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俺は貴女を愛さない  作者: はな
空っぽ姫の章
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第9話

 アニカが辺境アステリオに嫁いできてから、五日が経った。

 望まれない花嫁のために開かれる結婚式などなく、アニカはただ一人ベッドの上で過ごし続けた。

 病がようやく癒えたアニカは、侍女が無言で届けに来た衣装に着替え、ベッドの端に腰掛けていた。

 先ほどまで見ていた夢に出てきたのは、リグリスだった。

『銃』というあの不思議な武器を背負い、彼がアニカの前を歩いて行く。アニカはその背を追いながら思っていた。

『どうか怪我をしないでほしい』と。

 ――馬鹿な夢。私が案じたところで、リグリス様は迷惑に思われるわ。

 愛さない、と断言されたことを思い出しながらため息をついたとき、侍女が無言で部屋に入ってきた。

 水差しを取り替えると、アニカを無視してスッと部屋を出て行く。

 ――私を、徹底的に歓迎しないのね。けれど傷つけることもしない。

 寂寥感と同時に、空っぽ姫には充分すぎる待遇だと思い直す。

 アステリオの民が直接アニカを傷つけない理由、それは、このバーリス王国においては王家の力が絶大であるからだ。

 王家に比肩する家門はない。

 財力、領土、民の信望、何をとっても『最強』の一族。それに加えて翠の目の『不死身の君』を生み出す血筋である事実が、王家の権威にさらなる華を添えていた。

 今はハロルド王とアニカ以外に翠の眼の人間は存在しない。

 だが義妹のシェーラは来年公爵家に嫁ぐ予定だし、義兄の王太子はすでに二人の妃を娶っており、何人かの子を儲けている。

 いずれどこかに、また翠の目の子が生まれるだろう。

 そう王都の民は期待している。

 翠の目の因子を得れば、その子孫のうちの誰かは必ず、不死の力を得る。

 その確率は『五人に一人ほど』と言われていた。

 だから余り物となったアニカはここに送られたのだ。

 王家からアステリオへの『高貴な贈り物』として。

 ――辺境伯妃アニカ・アステリオ。なんて立派な肩書き。私ではないみたい。

 この前、リグリスの許可を得て廊下を歩いてみたら、すれ違った男がアニカを見て舌打ちした。

『俺らに、今以上に死ぬ思いをして戦えってかよ』

 暖かな部屋で、アニカはそっと目を伏せる。

 ――不死を祝福と取るか、呪いと取るか、場所によってまるで違うのね。

 アニカはバルコニーに出てみた。目の前に開けているのは真っ白な世界だった。

 風は肌を刺すほど寒く、世界には雪の色と木々の色、二つの色しか存在しなかった。

 ――ここが私の新しい世界、私の血を拒む世界……。

 そう思ったときだった。

「ごきげんよう、夫人」

 明るい男の声がアニカの背後で響いた。

「グレン先生」

 アニカは驚いて振り返る。そこに立っていたのは、辺境伯家の侍医の一人、グレン・リーデだった。リグリスと同じ銀髪に青い目の青年は、白衣姿でニコニコしながら歩み寄ってくる。

「また風邪を引いちゃいますよ」

「すみません」

 アニカは素直に謝罪し、部屋に戻った。

 グレンはあまりに熱が下がらないアニカのために昨日呼ばれた医者だ。

『なんでもっと早く呼ばない。『翠眼』は不死身といっても身体だけなんだぞ』

 そう言って、アニカのために怒ってくれた唯一の人物である。

 だからアニカは少し彼に気を許していた。

「リグ様は?」

「あ……えっと……昨日からお見えになりません。私の目を見ると不快な気持ちになられるのかもしれません」

「不快な気持ち、ねえ」

 何か言いたげにグレンが天井を見上げる。

「はい。私の体質が子孫に継がれるのは嫌だと、常々おっしゃっておいでですから……」

 おずおずと告げると、グレンはニッと笑ってアニカに袋を差し出した。

「はい、どうぞ」

「これは?」

「女性には皆に渡している。避妊薬だよ。子どもを望まない場合は、旦那様との夫婦生活の前に服用してくれ」

 アニカの顔にぱっと熱が散る。

 ――そ、そうだ、私もいつかはお側に上がらなくてはいけないんだ。

 頬を赤らめたアニカに、グレンは真面目な顔で言った。

「妊娠の選択肢は女性にある。たとえ傷がたちまち治る身体でも、お産は全身に負担を掛けるからね」

「わ……わかりました……」

 アニカは頷いてそれを受け取った。

「で、リグ様はもう通ってきてるの?」

「と、とんでもないです! そんなこと、私たち……まだ、っ」

「でももうすぐだよね、王家は『必ずアニカ王女を辺境伯妃にしろ』と命令しているんだから」

 アニカは表情を翳らせた。

 そう。王家は監視人立ち会いの下、リグリスとアニカの初夜が行われるよう望んでいるのだ。いつまでもなにもしない場合、王家のどんな怒りを買うか分からない。

 アニカは小さな拳を握り、言葉を絞り出す。

「でも、私の血筋は望まれていません」

「それそれ、みんな変わってるよねえ」

 飄々としたグレンの声に、アニカは驚いて顔を上げた。

「変わっている、とは?」

「怪我してもすぐ治る身体、いいじゃないか。僕は医者としてたくさんの怪我人を看取ってきたからそう思うよ」

 予想外の言葉に、アニカは目を丸くした。

「アステリオの方なのに、この身体を肯定的に見てくださるのですね」

「うん、怪我は苦しいからね。君はさ、自分の子どもが怪我をして苦しみ続ける姿を見たい?」

 アニカはすぐに首を横に振る。グレンはにっこり笑うと、「でしょ」と言って続けた。

「僕の妹のナターシャなんて、年中傷だらけだもん。兄としては気が気じゃないよ」

 率直な、温かい言葉だった。きっとグレンは、ナターシャという妹のことを心から愛しているのだろう。

「そう……ですね……」

 ふと、自分に誰かを案じる権利はあるのだろうか、という考えがよぎる。

 そのとき、不意にグレンが不思議な問いを投げかけてきた。

「ねえ、君は自分の身体のことを、どう思う?」

「えっ? あっ……人と、違っていますから……」

 そこでアニカは言葉を切った。

 どうせ死なないから。

 その一言で加えられた手ひどい虐待が思い出されたからだ。青ざめて口をつぐんだアニカを、グレンはじっと見つめていた。

「あ、あの、いいことばかりではなかったです……」

「……そっか」

 グレンが優しい声で言って、頷く。

 何かを知っているかのような声音だ。

 アステリオの上層部には、王妃がアニカを虐待していた事実が伝わっているのかもしれない。

 そう思いながらアニカは顔を上げた。

「け、怪我しても苦しまないのは、いいことですよね。ありがとうございます、グレン先生」

 空っぽの心から無理やり前向きな言葉を絞り出すと、グレンは優しい笑顔になって頷いてくれた。

「うん、僕はそう思う、ってだけだけど」

 励ましの気持ちが伝わってくる。心の底が、少しだけ温かくなっていた。グレンにもう一度ありがとうと言おうとしたとき、不意に不機嫌な声が割り込んできた。

「グレン」

 そこに立っていたのは、美しい青い目を冴え冴えと輝かせたリグリスだった。

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