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俺は貴女を愛さない  作者: はな
空っぽ姫の章
3/18

第3話

 そのときだった。

 ガッ、という音と共に、馬車から何かが飛び出す。

 白い生き物に見えた。毛の長い、兎でも狼でもないいびつなな生き物だ。その証拠に目が、なかった。あるべきところに、ざらついた白い皮膚が盛り上がっているだけだった。

 立ちすくむアニカの前で、リグリスがさっと腕を差し出す。まるでアニカを庇うような仕草だった。

「今のは……?」

「小型の白魔です」

 言うなりリグリスは背中に負っていた荷から、金属の筒のようなものを取りだした。そしてそれを構えるなり、バン、と音を立てる。白い生き物が雪原を跳ね、血まみれになりながら転がって果てた。

 ――今のはなに? なにが起きたの?

 立ち尽くすアニカにリグリスが言う。

「銃です。ご存じありませんか?」

 リグリスは冷たく言うと、転がった白い生き物に歩み寄った。

「大型の食い残しを漁っていたのでしょう。……皆、油断するな」

 ――食い残し……? 漁る?

 リグリスの言葉に、アニカはさっと青ざめた。

「あ……あ……っ」

 アニカはぐらつく足で、おびただしい血の源である馬車に歩み寄る。

 栗色の髪の護衛の声が、聞こえた気がした。

『どうか姫様の未来が、やすらぎに満ちたものでありますように』

 震えながら、アニカは馬車の残骸に手を掛ける。そのとき、ぼとりと何かが落ちた。

「ひっ」

 アニカはとっさに悲鳴を呑み込む。

 ――何の棒……? 服の……袖みたいな……爪がついてる、手の先……!

 そこに転がっていたのは、人間の腕、だった。

 ――う……そ……!

 指先に見えるのは、あの護衛の爪だ。

 栗色の髪の護衛の。

 旅路の間、ずっと彼の手を見ていた。だから彼の爪だと分かる。

 ――ど、どうして、腕……だけ……?

 かろうじて身体を支えていた脚が、ガクガクと震え出す。

 背後から、静かなリグリスの声が聞こえた。

「その部分は、食らっても美味くはないんです。だから白魔でも捨てていく」

 凍える風に吹かれながら、アニカはゆっくりと振り返った。

「肘から先なんて骨しかないでしょう」

「あの、あ……」

 何か言おうとした刹那、喉元に強い吐き気がせり上がってきた。

 アニカはとっさにリグリスに背を向け、胃液を吐きだす。

 ――い、いや……嫌……っ……。

 肩で息をするアニカに、リグリスは言った。

「遺体の回収をしますか? あの大きさなら簡単だ。けれど急いで、大型の白魔が戻ってくる前にここを去らねばなりません」

「で、でも遺体の回収を……」

「ここはあいつらの餌場になっている。貴女を抱えて戦うのは不利なんです」

「でも……っ!」

「何もできずに食らわれるだけの貴女に反論の権利などない」

 生々しい言葉に、アニカの脳裏に千切れた腕が浮かんだ。

 確かに大きくはない。

 自分を励ましてくれた栗色の髪の護衛は、肉片になってしまったのだ。

「……っ、う……」

 再び吐き気がこみ上げてくる。

 口元を押さえたアニカは、涙目で血にまみれた雪原を見渡した。

 ――白魔……どれほどの化物なの……?

 話では何度も聞いたことがある。

 けれど実際に『白魔に襲われた現場』を目にしたら想像も付かない。

「早く仲間とやらの腕を拾ってください。城に戻りましょう」

 リグリスがアニカに背を向ける。刹那、アニカの視界がぐにゃりと歪んだ。

「アニカ殿?」

 口が動かず、何も答えられない。アニカはそのまま、冷たい雪の上に叩きつけられた。

 声が聞こえる。

「どうなさいますか、リグリス様」

「こいつは不死身の女なのでしょう? 置いていっても……」

 リグリスに付き従ってきた、アステリオ領の男たちの声だ。

 どの声も、アニカへの憎悪を滾らせていた。

 そこに、静かなリグリスの声が響く。

「さすがに身体を食い尽くされたら、『翠の眼の聖女』といえども蘇れないだろう。連れて帰る」

 ――リグリス……様……。

 アニカの意識が薄れていく。

「リグリス様は、この女を本当に花嫁に迎えるのですか?」

「ああ」

「なぜです! 王家は長い間、我々をこの白魔の地獄に閉じ込めてきた張本人です! あいつらが送り付けてきた花嫁を、なぜ……っ……」

 一人の若い兵士が、吐き捨てるように言った。

「こっちは白魔に家族を、仲間を引き裂かれてきたってのに……!」

 その目には、憎しみと涙が混じっていた。

 そうだ。

 アステリオ領は、豊かな鉱物資源を有する反面、危険な白魔が跋扈する地獄でもある。

 数百年前、王家はアステリオ家の人間に、この恐ろしい領地を押しつけ……そして放置した。

 アステリオ領の憎悪がどんなに育とうとも、放置した。

 その結果が今だ。

 アニカを取り巻く、この憎しみだ。

 気を失いゆくアニカに、リグリスの声が届く。

「俺は彼女に翠の目の跡継ぎを産んでもらう。白魔に喰われぬ子を。喰らわれても、立ち上がる子をな」

 ――わた……しに……産ませる……?

 リグリスはなにを言っているのだろう。

 もう、目を開けていられない。

「『不死身の辺境伯』とやらが産まれれば、白魔との戦いもさぞ捗るだろう」

 リグリスの声は、身体を苛む冷気よりも冷たかった。

「それが王家の意思だ。俺たちは永遠に王家から解放されない。そのことは覚えておけ」


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