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俺は貴女を愛さない  作者: はな
空っぽ姫の章
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第6話

――駄目……もう目を開けていられない……。

 リグリスに抱かれたまま、アニカは意識を失う。そしてその間に、妙な夢を見た。

 赤ん坊を抱いて、リグリスが涙を流している夢だ。その赤ん坊は薔薇色の頬をして、すやすやと眠っている。

 ――リグリス様、どうなさったのかしら。

 アニカは首をかしげる。

 そのとき足元に何かがまとわりついてきた。

 幼い子どもだ。髪を伸ばしているところを見ると、女の子だろうか。

 ――この子は誰?

 子供は不安げにアニカの足元にまとわりついてくる。アニカは身をかがめ、女の子を抱き寄せた。

 女の子は素直にアニカに身を委ね、短い腕をぎゅっとアニカの首に回してくる。

 無邪気にしがみつかれて、胸がふわりとあたたかくなった。

『ねえ、いっちょに、いて!』

 女の子にそう懇願され、アニカの顔がほころぶ。

 誰かに純粋に必要とされるなんて、初めてだったからだ。

『どうしたの、お母様はどこ?』

 そう尋ねると、女の子が、アニカの首筋に小さな顔を埋め、甘えるように言った。

『ここ』

『私、なの? 私が貴女のお母様?』

 女の子がこくりと頷く。アニカの笑みがますます深くなった。

 ――そうなの。我が子に必要とされるって、こんなにも幸せなのね……。

 刹那、アニカは激しく咳き込んだ。

 赤ん坊を抱くリグリスの姿も、幼い女の子もかき消え、目の前に石造りの天井が現われた。

 ごう、と風の音が聞こえる。

 ――今の夢は……?

 腕の中に、さっきの女の子の温もりが残っているような気がする。

 しばらく息を乱していたアニカは、薄い胸を上下させながらゆっくり身体を起こした。

 どうやら気絶して、ベッドに戻されたようだ。

 枕元には水差しと、見慣れた熱冷ましの薬が置いてある。

 ――なんという好待遇かしら。お水をいただけるなんて……。

 アニカの脳裏に、リグリスたちから投げつけられた言葉が思い出された。

 王家が憎い。押しつけられたこの王女が憎い。

 アステリオ領の人々は確かにアニカを憎んでいた。なのに、かれらはアニカを『人間』として扱いはするのだ。

 それだけで、心の底からほっとする。

 おそらくここでは『死なない身体だから』と、無駄に切り刻まれることも打ちのめされることもないのだ。

 ――なんてありがたいの。空っぽの、私に……。

 アニカは手を伸ばし、震える手で水差しに被されたグラスを取った。

 ――お……重い……。

 だが水差しが持てない。食事を摂らなすぎて衰弱しきっているせいだ。冷静にそう考え、どう水を呑もうかと考えたときだった。

「失礼」

 扉が叩かれた。アニカは扉の方を振り返る。

 姿を見せたのはリグリスだった。どうやらアステリオ領でアニカに積極的に関わろうとする人間は、リグリスしかいないらしい。

「起きられるのですね、身体の具合は?」

「落ち着きました。あの、護衛の腕は……」

「納骨堂に『俺が』運びましたよ」

 リグリスはそう言うと、青い美しい目を不機嫌に細めて、アニカの額に無遠慮に手を当ててきた。

「額が熱いですね」

 手を当てられた刹那、先ほどの不思議な夢が蘇った。元気そうな赤子を抱いて、リグリスが涙を流している夢だ。

 この翠の目のせいか、アニカは時々不思議な夢を見ることがある。たいした夢ではない。日常の些細なことを言い当てる程度の『予知夢』である。

 父王はこの能力を重宝しているようだが、アニカはありがたいと思ったことはなかった。どうせ見るのは、虐待される未来だけだったからだ。だが……。

 ――あの赤ちゃん、リグリス様に関係がある子なのかしら?

 そう思いながら、アニカは恐る恐る切り出した。

「あの、リグリス様」

「なんです」

 アニカの身体に掛かった毛布を整えながら、リグリスが不機嫌な声を上げる。

「リグリス様にはお子様がいらっしゃるのですか?」

 その問いに、リグリスがぴたりと手を止めた。

「いるわけがない。俺は未婚です」

「リグリス様が、赤ちゃんを抱いて泣いていらっしゃる夢を見たので、もしかしてお子様がご病気でも……と、心配で……」

 そう伝えると、リグリスが首を横に振る。

「貴女は夢占もできるのですか?」

「少しだけ……ほんの少しなので、お役に立つほどではありません」

 アニカは正直に頷いた。リグリスは肩をそびやかし、アニカの枕元の水差しを手に取った。

「水、飲んでいないじゃないですか」

「水差しが……重くて……」

 金属製の水差しを持ち上げることさえできない。

 申し訳ない気持ちで俯くと、リグリスはグラスに水を注いでアニカに差し出してくれた。

「さ、熱冷ましを飲んでください。早く回復して食事を摂っていただかないと」

「はい……」

 自分はアステリオ領の人々に嫌われていたはずだ。なぜリグリスに世話を焼かれるのかと戸惑いながら、アニカはグラスを受け取った。

「このままじゃ命に関わる。この酷寒の地で、その身体で『跡継ぎ』を産めると思わないでください」

「えっ?」

 グラスに口を付けようとしていたアニカは、リグリスの言葉に驚いて手を止める。

「何か変なことを言いましたか?」

「い、いえ」

 耳が熱かった。熱のせいではない。アニカは動揺しながらも、渡された水で熱冷ましを呑み込む。

「貴女のようなか弱い身体では、俺の妻は到底務まらない」

「ど、努力いたします……」

 かすれ気味の声で答えると、リグリスのくっきりした形の目が、アニカを冷たく見据えた。

「はっきり言っておきましょう」

 リグリスは薄い唇を開き、低い声でアニカに刻みつけるように言った。

「俺は貴女を愛さない。けれど辺境伯家には跡継ぎが必要なのです」

 アニカの背筋が、ぞくりと冷えた。

 何度も味わってきた寒気だ。

『愛されないこと』に、もう驚きはしないはずだったのに。

「は……はい……」

「お互いに義務だけを果たしましょう。俺は貴女の衣食住を保証する。貴女は俺の妻として、この家の跡継ぎを産む。それが『王家の娘』が俺たちに見せられる、精一杯の誠意なのではありませんか?」

 何も言えず、アニカは頷く。喉に何かがつかえたような気がした。

「分かってくださったのならば、早く身体を回復させてください……では」

 リグリスは冷たく言い残し、扉の向こうへと消えた。

 ――子どもを産めなかったら、私はまた、『いらない女』になる。

 胸の奥がじん、と焼けるように痛む。

 けれど涙は出なかった。心が壊れたとすら、もう感じられない。

 静まり返った部屋の中、風の音だけが聞こえる。

 アニカはその音を聞きながら、ただ抜け殻のように、じっと座っていた。

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