第5話
「はぁ……っ、はぁ……」
アニカは息を切らして、納骨堂までの道をゆっくりゆっくりと歩いていた。
「お辛そうですね」
傍らを歩くリグリスが冷たい口調で言う。
アニカは無言で首を振った。
高熱で身体中が焼けそうだ。だが、彼の腕だけはなんとしても神の御許で安らがせたい。重くて、自分では運べなくて、リグリスに運んでもらっているけれど……。
「何が違うのですか? 結局腕を持ち帰ったのは俺、こうして納骨堂に運んでいるのも俺なのです。貴方がしていることは自己満足にすぎません」
「それでもいい……です……」
アニカは息を弾ませて言い、そこで言葉を切った。肺が苦しくて声が出なかったからだ。
「何がいいんです?」
明らかにむっとしたリグリスに、アニカは途切れ途切れに答える。
「彼が……神の御許に……行ければ……私がどんなに、愚かで情けなくても……かまい、ません」
アニカの答えに、リグリスは目を見開いた。
「納骨堂に埋葬すれば神の御許に行けるとでも?」
こく、とよわよわしく頷くと、リグリスが不愉快そうに足を止めた。
「馬鹿らしい。盲目的な信仰ですね」
「身体を回収するのも……埋葬する、のも、誠意……です……彼の知り合いだった私の……誠意……です……」
アニカはそこで激しく咳き込む。
リグリスは不機嫌そうに息を吐き出すと、空いた片手でアニカの背を乱暴に撫でた。
そしてギョッとしたように手を止める。
「背中の骨が浮いていますが……食事はなさっていないんですか?」
アニカは朦朧とする意識の中で、リグリスの問いの答えを考える。
馬車の中ではもう発熱していたから、ずっと食べていない。いつから食べていないのだろう。
でも、食べないなんて日常だった。
王妃の逆鱗に触れれば、食事など与えられなかったのだから。たまに許された食事のほうが、よほど特別だった。
「ごめんなさい……五日……くらい……」
蚊の鳴くような声で謝ると、リグリスがアニカの腕をぐいと引いた。
「貴女がまともに歩けない理由が分かりました」
アニカはたまらずに、リグリスの身体に倒れ込む。リグリスの年齢は、アニカと同じ十八だと聞いている。
だが彼の身体はたくましく、少年らしい線の細さはまるで感じられなかった。
「これを持っていてください」
アニカの手に、栗色の髪の護衛の腕が投げ渡される。両腕でなんとかそれを抱きしめると、アニカの身体がひょいと持ち上げられた。
「納骨堂に行って、これを納めたら、貴女は大人しく薬を呑んで食事を摂るのですね?」
「いえ……眠っていれば、治ります……それに、歩けます……から……」
「時間の無駄だ。病人ののろのろ歩きに何時間付き合えばいいと?」
相変わらず不機嫌な顔で言うと、リグリスはアニカを抱いてスタスタと歩き出す。
納骨堂は、まだ遠いようだ。アニカは青ざめながら首を横に振る。
「重いです……から、下ろして、くださいませ」
「いいえ、重くなんてない。俺を舐めないでください。こう見えても俺はアステリオ辺境伯家の直系です。白魔狩りの一隊を率いる戦士なのですから」
「白魔……狩り……?」
「そんなことも知らずに俺に嫁いできたんですか?」
リグリスの言葉はもっともだ。申し訳なくて口をつぐむと、リグリスは露骨なため息をつきつつ説明してくれた。
「白魔は知っていますよね」
「は、はい……人も動物も、何でも食らう化物、と……」
「あいつらを魔銃で仕留めるのが俺たち『白魔狩り』の仕事なのですよ。辺境伯家の男は、全員狩りに出ます。例外はない。この土地を守るのは俺たちの血筋に課せられた責務です」
「責務……?」
「ええ、幼い頃に母を亡くしても、父が喰われて帰らなくても、例外にはならなかった」
血なまぐさい話を語っていても、リグリスは淡々としていた。その冷たい声を聞きながら、アニカの意識が遠ざかっていく。
「……」
「聞いていますか? アニカ殿?」
アニカは頷こうとした。だが、もう、身体にはそれっぽっちの力も残っていなかった。
意識が闇に沈む瞬間、アニカの唇が微かに動いた。
声にはならなかったが、祈るように『どうか、神の御許へ』と。