アクエリアス月へ爆飛行
それからもアクエリアスはどんどん加速しながら、まっすぐに月へと向けて爆飛行中だった。僕はめちゃくちゃな加速で体をシートに押し付けられたまま、身動きが出来なかった。柔道の抑え込みをされたみたいで、だから僕はあきらめてじっと月を見るしかなかった。
それで僕がじっと見ていると、その月が少しずつ大きくなっているような気がした。
気のせいかな? 普通ならちょっと考えられないし。
だから誰かがいたずらで巨大な空気入れを使い、月に空気を送り込んで膨らませているのだろうか…
冗談ではなく、僕はそんなバカみたいな事を考え始めていた。
でもそんな訳ないだろうから、早速僕はセリア君に訊いてみた。
「ねえセリア君。ひょっとして物凄いスピードで月に向けて爆飛行中?」
エンジンの音が大きいので、僕は大声だった。
「正解!」
セリア君も大声で答えてくれた。
だけどそれからしばらくして、セリア君はスロットルをするすると手前に戻し始めた。
するとエンジンの音がどんどん静かになり、僕をシートに押し付けていた凶暴な「引力」も、徐々に弱くなった。
「メインエンジン停止」
〈凄い凄い!無重力だ。僕は宇宙飛行士だ!〉
感動した僕は、緑のナップサックを浮かして空中に止めたり、くるくる回したりして遊んだ。
僕はシートベルトに縛り付けられていたうえ、アクエリアスのコックピットが狭かったので、僕自身がくるくる回る事は出来なかったけれど。
「後ろを見てごらん。十万キロの彼方から見た地球だぞ!」
突然セリア君がそんなとんでもない事を言った。
「じゅ…、十万キロ?」
それでそう言うと、僕はよっこらせと首を回して後ろを見た。すると、二つのロケットエンジンの間から、こぢんまりとした三日月型の地球が見えた。どこだか分からないけれど、陸や海や雲も分かった。
それにしてもこんなに短い時間に、地球からあんなに離れていたなんて!
僕はまた腰を抜かしそうになった。
無重力で腰を抜かしても何も起こらないだろうけれど。
そしてそれからもその無重力状態は続き、やがて月はりんごくらいの大きさに膨らんで、ばっちりクレーターも見え始めた。
だけど知らない間に、僕は何だか気分が悪くなっていた。
何だか吐きそう。
それと同時に僕の期待に膨らんだ胸も、月とは正反対に、少しずつしぼみ始めてしまった。
「宇宙酔いだね」
大きな月の青白い光に照らされた僕の青白い顔を見て、セリア君が言った。
〈宇宙酔いだなんて!〉僕は愕然とした。
「無重力の影響なんだ。いいかい、こういう時は冷静になるんだ。無重力のコックピットでゲロを吐かれたら掃除が大変なんだからやめてほしい」
僕は気分が悪かったけれど、確かにセリア君の言う事も一理あった。それで僕はセリア君が言うように冷静になろうと努力を開始。
ところで、冷静になるにはどうすればいいのだろう? それで僕はどうやったら冷静になれるのかを考えていた。
でもセリア君が助け船を出してくれた。
「得意の考え事でもしていれば?」
〈考え事…、なるほど!〉
それで僕はセリア君のアドバイスに素直に従い、冷静になる為というか宇宙酔いを忘れる為というか気を紛らす為というか、とにかく! 何でもいいけれど、宇宙酔い中の僕の脳みそを使って、いろんな事を冷静に考える事にしたんだ。確かに考え事は僕の得意技だし。
それで僕が冷静に考えてみると、宇宙旅行宇宙旅行と舞い上がっていたけれど、僕は重大な問題に気付いた。そしてそれは途方もなく重大な大問題だった…
僕はお父さんから聞いた事があった。
太陽以外の光る星、つまり恒星は、いちばん近いものでも光の速さで地球から何年も掛かる。そしてどんな乗り物も光より速く飛ぶ事は出来ない。
アインシュタイン君が相対性理論でそういう事を言っていたと、お父さんが言っていた。
そしてオーラム星は、光の速さで何年も掛かる遠い恒星の周りを廻っている惑星のはずだ。
だったらそこへ行くのに、アクエリアスで何年も、いや何十年も掛かるかも知れない。そしたら僕はオーラム星に着く頃には一体何歳なんだ? とにかくこれは力いっぱい重大な大問題だ!
セリア君に訊いておかないと、大変な事になるかも知れない…
「ねえねえセリア君。そのオーラム星まで行くのに、ものすご~~~く時間、掛からないの?」
「だいたい二時間だ」
「ありゃりゃ、そんなもん?」
「トンネルが出来たんだ」
「トンネル? 宇宙に?」
〈やっぱり僕は野球の守備以外でも「トンネル」に縁があった!〉
「ワープって知っているだろう?」
「凄い。アクエリアスはワープが出来るんだ!」
「でもワープするのはアクエリアスじゃなくて、トンネルなんだけどな」
「トンネルがワープ?」
「あ、でもワープの話は置いといて、ほら、月が近づいて来たよ」
突然セリア君は話題を変え、前方を指差した。
話題を変えたのはワープの話がとてもややこしいから、僕の宇宙酔いがさらに悪くなるといけないからと考えたようで、これはセリア君の暖かい心遣いだったらしい。
でも、それでなくとも突然話題を変えただけの事はあった。
いつのまにか眼の前には、大迫力の月が迫っていたんだ。僕にはそれが巨大なガスタンクくらいの大きさに見えた。宇宙って距離感がつかめない。
近くで見ると月は巨大なボールのようだった。野球の軟球のイメージにちょっぴり似ている。
それにしてもこんな巨大な物体が宇宙空間にポカンと浮かんでいるのは、僕にはとても不思議に思えた。
それで、いつの間にか僕は目の前の巨大な月に夢中になり、セリア君の思惑通り、しばらくの間、宇宙酔いの事を忘れる事となる。
その巨大な月は眩しいくらいに輝き、物凄く鮮明に、そして荒々しく見えた。鮮明に見えるのは月に大気が無いからだとセリア君は教えてくれた。
そこには大小無数のクレーターがあった。
大きなクレーターの淵は鋭くえぐられたような断崖絶壁になっていて、その中心は山のように盛り上がっているところもあった。それは「中央丘」というそうだ。
それから「海」と呼ばれる、火山灰みたいな灰色で、つるつるした場所や、険しい山脈が連なった場所や、蛇行する大河のような地形もあった。大河といっても、流れたのは溶岩だったらしい。
だけど僕がゆっくり月を眺めている暇もなく、アクエリアスはあっという間に月のそばを通り過ぎてしまった。
「月の向こう側に宇宙ステーションがあるんだ。そこでトンネルの通行料を払わないといけない」
突然セリア君は摩訶不思議な事を言い出した。だけど僕は何となく意味が分かった。
「つまり料金所だね。でもどうして月の向こう側なんかに作ったんだい?」
「地球人に見付かったらやばいからさ。月の引力を利用して宇宙船を減速するのにも都合がいいし。それでラグランジュポイント…、おっといけない。ステーションが近づいた。逆噴射だ。通り過ぎるとやっかいだし」
そう言ってセリア君がレバーを動かすと、再びエンジンが唸り始めた。
それから「ゴー」という噴射の音もコックピットに響いてきた。
逆噴射をしているらしく、噴射のガスらしいものが前方へと噴き出しているのがキャノピー越しに見えた。
それからアクエリアスは速度を落とし始めた。
ブレーキが掛った事になるので物凄い重力が前方へ働き、僕はシートベルトで宙づりになり、胃の中の物が食道へ脱走しそうになった。
そしてしばらくすると、やはり僕が今夜食べた三杯目のカレーが胃から脱走し、僕の食道のトンネルをくぐり抜け、口と鼻の中に出て来たのだ!
それで僕は必死で口と鼻を手で押さえ、それに耐え続けた。
涙が出てきたし、くしゃみが出そうになった。
その時僕はやけ食いした事を深く反省すると同時に、カレーが甘口だった事に、作ってくれたお母さんにとても感謝した。お父さんがよく作る激辛だったら…
それはともかく、セリア君が言っていたその宇宙ステーションは、月の裏側の宇宙空間にある「ラグランジュポイント」という場所にあるらしかった。
そこは月と地球の引力がうまい具合に釣り合って、宇宙ステーションが安定する場所だそうだ。そういう場所は太陽系の中にいくつもあるらしい。
それはともかく、そうこうしているうちにあの忌まわしい逆噴射が終わり、僕は宙づりから解放され、それで僕は鼻をすすり、脱走していたカレーを無理やりごくんと飲み込んだ。
そしてアクエリアスは、いよいよその宇宙ステーションに近づいた。
そこには巨大なシャボン玉という感じの物体がぽかんと浮かび虹色に光っていて、その中に宇宙ステーションが透けて見えた。
ちなみにそのシャボン玉は「大気バリア」というらしい。バリアの中だけに空気があるそうだ。
それからアクエリアスはそのバリアに接近し、ゆっくりとこれにぶつかった。
僕はその大気バリアがシャボン玉みたいに「パチン!」と割れるのではないかと心配だったけれど、「ブスリ」という感じで中に入る事が出来た。
バリアの中に入ると、宇宙ステーションは黄金色で大変立派な建物に見えた。
それにとてもややこしい形をしているようだった。
セリア君の話によると正二十面体形だそうで、いろんな場所からアンテナのような突起が飛び出していた。
そしてそのいくつかの面に二等辺三角形の窓があり、セリア君は開けられていたそれらのうちの一つの窓にアクエリアスを横付けした。
それから自動車のパワーウインドーみたいに、アクエリアスの窓を開けた。
ドライブスルーでハンバーガーでも注文出来そうな感じの場所だったけれど、セリア君が中をのぞき込むと、僕らと同じくらいの年頃の男の子が顔を出した。
セリア君はその子にカードを手渡すと、二言三言話してからまたカードを受け取った。
そしてアクエリアスは再び宇宙空間へと発進した。