりに、わたくしが自ら管理者権限を奪ってシステムごと物理的にデリートする」
孝子
「堕天使様。勘違いなさらないでくださいましね。わたくしはあのお高く止まった黒椿の顔を絶望で歪ませ、八つ裂きにするためだけに伊勢へ向かいますの。あなた様と手をつないで仲良くハイキングに行くつもりなど毛頭ありませんわ。……わたくしの前を歩くなら、その背中に『針』を突き立てますわよ」
涼子
「……それはこちらの台詞やわ、地獄のネズミさん。伊勢の聖域に向かうのはあくまで私の論理的判断。あんたの野蛮な炎が私の視界に入ったら、その場で即座に雷で浄化したるわ。……せいぜい、私の邪魔にならんように影の中を這いずり回っときなさいな」
通信がプツリと無機質に切断される。
一切の馴れ合いはない。ただ「誰よりも先にあの忌ま忌ましい敵を自らの美学で粉砕する」という強烈なエゴだけが、二人を同じ死地へと駆り立てていた。
◯三重県・伊勢神宮 内宮の森(深夜)
午前二時。
月光すら届かない深い闇の中、巨大な鉾杉や楠が林立する原生林。
数千年にわたって祈りを捧げられてきた土地特有の、肺の奥まで澄み渡るような神気が満ちている。凡人が足を踏み入れれば畏れ慄くほどのプレッシャー。
五十鈴川の上流へと続く獣道に、光学迷彩と電磁波ステルス機能を搭載した漆黒の移動ラボラトリーが音もなく潜んでいる。
◯ステルス車両・車内(深夜)
純白の特殊戦闘スーツに身を包んだ涼子が、後部座席のホログラム・コンソールの前で足を組み、青い瞳を細めている。
涼子
「……亨さん。この分厚くてごっつい目障りな結界、あんたの計算でどうにかなりまへんの?」
ホログラムのマップ上には、内宮の中心部を幾重にも覆い尽くす半球状の巨大なエネルギーフィールドが真っ赤な警告色で表示されている。
亨
「この結界は我々が日常的にハッキングしている電子的な防壁や、地獄の番人が張る呪詛とは全く次元が異なります。純粋な『神気』のみで構成された絶対防御フィールドです。我々の物理的、あるいは電子的なアプローチでは、外部から一点突破して穴を開けることは論理的に一〇〇パーセント不可能です」
孝子(通信の声)
『……まあ、頼りないことですこと。ご自慢の『論理』とやらも、この国の神様の張った時代遅れのバリアの前ではただの役立たずのガラクタになってしまうようですわね』
車内の通信モニターに、紀伊山地の隠れ家から通信を繋ぐ孝子の姿が映し出される。
漆黒のゴシック調のドレスコートに身を包み、赤い口紅を引いた孝子が扇子で口元を隠して嘲笑している。
涼子
「……ダボが。黙っとれや、地獄のネズミ。あんたの下品なオカルト自慢なんか一ミリも聞きたないわ。私の秩序の計算にあんたのその泥臭い声が混じるだけで、ごっつい不快なノイズになるんやから。さっさとその汚らしい地獄の瘴気で、結界ごと焼き尽くしてみたらええやんか」
孝子
「あらあら、人に物を頼む時の態度というものを、天界の立派な学校では教わりませんでしたの?……まあよろしいですわ。こんな所で足止めを食うのは、わたくしにとっても退屈な時間の浪費ですもの。ガーディ」
ガーディ(声)
「へっ。お任せを、お嬢様。あのような時代遅れの神々が小手先で編み上げた結界など、地獄の底で数万年煮込まれた怨念の炎に比べれば、ただの甘い綿あめみたいなもんでさァ」
孝子の背後の影からガーディが姿を現し、凶悪な眼光をギラつかせる。
亨
「涼子様。この結界には唯一の『脆弱性』が存在します。五十鈴川の水脈と交差する一点だけは、内部から外部へとエネルギーを排出するための『排出口』として結界の密度が意図的に薄く設定されています。この僅かな隙間を突けば、涼子様の演算能力と身体能力をもってすれば一時的に結界を透過して侵入することが可能かと思われます」
涼子
「……なるほど。流石はわたくしの『翼』やね。その細い糸の穴を通すような真似、わたくしの計算なら朝飯前やわ」
ガーディ(声)
「――いや、お待ちくだせえ、ネズミの旦那。あんたのその立派な計算には致命的な見落としがありやすぜ。その五十鈴川の水脈……そこは確かに結界の出口ではありやすが、同時に神域に侵入しようとする『穢れ』を感知した瞬間、それを浄化し黄泉の国へと強制的に押し流すための『神罰の奔流』が吹き荒れる防衛ラインでもありやす。お嬢様の地獄の瘴気ならいざ知らず、涼子様とて天界を追放され『堕ちた』身。あの圧倒的な浄化の奔流に正面から触れれば、ただでは済みやせん。システムごと完全にショートさせられちまいやすぜ」
涼子
「……なんですって?私の完璧な秩序が、あんな古臭い神の浄化ごときに弾かれると言うのんか」
孝子
「うふふふ……。あなた様の『論理』も、所詮はその程度の穴だらけの代物でしたのね。わたくしがいなければお入りになることすらできないなんて。本当に手のかかるお人形ですこと」
孝子が勝ち誇ったように妖艶な笑みを深める。
涼子
「……ダボが。言いたいことがあるならさっさと、言いなさいな。あんたのその悪趣味な頭の中に、何か小賢しい策があるんやろ?」
孝子
「……ガーディ。あなた様の力で、その五十鈴川の水脈にありったけの地獄の『穢れ』を流し込みなさい。この世のものとは思えないほどの濃密で吐き気のするようなドロドロの瘴気を、その排出口に向かって一気に逆流させるのです。……そうすれば、神域の結界はその巨大なエラーを排除しようとして過剰な防衛反応を起こすはず」
亨
「――なるほど!結界の自浄作用を強制的に暴走させ、一時的にシステムの処理能力を飽和させるのですね!」
孝子
「わたくしは地獄の底で、あらゆる苦痛と穢れを喰らって生き延びた身。あの程度の神の奔流など、わたくしの芸術の前にひれ伏させてご覧に入れますわ。……そして堕天使様。あなた様は、わたくしの放った瘴気が神罰の奔流によって完全に洗い流され、結界のエネルギーが一瞬だけ底をつくその『浄化の凪』のコンマ数秒を狙ってお入りになればよろしいのですわ。……それくらいのこと、あなた様のご自慢の計算力があれば造作もないことでしょう?」
涼子は沈黙する。
相手の力を利用しなければ突破できないという自らの不完全さに対する怒りと、この泥臭い地獄の魔女が最も正確で効率的な論理的最適解を弾き出したことに対する苛立ち。
涼子
「……分かっとうよ。あんたのその下品で野蛮なオカルトの力を、私の完璧な論理の踏み台にしたるわ。……ただし、地獄のネズミさん。私が神域に到達するまで、絶対に余計な『お掃除』はせえへんことやね。あんたのその赤い炎で神域を無闇に汚して天照とかいうシステムの管理者の怒りを買えば、私の計算が全部狂ってしまう。……約束を破ったら、神託の前にあんたの首を先に雷で撥ねた上でデリートするから、せいぜい大人しゅうしときなさいな」
孝子
「あらあら、ご心配なく。わたくしはただ、目的のバケモノの首を狩るまで静かに散策を楽しむだけですわ。……まあ、道中で美しくない虫けらが寄ってきたら、無意識に指先で捻り潰してしまうかもしれませんけれど」
孝子は通信を一方的に切断する。
最悪の連携作戦が成立した。
◯五十鈴川のほとり(深夜)
深い闇の中、涼子が車のスライドドアから降り立つ。
数十メートル離れた対岸の茂みの中に、影の回廊を使って移動してきた孝子とガーディの姿。
二人は言葉を交わさず、殺気と霊力だけで準備完了を確認し合う。
孝子
「……ガーディ。始めなさいあそばせ」
ガーディ
「ハッ。ご自慢の神域を地獄の汚泥で染め上げてご覧に入れやすぜ。――来れ、黄泉の底を這いずる亡者どもよ。汝らの怨念と苦痛の記憶を、今、この清浄なる水面にぶち撒けろッ!」
ガーディの指先から、コールタールのようにドロドロとした漆黒の瘴気が滝のように噴き出し、五十鈴川の川面へと注ぎ込まれる。
ジュウウウウウゥゥゥッ!!
清流が黒い瘴気に触れた瞬間、水が激しく沸騰し赤い蒸気が立ち上がる。
内宮を覆っていた不可視の絶対防御結界が、規格外の「穢れ」に対してシステム防衛の最大アラートを発する。
ゴゴゴゴゴォォォッ!!
空間が激しく震動し、排出口のポイントから目も眩むような白銀の閃光――『神罰の奔流』が、ガーディの瘴気を押し返そうと凄まじい勢いで逆流してくる。
孝子
「フフフ……素晴らしい!これほどまでに巨大な力の奔流、わたくしの芸術の極上の舞台装置ですわ!」
孝子は身体から赤い地獄の業火のオーラを最大まで噴出させ、黒い瘴気と完全に同化させる。
孝子
「では、お先に行かせていただきますわ。……せいぜい、遅れないでちょうだいね、堕天使様!」
孝子は狂気に満ちた高笑いを上げながら、猛烈な勢いで逆流する神罰の奔流の中心へと、自らの身を弾丸のようにダイブさせる。
地獄の穢れという強固なカプセルに包まれ、濁流を遡る黒い魚のように結界の穴の奥深くへと吸い込まれていく。
亨(通信の声)
『2、1……今です!結界の自己修復機能が再起動するまでのコンマ八秒のラグ!『浄化の凪』が発生しました!』
涼子
「――消去開始」
涼子の身体が青白い雷光へと変貌する。
空間の物理法則を演算で完全に書き換え、音速を超える初速で床を蹴る。
純白の姿は、神罰の奔流が通り過ぎて一瞬だけ真空状態となった結界の穴を、一筋の「青い稲妻」となって寸分の狂いもなくすり抜ける。
◯神域・禁足地の森(深夜)
ドサッ、という極めて軽い着地音が二つ響く。
結界を突破した二人の少女が、巨大な杉や楠の根元に降り立つ。
外界の雨音も五十鈴川のせせらぎも聞こえない。
木々の一本一本が純度百パーセントの神気を帯びて微かな燐光を放ち、絶対的な闇でありながら視界が利く。
孝子
「……なんという、不愉快で、そして吐き気がするほど神聖な場所かしら」
孝子はドレスコートの裾を払いながら、電光剣のグリップを強く握り直す。
地獄の瘴気は神域の空気に触れた瞬間に霧散し、地獄の住人である孝子には肌がジリジリと焼かれるような息苦しさがある。
涼子
「……ダボが。油断せえへんことやね。ここには、私たちの論理を大きく狂わせる、とてつもないバグが潜んどる匂いがプンプンするわ」
涼子もショック棒を構え、伊達眼鏡のセンサーを最大出力に切り替える。
天界の空気とも異なる、古き神々の泥臭くも圧倒的な重圧に眉をひそめる。
孝子
「さて、あのお高く止まった黒椿の顔を絶望に歪ませる、極上の舞台はどちらかしら?」
孝子が千枚通しを手にした瞬間。
ザワワワワッ……!!
風もないのに巨大な杉の枝が大きく揺れ、凄まじい神気と敵意を持った波動が全方位から押し寄せてくる。
孝子
「……お出迎え、というわけですの?」
暗闇から姿を現したのは、人間界の生物を逸脱した異形の存在の群れ。
巨大な鹿の角を持ち直立二足歩行をする獣。四枚の白銀の翼を持ち人間の顔をした巨大な鳥。青白い人魂のような光の塊。
内宮の禁足地を数千年にわたって守護してきた天照大御神の眷属――『神使』たち。
神域に強行侵入してきた「巨大な穢れ」を即座に排除すべく、包囲網を狭めてくる。
涼子
「……下等な精霊どもが。わたくしの秩序を乱す気なん?まとめて浄化したるわ」
涼子がショック棒から青白い雷光を迸らせる。
孝子
「あらあら、美しくないザコども。わたくしのお稽古の前の、良い準備運動になりそうですわね」
孝子も電光剣の赤い業火を燃え上がらせる。
二人が飛びかかろうとした直前。
声
『――待て。その者たちは、我が姉が客人として招かれた』
物理的な音波ではなく、脳髄の奥底に直接、絶対的な威厳と重圧を伴って響く声。
その瞬間、襲いかかろうとしていた異形の神使たちがピタリと動きを止め、一斉に平伏する。
孝子・涼子
「「……!?」」
二人は攻撃のモーションを中断し、森の奥深くへと視線を向ける。
闇がぽっかりと切り取られ、淡く青白い光を放つ空間の中心に、長身の男性の姿が浮かび上がる。
神代の時代の狩衣を纏い、性別すらも超越した神秘的な美しさを湛えている。
彼の周囲には常に満月の冷たい光が寄り添っている。
涼子
「……月読命、か」
涼子がデータベースと照合し、その存在の「クラス」を特定して警戒レベルを引き上げる。
月読命
『如何にも。我は月読。夜の食国を統べ、この内宮の裏側を影より守護する者』
月読命は平伏する神使たちの間を滑るように歩み寄り、二人の数メートル前で立ち止まる。
孝子
「……客人、とおっしゃいましたわね?わたくしたちのような穢れた殺戮者を、日本の最高神がわざわざご招待してくださったと?」
孝子が扇子で口元を隠し、皮肉めいた笑みを浮かべる。
涼子
「……ダボが。私たちを呼び込んだのは、あの『神託』とかいう悪趣味なバグやろ。あんたら古いシステムが、なぜ私たちを迎え入れるんや?論理的な説明を求めますわ」
涼子もショック棒を構えたまま氷のような声で問い詰める。
月読命
『……全ては、我が姉が全てを視ておられる。我ら古き神々が、長きにわたりこの地に封印してきた宇宙の法則を書き換えんとする『特異点』。……『神託』と名乗る者どもは、その封印を内側から食い破り、我らの足元で我らの力すらも利用して増殖を続けている。……もはや我らの力だけでは、あの『混沌の海』からの侵食を完全に断ち切ることは叶わぬ』
孝子
「……神様が匙を投げたとおっしゃるの?」
孝子が心底呆れたように鼻で笑う。
月読命
『……故に、姉は貴女方を待っておられた。相反する二つの力……地獄の極限の混沌と、天界の極限の秩序。その二つが極限状態で衝突し、融合した時にのみ生み出される、あの『不協和音』の力を』
涼子
「なっ……!?」
涼子の美しい顔が初めて明確な驚愕に歪む。
涼子
「あんたら、私たちがあの富士の地下要塞で起こしたバグ……あの制御不能な暴走を、知っとう言うんか?」
月読命
『……我々は、この宇宙の理の内に縛られた存在。故に理の外側から来た『神託』のシステムを直接破壊することはできぬ。……だが貴女方は違う。貴女方の魂は、すでにその『理』の境界線を踏み越え、融合しかかっている。……来られよ、二つの星よ。我が姉が全ての真実を語るであろう』
月読命は静かに身を翻し、森のさらに奥深くへと歩き出す。
平伏していた神使たちが左右に道を空け、二人を奥へと促す。
孝子
「……罠、かもしれませんわよ?」
孝子が千枚通しを弄りながら涼子に囁く。
涼子
「……百も承知や。でもあの黒椿のバグの根源にアクセスするためには、あの神様についていくのが現状での最も効率的な論理的最適解やわ」
◯光の神殿・正宮地下(深夜)
深い森を抜け、二人が導かれた先は、一般の神職すら立ち入ることのできない正宮のさらに地下。
物理的な岩肌や土壁ではなく、眩いほどの純白の光そのもので構築された果てしなく続く神殿。
その空間の中央、宙に浮かぶ巨大な光の玉座に一柱の女神が静かに座している。
太陽そのものを思わせる強烈な光輪を背負い、直視することすらためらわれる絶対的な慈愛と威厳。
天照大御神。
天照
「……よく参られました、二つの、迷い子よ」
宇宙の始まりの響きのように穏やかで、魂の根源を直接揺さぶる途方もない重力を持った声。
孝子も涼子も、その圧倒的な神威の前に無意識に膝を折り、頭を垂れていた。
生命体としての根源的な「格」の違いを悟らされた本能的な平伏。
天照
「……お顔を上げなさい。貴女方が我が愚かなる弟・スサノオの残滓たる『神託』に弄ばれ、互いに傷つけ合わされようとしていること……。そして愛する家族を人質に取られ、この地にまで踏み込んできたこと、全て視ておりました」
二人は顔を上げる。
孝子
「……視ておられたのなら、なぜもっと早くあの詐欺師どもを排除なさらなかったの?」
孝子が気高いプライドを振り絞って問う。
涼子
「……ダボが。あんたほどのシステムの管理者がおったら、あんなバグ、一瞬でデリートできたはずやんか。なんで私たちみたいなイレギュラーを呼び込んだりしたん?」
天照の太陽のような瞳が深い憂いと悲しみに沈む。
天照
「……我々古き神々は、この宇宙の『法則』を維持するためのプログラムに過ぎません。『神託』は、この宇宙の法則の外側……『混沌の海』から、我が弟の遺した因果の綻びを突いて侵入してきた未知のウイルスです。彼らは我々の法則そのものを書き換え、この世界を彼らの都合の良い『新しい遊戯盤』へと造り変えようとしている。我々の力は、この法則の内側でしか行使できない。故に彼らの本拠地である『虚無の庭園』に直接手を下すことは不可能なのです」
宙に浮かぶ巨大な八咫鏡の表面が波打ち、その映像が映し出される。
一切の色彩と物理法則が失われた灰色の砂漠。その中心にある巨大な黒椿の枯れ木の根元に、宇宙の空間そのものが引き裂かれた巨大な「亀裂」が口を開けている。
亀裂の奥から、ドロドロとした黒い不定形のエネルギーの塊が、膿のように次々と世界に向かって漏れ出している。
『神託』の正体。
孝子
「あれが……『神託』の正体……!」
涼子
「……論理が崩壊しとる。あんなもん、宇宙の法則を根底からバグらせる、ただのウィルスやんか……!」
天照
「……貴女方にしか、できないことがあるのです。『神託』は混沌と秩序、その両方の力を併せ持つ。故に地獄の極限の混沌の力を持つ孝子よ、貴女の『炎』でしかあのウィルスの存在を灼き尽くすことはできず。天の極限の秩序の力を持つ涼子よ、貴女の『雷』でしかあの空間の亀裂を論理的に縫い合わせ、封じることはできない」
天照
「貴女方が富士の地下要塞で見せたあの『融合』の力。あれは『神託』の計算通りであったかもしれない。しかし同時に、彼らの想定を遥かに超えた唯一の『対抗手段』でもあるのです。……憎しみではなく『守る』という意志の下で混沌と秩序が完全に一つになる時……それは外なる神々をも打ち破る新たなる『創造』の力となり得る」
天照は二人に究極の選択を突きつける。
天照
「このまま互いを憎み合い、『神託』の実験の駒として世界と共に無意味に滅びるか。……それとも一時その憎しみを脇に置き、互いの力を認め合い、この世界を、そして……貴女方自身の大切な『家族』と『日常』を守るために、共にあの大穴の先へと飛び込むか」
二人の少女は互いの顔を見つめ合う。
そこにあるのは単純な殺意だけではない。覚悟を決めた狂気的なまでの光が宿っていた。
X(Twitter)では脚本版などもつぶやいています。
https://x.com/TakumiFuji2025
サディスト魔女×冷徹な堕天使!相反する二人が狂気の世界を切り裂く!
極上の苦痛か、一瞬の消去か。絶対に交わらない少女たちが世界に抗う!
血と狂気に彩られた、反逆のダークファンタジーアクション、ここに開幕!




