七月二日 土曜日 ④
最後の場面、人によっては閲覧注意です。
家の中に招いてもらったときに感じたのはやはり、外見通り大きい家だという事だった。
玄関から上がって見えたのは、広いホール。
ホールだ。あの、映画の洋館でしか見たことのない二階に行く階段などを見せるホールだ。
映画ほど広いわけではないが、一人暮らしという点では、あまりにも豪邸だと言えるだろう。
実際、中央の緩やかな傾斜を彩る綺麗な漆塗りの階段は、黒曜石の様な美しさと木の温かさを両方感じさせてくれているし、天井を見上げれば、材質がプラスチックという風情のなさをかき消せれるほどまばゆい上品なシャンデリアがぶら下がっている。
俺の家にはこんなもんねぇぞ。
・・・あのーですね。人類保護機関さーん、この子吸血鬼なんですがー?
真っ当な人類の俺はー?キイラさんは優しいけど、それと家は別問題ですし、見劣りするんだが?あきらかおかしいくない?俺の家、エアコンないせいで夏場は家というか棺桶だし・・・え、殺しに来てます?
しかしながら、そんな感じで頭の中で疑いと悪態をついても、現実は変わってれない。
変わらないので、現実に戻って月姫に「来て」、と言われるままについていく。
自分としては、渡したらそのまま帰ってもよかったのだが、「持ってきてくれたし、何かしないと申し訳ない」なんて言われて、「帰る」の選択をするのはどう考えてもおかしくてできなかった。
なぜかって?
殺されまくっといて言うのはあれだが、月姫は美少女なのだ。
綺麗。美しい。儚い。の美的三銃士がそろうぐらいには。
つまり、一般的に、そんな美少女からお茶のお誘いを受けて帰る男子は存在しない。
訝しまれて、いつかの『殺される理由』にはなりたくない。
・・・本当に月姫が訝しむかは置いといても、そんなもしもは御免被る。
□ □ □ □
案内されたのは、客間だった。
引き合い窓はカーテンで隠され、外から見えた雑草にまみれたあの椅子と机の影だけが見える。
外を見せないほど濃い白色のカーテンが隠すように引かれているのを見るに、庭の手入れができてないのはやっぱり気にしているのかもしれない。
「その、粗茶ですが・・・」
「あ、はい。どうも」
ことり、と目の前の机に置かれたお茶。カラン、と氷が揺れる透き通った音が静かな室内に響く。
その反対側には同じく氷入りのお茶があり、そして、湯気を立たせるカップ麺があった。
月姫の視線は、俺→渡すように頼まれた箱→カップ麺→俺、と行ったり来たりさせながら、よだれを口の端に少し垂らしている。赤い目は依然と無感情を貫いているが、体は正直なようだ。
(案外、食欲は強いのか)
「食べたかったら別に食っていいぞ。麺が伸びたら嫌だろ」
「・・・お言葉に甘えて」
そう言い終わるや否や、掴んだ箸が麺を容器から引っ張り出す。エアコンが効いた涼しい部屋に、とんこつの匂いが湯気と共にひと際大きく広がっていく。
それを嗅いで我慢できなくなったのかと思うほどに、パクっと、音が出るような勢いで箸が掴んだそれを口に入れ、すすり上げる。ズルズル、とラーメン特有の食事音が響いた。
「ん」
小さな頬に入りきらない麺を嚙みちぎるように、もごもごと口が動き喉が小さく上下した。
その様子がなんだか小動物の様でかわいらしいなと、そんな感想が浮かぶ。
カップラーメンと一生懸命格闘する月姫をずっと見続けるのもあれだと感じ、つややかな長めの黒髪が流れる彼女の顔から、気になっていたTシャツに視線を映した。
よくわからないキャラクターが描かれている。頭が猫で体がスライムの様な軟体生物のイラストが描かれている。
そんなキャラクターの左右には、「ぱるくーる」と、ふにゃふにゃな力のないフォントで文字がプリントされていた。
特に意味は無いのだろう、そういう意図を感じさせるテキトーさだ。
そういうテキトーさが売りのシャツなんだろう。
そういう「普通」の物を着ているというみたことない光景はあまりにも意外だった。
いや、意外だと言うがきっとこの言葉を使うのは違うか。
意外もなにもそもそもの話、普段の月姫を俺は、何にも知らないからだ。彼女のプライベートにはこれまで一度も関わってこなかった。
幼稚園の頃も、小学生の頃も、中学生の頃も。
登校時の道が同じだけで、あいさつをすることはあっても、クラスが被ることは無く、日常の話をすることは無かった。
だから、意外と言うのは、おかしい。今の月姫を比べられるほど普段の月姫を知らないのだから。
彼女のことを見るのは決まって、殺されたときだけ。
冷たく何も考えていないような無機質な赤い目を、どうして、と恐怖の目で見るときだけ。
血にまみれた月姫雪菜だけが、俺の知る月姫雪菜だ。
殺そうとしても殺せなくて、憎しみも恨みも辛みも無意味なものだと達観するしかなかった、理解できないものだと諦めたそんな存在。
「ふー、ふー」
その彼女が、目の前で湯気に目を細め熱いカップラーメンで苦戦している。
見たことが無い理解できる所を俺は今、見ている。
だから、心に、恐怖以外のものが湧き出てきているのだ。
知らない一面をもっと知りたいという、そんな小さな小さな興味が。
(案外ちょろいのかねぇ、俺は)
100歩譲ってどうしようもないからという側面があるとしても、自分を殺す存在を恨みたくないと考えてるあたり、相当ちょろいのかもしれない。
そんな自己分析をしていれば、スープさえ飲み切られたカップの中で箸がコロンと音を立て、そのまま机の上に置かれた。
ペロリ、と無邪気に口に着いたスープの残り香を舐めとる月姫の妖艶さに内心ドキリとしながら、されを隠すためにお茶を一口。
氷が程よく溶け、冷たくなった液体は夏の熱気をため込んだ内側を良く冷やす。
一口のつもりだったが、そのまま二口、三口と行ってしまい、口から離した時には、すでに三分の二が消えてしまっていた。
「お茶菓子、いる?」
目をやれば、お菓子で満たされた木製の器が目に入る。お茶を飲んでいる間に用意してくれたようだ。
「あ、んじゃ、もらうわ」
「ん、どうぞ」
木製のボールの中に入っていた袋入りのお茶菓子詰め合わせ。その中から、チーズおかきと、小さな歌舞伎揚げの二袋をつまんで取り出す。
月姫も同じように、小さな四角いチョコと歌舞伎揚げを取り出す。
「歌舞伎揚げ旨いよな」
「わかる。このサクサク感、好き」
「・・・ねぇ、えっと」
「ん?なんだ、月姫」
裂いたビニールの包装紙から取り出して、歌舞伎揚げを口に入れた時、その言葉は投げかけられた。
「えっと、ね。その、ごめんね」
「?」
何に対してだろうか?
月姫は疑問符を浮かべる俺を見ず、机に縫い止められたまま言葉を紡ぐ。
「昨日、教室で巻き込んじゃった事がまだ謝れてなかったから」
「・・・あぁ、あれか昨日のロッカー事件。いや、別にいいよ事故だし俺も・・・」
俺も、とつなげようとした瞬間、笑顔で上代秘織は凍り付く。どこのバカが、女の子の前で「お前の下着姿を見てしまったし、チャラでいいよチャラで」と言うのだろうか。完全にセクハラではないか。
そんなセクハラ未遂野郎は、チーズおかきを持ったまま言葉に詰まっている。
「・・・『俺も』、なに?」
上目遣いで不思議そうに言葉を返す月姫、悪意はなく純粋な疑問なのだろう。
「・・・いや、別に、なんでもない。うんなんでもないよ。なんでもない」
「うん?そう・・・そう」
シュンとする月姫。なぜに?
下を向いてるということも相まって、目が見れず、ただでさえ考えていることがわからないのに、もっとわからない。
目が見れても理解できたかわかんないけれども。
口に放り込んだチーズおかきは、濃いチーズにしょうゆベースでザクザク感。これぐらい単純であったらなぁ、と心の中と口の中で思いを転がし、おかきと共にそのまま飲み込んだ
月姫は下を向いたまま、よくわからない気まずい空気が流れ始める。
渡すものは渡したし、帰るのは間違いではない。だが、「じゃ、帰るわ」というのは、何かが違う。
それに、会話がしたくないというわけでもないのだ。
ぽりぽりと、頭をかきながら口を開く。
「あー、月姫、なんだ、明日のダンスはどうだ?」
「・・・順調だよ。今日の夜、最後のリハーサル」
やっと、顔を上げてくれた。紅い目に見入りそうになるのを我慢して、会話を続けるために声を絞り出す。
一文字声を出せれば、あとはするすると出てくれた。
「夜に、リハーサル?」
「うん。明日のために、月光を当てなきゃいけない魔装具と魔導具があって、それでね」
「魔具をつかうのか相当気合が入ってるんだな。もしかして、昨日空を歩いたのも」
「そうなの。ふふ、すごいでしょ。・・・実は、その魔具達は魔具開発部の。だから性能は折り紙付き」
どこか自慢げに、小さく笑いながら彼女は言う。
しかし、そんなほほ笑みとは違い俺はその言葉に凍り付いた。
「そ、それ大丈夫なの???」
「?」
「いや、だって、あそこの発明品いつも爆発してたはずなんだが・・・」
「え。そう、なの?」
魔具開発部。愛称、爆弾魔。
性能を尖らせすぎるがあまり、爆散する危険物を作ってしまう部活として学校内で有名だ。
それなりに部員はいるため廃部にはなっていないが、施設爆破の数が数なのでもうそろそろ廃部になるのではないかと言われている。
本当におかしい。なにをすれば、一般魔術師程度の魔術ならマナを散らして無害化できる高性能な実験室を半壊全焼のガラクタにできるのだろうか。
爆弾魔の愛称は伊達ではない。
そんな部活が作った魔具。不穏でしかない。
「確かに、部活の子たちにもやめとけやめとけって言われたけど・・・」
「言われたのに、やったの!?」
「その違、違うの。あの、その目はやめて」
おかしな人をみるような目で見られたのは相当に応えたのか、恥ずかしそうに眼を反らせて怒ったように頬を膨らませた。
「はぁ、じゃあ、なんで」
「・・・その、えっと、・・・開発部の友達にお願いって、言われたから」
何度かためらった後に、恥ずかしそうに人差し指と人差し指をちょんちょんしながらそう言った。
友達に言われたからって・・・。いや、あのマッドサイエンティスト集団の一人でも、友人へ作るものならそれなりに出力をセーブするだろう。
・・・セーブするよな?セーブしてるよな?それが吸血鬼バレに繋がる原因にはならないよな!?
嫌だぞ魔具の解体と組み立ては!!俺は警察の爆弾処理班じゃねぇんだぞ、できねぇよ!!!
やれってなったらやるしかねぇからやるけどさぁ!!
「ど、どうしたの?急にぐったりして」
「あぁ。いや、急に心労の疲れが・・・」
「そう?・・・ちょっと待って」
「へ?」
椅子を引いて、とことこ、と歩いてくる。
「いや、あの月姫さん?」
「動かないで」
動かないで、と言われたらもう、彼女を目線で追うしかやることがなく、追った目線は文字通り目の前まで来た。
そして、月姫の顔が急接近した。
具体的に言うならば、残り距離5cmぐらい。鼻と鼻が後少しで当たってしまうほどの距離だ。
「つ、月姫さん!?」
「動かないで」
のけ反ろうとしたが、そもそも椅子に座っている上に、それを見越してかすぐに肩に手を置かれて固定されてしまい動けなくなる。
目と目が糸で結ばれたように、見つめ合う。
紅い、血の様な綺麗な赤色の目。その目の中に自分の黒い目が溶けて、『様な』から正真正銘の酸素をむさぼる血の色へ変化する。
黒ずんだ正真正銘の血の色に。
俺のせいで、彼女が変わる。
「ッ」
せすじがぞわぞわと、わけのわからないかんかくがはいあがってくる。
これ以上見続けてはいけない気がするのに、光に吸い寄せられる羽虫のようにその瞳から逃げられない。否、逃げたくない。
見ていたい。魅入っていたい。
ロッカーの時よりも、7月5日の首を絞められた時よりも、近い顔が情緒と心拍を狂わせる。息ができない処の話ではない。息なんてしたくない。この一瞬にそんな無粋な雑音を入れられるなんて、あってはならないのだ。
近づいてくる。5cmがさらに縮まる。縮まって、そして。
「ん、熱っぽい?」
こてん、とおでことおでこが重ねられ、魅入りたいと願うほどに美しい瞳は、あっさりとおでこの熱を感じるために閉じられた。
「・・・」
「でも、風邪じゃなさそう。良かった、ね」
あれだけ近かった距離が、いとも簡単に離れていってしまう。直接感じれなかった布越しの肌のぬくもり、その余韻を残して。
「ソウデスネ、ヨカッタヨ」
「どうしたの?」
うつむく俺の下向きの視界に、横から彼女の顔がこんにちは。横になった顔を、縦に前髪が頬をなぞって垂れた。
その一連の色っぽい事象で、テンポダウンし始めた心臓がまた大きく跳ねる。落ち着け俺の心臓、思春期か。高一で思春期だけども。
「イや、いヤ・・・いや、月姫さんが美人だと思っただけだよ。まぁ、もうちょっと?距離感大事にした方が良いとは俺は思うよ」
「・・・褒めてくれたの?」
「ほめたというか、事実を言っただけだから。あと本当に、その距離感ほかの人にもしてたら鼻血出すやつ出てくるからなマジで。やめろよ、ほんとに、ほんと。心臓、悪いから」
目線をずらし月姫を見ないように俯いて微妙に顔を赤らめ、バツが悪そうに苦い顔をして忠告する秘織を見て月姫は何を思うのだろうか。
目を真ん丸に、驚いたような顔をしているかもしれない。もしかしたら不満そうな顔かもしれない。
「もしかして、恥ずかしかったの?」
「ぬぁ!?」
図星を突かれた。
「ぷっ、あはははは!」
「わ、笑うことはないだ・・・ろ」
おもいっきり顔を上げ、恥ずかしさが限界突破をした感情のまま言葉を吐き出そうとして、生きてきて初めて俺は見た。
笑う月姫を。
年相応に、微笑む月姫雪菜を。
□ □ □ □
「帰ってきたぁ」
時刻は、夕方手前。具体的には十六時前。
笑われた後、数回の会話のリレーをした後、夕食の用意があるからと会話を切り上げて帰ってきたのだ。
「結局課題できてねぇし、晩飯も作らないとなぁ」
何一つやろうと思ったこともできず、円満ではなかった休日の一日。
だけれど、妙に充実したと思える感情が心を満たしている。
『ぷっ、あはははは!』
可笑しそうに、目じりを細めて少女らしく笑う月姫。それが、閉じた目の中に映り、それと同時に忘れるなとでも言うように、中学三年生の時に見た月姫も脳裏に浮かぶ。
月姫を殺すことを諦め、恨むこと憎むことを無意味であると達観したあの夜の姿を。
両腕をべったりと赤に染め、俺のあばらを引き裂き肺をちぎって、文字通り心臓を引きずり出した、冷たい目をした美しい吸血鬼の姿を。
「落ち着け。落ち着け」
動悸がする。眩暈がした。恐怖がぶり返し、吐き気もしてくる。
それを精神力だけで押し戻し、ゆっくり呼吸。もやがかかり始めた視界はクリアに、胃液の味がした唾液は胃の中に戻る、全てが元に戻る。
あまり深いれしなくたっていい。月姫がなんであろうと、どちらが本質であろうと。俺は、どうでもいいのだ。どうでもいいのだから、怖がるな。
何が本当かなんて確定なんてさせなくていい。俺は、ただ、あの子の吸血鬼バレを防げればそれでいい。だから、もう考えるな。
幾度と繰り返した呪文のような言葉は、精神を安定させていく。
「今日は、カレーにしよう」
明日に備えなければ。何かの見落としで、二度も殺されたくない。恐怖を積み上げるのは少ない方が望ましい。
まだ少しふらつく足取りで台所に向かう。気分を切り替えるには料理はうってつけだと、逃げるように考えながら。
□ □ □ □ □
「リハーサル、やっと終わった」
今は夜中の二十二時前、深夜に片足を踏み込み始めたその時間帯。月明かりが指す森の中の家へ人工の明かりが灯る。
明日のダンス大会の衣装や、魔道具を詰めたスポーツバッグを肩にかけ、玄関に月姫雪菜が学生服姿で立ち止まる。
子供が返ってきたことを気に掛ける誰かは存在しない。そんな当たり前なはずの環境に、少女は寒々しさを覚えてしまう。
昼間に予期せぬ客人を招いただからだろうか?
「そうかも」
疑問を答えとして肯定しながら、ギぃ、ギぃ、としなり音を鳴らす階段を踏み、自室に入る。
電気をつけようとして、お風呂場にすぐいくから付けなくてもいいかと怠惰に考えを改め、月明かりを頼りにバックを机近くに置くと、服を脱ぎ始めた。
スカートが太ももをなぞりながら重力に従って床に落ちていき、服を脱いだことによって、着やせで隠されていた17歳にしては大きめの胸が下着の中でたゆんと揺れた。
その下着も取り払われれば、生まれた姿の女子高校生のみずみずしい肢体が、銀色の光に照らされる。
「寒い」
少女は、薄く走る鳥肌に体を震わせて、寒さをごまかすように体を抱きしめた。
机の上の箱を、昼間に上代秘織が届けてくれた物を掴んで、部屋を出て階段を下り目指すは。
「お風呂場の前に、キッチンに行かなきゃ」
キッチンの扉を開け、迷いのない手つきでシンクの下から包丁を取り出した。普通の、一般家庭にはあまり見られないような厚みを持つ牛刀を。
月の光を反射する銀色の金属光沢は、あまりにも鋭すぎて少女の細腕には似合わなかった。
それを脱力したように、ゆるく持ちながら箱と一緒にお風呂場へ移動する。
お風呂場の電気をつける。お風呂には、お湯が溜まっていなくて空っぽだ。
それでいい、今入れてしまったら汚れて使えなくなる。そんなもったいないことはやりたくない。
お風呂場に置いておいたブルーシートを広げ、バスタブの中にひろげる。
これで、準備は整った。
コロン、と音のなる段ボールの箱を開けて、中の真っ黒の箱を取り出した。
息を吸って吐く。鳥肌が立つのは、きっと寒さだけではない。それでも、やらなければならない事だからと、自分のやることを形だけでも正当化させ偽りの勇気で満たしたその心で、その手で黒い箱を開けた。
箱は何の抵抗もなく静かに開く。
覗き込んだ箱の中は、光さえ届かない深淵が広がっていた。
この深淵は、怖くない。負の感情の源は、その奥にある。
『一人で、できるよね?』、と箱の送り主が過去の言葉を使った問いかけで、圧をかけてくる。
私が私であるための、予防線を自分で張れと。
本当に必要かさえわからない予防線を。
肌着一つ羽織らない裸の少女はその問いに答えずに、ただ行動する。深淵に指を沈め、冷たい手ごたえを掴んだ。ゆっくりと、ずるりと、引きずり出されたのは
成人男性程の『首のない死体』だった。
ーー重く、生々しい存在感が、浴室を支配する。その支配を当たり前のように捉えて気にせず、箱を浴室の外に置き、準備していた包丁を握り。
無表情で、それを死体に突き刺した。
つきたてられた包丁がグジュリ、と皮を突き破り、屍肉にその刃を埋める。
綺麗な銀光沢が、血で陰るのと同じように、少女の柔肌もまた死体から吹き出た血に汚されていく。
それを気にも留めず、包丁はその動きを止めない。
ゆっくりゆっくり、成人男性並みに縦へ長い死体を細切れに解体していく。
熟練した動きでも洗練した動きでもないが、堂に入った慣れた手つきだ。時間を余分にかけながらそれでも着実に、筋肉質な足が骨盤から、肩が胴体から、関節ごとに裂かれ、千切られ、ばらばらにしていく。
はらわたがえぐりだされ、骨から筋肉がそぎ落とされ『腕』を『足』を『指』を『胴体』をただの肉塊に加工する。
それに伴い敷かれていた青が、ドバドバとあふれ出てくるどす黒い赤に塗り替わっていった。
匂いがする。赤錆ににた、血の匂い。気持ち悪くも思うのに、少女にはどうしても甘く美味しそうと思ってしまう気色の悪い匂いが。
あまり良い気分にはならず、解体の速度を早める。
そして一時間後、そこには折り重なった骨と一塊の肉塊、そして肌を赤と黒に染めた少女がバスタブのなかの血だまりに浸かっていた。
じっと、死んだような無表情で肉塊を見る。赤の山。それへ、手を無造作に突っ込み。口へと押し込んだ。
片手から、溢れるものを気にせずに。
もぐもぐ、ぶちぶち、がつがつ。
もぐもぐ、ぶちぶち、がつがつ。
もぐもぐ、ぶちぶち、がつがつ。
もぐもぐ、ぶちぶち、がつがつ。
一心不乱に、ただ無造作に味わうこともなく、腹に詰めるのだけを優先するように口を動かす。
無表情にただ食べる。感情の機微は肉と共に飲み込まれて、外には表れることはなかった。
骨もかみ砕かれて胃に収まれば、そこには何も残ることは無い。
全てを平らげた血まみれの少女はただ一言、覇気のない声で。
「ごちそうさまでした」
ぴちょん、と髪を伝った血が足元の血だまりにこぼれていく。
全てが終わった静寂の中、これまで怯えるように声を潜めていた虫がうるさいほどに鳴き始めた。
そして、二四時を過ぎ、七月二日は終わりをつげる。
次回、七月三日 デート編(男)。




