第34話 死にぞこないたちへ
「右目は治さないのか?」
「これでいい。俺自身への戒めだ」
レックスは潰れた右目を隠そうともせず一矢と正面から向き合った。
「お前の方こそ、その身体が治るまで待ってやってもいいが」
「これでいい。別に大した傷じゃない」
突然一矢の胸から勢いよく血が噴き出す。
レックスの左目に一矢の血液が入り込み視界を奪う。
レックスの権能の扱いを一通り把握した一矢は、心臓を瞬間的に強化し傷口から血を噴き出させた。
通用するかは運次第だったが、上手くいったようだ。
一矢はその隙に乗じてすかさず空亡で突く。
視覚を奪われたレックスは聴覚に全神経を集中している。
刀の空気を斬る音に反応し容易に斬り払われた。だが一矢にとってはそれも想定のうちだった。
空亡を握っているのは片手。攻撃が通るとは思っていない。
そしてもう一方の手で、刀同士がぶつかり合う音に紛れて閃光音響弾のピンを歯で引き抜き、レックスの後方へ放り投げたのだった。
通常の死神にはこのような通常兵器は通用しない。
だが視界を断たれ、聴覚に全神経を集中している死神は人間と同じように本能で反応してしまう。
レックスは音のした背後に向き直りつつ、咄嗟に飛び退り距離を取ろうとする。
つまりは一矢の眼前へと飛び込んできたのだ。
そして一矢による渾身の一振りで背中を切り裂かれる。
あの“英雄”レックスが遂に倒れた。
地に付したレックスにすかさず空亡を突き立てようとする一矢。
転がるレックスがそれを回避する。
彼が転がるごとにおびただしい量の血が床を汚す。
傷を治療する時間を与えられたという点においては一矢にアドバンテージがある。
この深手を治しながら自身と同じ力を持つ敵を相手取るのは至難の業だ。
一矢の血による目くらましが効果を失い白鴉を手にゆっくりと、そして隙の無い動きで起き上がる。
「来い。ただ斬るのみ」
一矢が愚直に斬りかかっても勝てる保証はない。そして時間をかけて傷を治癒させるわけにもいかない。
一矢はレックスに向かって走り寄る。そして勢いをつけて空亡を彼に投げつけた。
椿が眉をひそめる。レックスも意外そうな表情を浮かべる。
レックスの白鴉によって弾かれ、後方の天井に空亡が突き刺さった。
そしてすかさずメイジーの権能を借り受け、大バサミを顕現させる。
今の一矢はレックスの身体強化を失ったが、代わりに“番狂わせ”メイジーの権能によって、格上相手に身体能力が底上げされた状態にあった。
さらに霊力を上乗せしてレックスの白鴉と打ち合う。
それでようやく負傷した彼と互角といったところ。
だが霊力の消費を考えるとこのまま戦い続けるのはどう考えても得策ではない。
大バサミを広げレックスを目がけて突き出す。それを白鴉が受け止め、ギチギチと音を立てる。
意外にも一矢が一歩、二歩と前に出る。それだけ彼がレックスに負わせた背中の傷が深いのだ。
一矢は霊力を惜しみなく注ぎ込む。
だがレックスの必死の抵抗もあり、数歩進んだところで大バサミが弾き飛ばされた。
一矢の優位もここまでに見えた。
「終わりだ」
レックスが白鴉を振りかぶる。
すると弾かれた大バサミが天井に突き刺さった空亡にぶつかり、天井から抜ける。
そして一矢の右手に収まった。
「いや、ここからだ」
一矢はただ力任せにレックスを押し続けていたのではなかった。空亡のある位置まで彼を誘導していたのだ。
レックスが勝ちを確信した瞬間。その瞬間には彼の意識から空亡という脅威があってはならず、空亡を手にするのはギリギリのタイミングでなくてはならなかった。
「アオイさん防壁!」
言われた通りに咄嗟に全員を覆う防壁を張るアオイ。
左手でピンを飛ばしたのはいつの間にか取り出していた椿の手榴弾。霊力の高い者を優先的に狙う聖火の仕込まれた特別仕様品。
本来であれば炎の狙うべき最も霊力のあるヴァルキリー・グリムゲルデは防壁の外にいる。
よってこの閉鎖空間では必然的に一矢より霊力の高いレックスが炎の標的となる。
力押しで炎ごと一矢を斬ろうとするがその火勢に負け、体勢を崩す。
そして最後に一矢が選んだのは椿の権能。赤口。
一撃入れられたらそれでよかった。
手にした空亡に赤口の力を上乗せする。最後の霊力を振り絞って空亡を赤黒く染め上げる。
「赤口改・八嶽卒神」
一矢は自身の霊力を上乗せし、調整を施した赤口改を突き出しレックスに突き刺す。
だがそれまで最低限の治療に回していた霊力も尽きた。斬られた傷が開いた瞬間、切っ先が逸れレックスの心臓を外してしまう。
だが一矢は止まらない。
「俺の勝ちだあっ!!」
勢いのまま床から天井まで高さのある窓ガラスに突き進む一矢。
赤口は相手のことを知れば知るほど、理解するほど威力が増す。
戦いの中でレックスという戦士を理解した一矢の扱う赤口改の威力は、彼に反撃する隙を与えない。
レックスを貫いた赤口改の切っ先はそのまま窓ガラスを破る。
落下する寸前、レックスが一矢の腕を掴んだ。
「俺の負けだ」
それだけ言うとレックスは六十階の高さから奈落へと墜落していくのだった。
何か重い物体がタワーマンション前の公園に落下する音がした。
が、ベルリヒンゲンには最早関係ない話だ。
彼は全身刀傷だらけで自慢の鋼鉄義手もひしゃげている。クリークという規格外の死神とやり合ったせいだ。
地下駐車場で車の残骸を背もたれ代わりにしながら、近くで倒れるクリークに語りかける。
「お前さん。結局権能持ってんじゃねえか。このインチキ野郎が」
「うるせえな。オッサンが勝手に勘違いしてただけだろ」
「何回分殺したと思ってんだ。本当にろくでもねえ権能だ」
クリークの権能は戦いに決着が付くまで決して死なないというものだった。
「なあオッサン。これどっちが勝ったと思うよ」
「勝ちも負けもねえ。こりゃ引き分けだろ」
「引き分けかあ。悪かねえ。それも悪かねえなあ」
クリークの胴には大穴が開き、左腕がもげ、顔の半分も潰れている。
それでも彼の表情は満足げだった。
戦場で生まれた死神である“戦場荒らし”クリークは、戦場の中で安らかに逝った。




