㉒ 還暦の雪村
サン・ジェルマンの強制御招待から❝照和❞に戻って来た雪子は、研究所の地下2階のソファーで、しばらくボンヤリ考え事をしているようだった。
しかしまた、何か思いついたように時空転移装置の座席に座り、座標をセットしてスイッチを入れた。
令和7年9月1日の日曜日。
雪子は午前7時に、豊田市内のワークマンに立ち寄ると、黒いトレッキングシューズ型のワークシューズを購入した。
彼女は店先の物陰に隠れると、スニーカーからソレに履き替えて、その場から雪村の存在を感知した場所へ、チカラを使って瞬間移動した。
彼女が現れ出た先は、傍らを渓流が流れる山間部だった。
堤防沿いの空き地にベージュ色のシエンタが止めてあった。
それが幸村のクルマだということはリサーチしてあったので、彼女は細い枝や草をかき分けながら、堤防を登って行った。
靴を替えておいて正解だったわ。雪子はそう思った。
「じゃあ、スカートもズボンに変えておけよ」というツッコミはご容赦願いたい。彼女にとって、戦闘服たるセーラー服の着用だけは、譲れないのだ。
雪村は無防備にも通路側に背を向けて、何やら一心にカメラのファインダーを覗いていた。カメラには大砲のように立派なレンズがついており、これまた機銃を乗せるような、丈夫な三脚の上に据えられていた。
彼のその姿は、さながらスナイパーのようで、何だか頼もしく感じた。
今日は弓子さん、お家でお留守番かしら?
こんなに元気そうなのに、あと四半世紀もしたら亡くなってしまうのよね?
あ、でもその後、散らばった灰が無数の私たちになるのか。
そんな形でも、不死身と言えるんだろうか?
そんなアレやコレやを、雪子はつい考えてしまう。
彼女は思い直して彼の後ろからコッソリ近づき、声を掛けた。
「お久しぶり。」
彼は少しだけ驚いたようだったが、すぐに平常心を取り戻した。
雪子の接近を感知できる能力は健在のようだ。
「今日も何か忠告に来たのかい?」
60歳を過ぎていた彼の髪の毛は、すっかり白くなっていた。
「そうよ。」
少しだけ感傷的な気分になりながら、彼女は答えた。
彼は彼女の足元に注目していた。
やはりトレッキングシューズの着用は、意外に感じたようだ。
「虫はキライなのよ。」
彼女は彼の視線に対して答える。
「ヘビは平気なのに?」
「ヘビは可愛い顔しているでしょ!虫は何を考えているのか解らない。それにヤマビルなんて最悪よ!」
「…そうだね。それで?今日はどんな忠告にきたのかな?」
「今月中は山に立ち入るのをやめなさい。」
「なんで?」
「さもなくばクマに食い殺されるわよ。」
「それは…イヤだな。」
雪村は素直にカメラと機材を片付け始めた。
うん、うん。素直でカワイイぞ、私の雪村。
雪子はそう思うと、何だか涙が出て来た。
いっそこの場で、彼に人魚の肉でも食わせてしまおうか。
などという考えが、雪子の脳裏に衝動的に浮かんだが、それでは彼女自身が生まれて来ないことになってしまう。
それは、やめておくとしよう。
それにこれ以上、この昭和だった時間軸をいじると、また4次元人や5次元人に迷惑をかけそうだしね。
これで生きている彼に逢うのは最後にしよう。
だって彼は自力で85歳までは行き抜けるのだから。
彼女は彼に最後の言葉を掛けた。
「あなたも還暦過ぎたし、これで本当に最後かもね。」
この先、永く時空を彷徨うことを覚悟して、❝不死身の魔女❞となった雪子は、そう言って静かに自分の時空に帰って行ったのだった。
これで「晴れときどき悪意ところにより超能力者」の
プロローグにつながりました。
コレもエンディング・バリエーションの一つということで。
また、新エピソードでお会いしましょう!(>_<)




