七月一日金曜日 ⑤
薄い鉄板が目前に立っていた者の額をぶっ飛ばす。
黒髪が揺れて床に倒れる人影が視界に移るが、視線をそこに留める暇はすぐになくなった。
「こっち」
「え、うっわ!?」
捕まえれた手首を引っ張られ、ベランダの、窓の方へと・・
「窓を・・開けて」
「まて、まってちょいちょいちょい!?!?」
何をしようとしているのか察しがついて青ざめる。
こいつは、この5階から
飛び降りるつもりだ。
「見つけた!!見つけた!!!雪菜ちゃん!!私のドレスを着てよ!いや、着させてあげるッからっ!!」
「!?」
やめろ、何を考えてる、ふざけてんのか、やめてください死んでしまいます・・どう言って月姫の足を止めるかと考えた時、後ろから聞こえた歓喜の絶叫に、反射的に振り向いてしまう。
そこには、鼻血を・・いや、血の代わりに黒い何かを流す黒髪少女が立っていた。
グリン、と白目をむいていた彼女の瞳が定位置に戻る。
こちらを凝視した執着だけを宿した瞳に、意識と血の気を全部持ってかれ、頭が恐怖で警鈴をならす。ホラー映画を見ているような気分で、なぜこうなったという悲観でめまいがする。
が、すぐにその血の気と意識は予期せぬ痛みによって戻ってきた。
「おごッ!」
窓の淵に横腹が衝突し、ものすごい力で、具体的に人一人分の重さで、窓の外に引っ張り出される。
一瞬でも、何をしでかすかわからない月姫から意識を外したのが運の尽き。
月姫は、確認も取らず空に飛び出しやがったのだ。
とっさに足を力ませ踏ん張ろうとするが無意味。
同年代の少女といえど、人ひとりの体重。片足が浮いてしまっている時点で、これをどうにかすることはできなかった。
ずるりと体が外に引っぱり出され、浮遊感に抱かれる。
何かを思うには早すぎて、何かを叫ぶには遅すぎて、止めるには筋力も運も何もかも足りなさすぎた。
そんなすべてが中途半端な形で、五階から飛び降りた月姫とその道ずれの上代は見るも無残な血肉の塊に・・・
「魔術装具、起動。風よ、靴と化して空を歩く権能を私に」
腕が、引っ張られた。
「ぐがっ!?」
腕に負荷がかかる感覚、浮遊感が止まり重力が体を掴む感覚。
その感覚を根拠に恐る恐る、目を開く。
宙ぶらりんで、浮かんでいた。
地上は遠そうで近い。
すこしの勇気とそれなりの運動神経があれば、怪我をせずに着地できると思えるほどに。
「飛び降りたけど、大丈夫?」
頭上から声が聞こえる。綺麗な声だ。
「先に言ってくれよ」
上代秘織は、青い顔しながら苦笑いと共にそう彼女に言った。
魔術装具、適正でない魔術を装備越しに展開する装備。
それを使い空に浮かぶ少女は、一言、ちいさく。
「ごめん」
そう言った。
□ □ □ □ □
月姫に捕まったまま下降し、校内の手短な草むらに着地する。
ふっつうに死ぬかと思って足がガックガクだった。数分はうまく立てず、月姫に支えてもらった。
月姫は少し焦っていた。
「ごめん、あの子が下りてくる前に、私、早く行かなきゃ。また見つかったら、次こそこのドレス破かれちゃう」
「あの気迫は・・・うん、やりかねんな・・・」
というか、台詞的にそのつもりで来てたとしか思えない。
自分もこの後は普通に図書館に行って、怠惰な猫又に「掃除道具は全部回収されていた」と報告しなきゃならないし、ここで別れておくのがいいだろう。
そういうことで、月姫は部室へ駆け出していった。
「明後日、絶対来てね。がんばる、から」
最後に、そんな感じの小さな声で手を振りながら。
彼女が見えなくようやく肩の力を抜くことができた。脱力と共に息を吐き
「なんというか、イベントばかりの一日だ・・・」
「ありゃ?これでこのイベントが終わりだと思ってます?残念、ここで私が悪意を持って登場するからにはこの長ったらしいイベントと台詞はさらに続き、イベントの大渋滞になるのは必然となるでしょうってね。自分で言うのもさらながらうっとおしい悪意ですねドやり」
急に草むらの中から何か生えやがった。
「のわぁああああ!?」
「わっすっごい。黒ひげ危機一髪なりに飛び上がりましたね、どうやら背後からの悪意を込めた奇襲はナイフの一撃足りえたようでその顔パシャリ」
尻もちをついた俺に向かってカメラのいシャッターが切られる。
その声は聞いたことがある声で、知っている亜人の声だった。
「スクープないかなーって、草むらに潜んで生徒の盗撮を悪意でやってたら貴方が落ちてきた。しかも、ドレス姿の人族と。なんとロマンチック・・・もしかして、そういうプレイですか?純粋無垢な恋愛?ドロドロな昼ドラ?それとも、あはーんな関係だったり?人族二人の蜜月について話してくださいよぉ。どうなんですかね、にやり」
悪意を持って、目の前のキョンシーは問いかける。
学園一の嫌われ者で、過去に、月姫が吸血鬼だというのを自力で推理して学校にバラまき、死に戻りの理由を作り出した要注意人物。
新聞部所属高校一年生、屍族のキョンシーの亜人で萌袖のように長い袖を持つチャイナ服に似た形をした学生服を着る生徒。(校則である程度は学生服の改造が認められているミイカのスカートなどの学生服もそれだ)
名はバーバヤー・ランラン。
きょとん、と首を傾げあざ笑いに顔を歪めた彼女が口を開く。
「おかしいなぁー、返事もできないんですかぁ。そ れ と も、聞こえてなのかなー。聞いてますかぁ?人間さーん」
低い背の彼女は覗き込むように一歩踏み込み、額に張られた札と短い白髪の隙間から覗く濁った黒色の瞳で凝視する。
言葉の節々からは嫌でも、こちらをあざ笑い貶しこけにし、イラつかせようとするのがわかる。
邪推極まりない言葉に反論するには、真実をぶつけたくなるのが人の常。
そして、怒りはその本質に至る思考を阻害する。これはそれらを理解したうえで行われている悪辣な誘導尋問だ。
(よりによって、1番めんどくせぇ奴に出会ったな)
無言の無視で図書館まで行ったところでこいつは止まらないだろう。人が聞こえるようにそれらしく語る憶測が図書館内で反響することになるのが、火を見るより明らかだ。
「ねぇねぇ〜、ほら、スクープにするからさぁ言ってくれません?その煮えたぎる腹の底をバシャって私の耳にぶつけてくださいよぉ。あ、もしかして図星で言い返せない?なるほど確かに、沈黙でしか返せない返答というのも乙なもの。良い!良いですよね!では、私が面白おかしくその認められた事実をネタに記事を書…」
だが、何もしなかったら勝手にヒートアップしていくだけ。本当にこいつは手に負えない。
そして、記事にされることを見過ごすことはできない。月姫が全生徒に注目されるのは、吸血鬼だとバレる原因になりかねない。
死に戻りが起これば、否応なく全生徒を疑わないといけなくなるだろう。
骨が折れるどころの話ではない。キャパオーバーだ。
(ッ・・・もういっそ、やり直すか?)
「んふ、おやぁ?苛立って来ましたぁふひひ。殴りたい?殴りたいんですか?良いですよ?スクープのためなら左頬と前歯ぐらい惜しみませんとも。題材は何が良いかなぁ、暴力に目覚めた人間、憎き魔族に復讐の第一歩?、それとも、暴力人間に恋する少女の内心に迫る?・・・ねぇ、貴方はどんなスクープになりたい?案ある?」
避けられそうにない面倒事への逃避と、こいつへの憎悪を理由に拳を握り、それを振り下ろすことができないままにわなわなと震わせることしかできなかった、その時。
「風紀委員の前で何やってるんですか、先輩方」
トン、と両者の間に緑で小柄な少女が降りた。
驚きはした。だが、同時に、納得がいった
一枚の羽毛が地面に落ち、翼が畳まれる。
その一連の動作の後、朝に会った風紀委員のモミジはこちらを睨みつけ。
「上代先輩、こぶしを」
「・・・わかってるよ」
握りしめていたこぶしを緩め、手を楽にする。
それを確認したモミジは用がなくなったと言わんばかりに、俺から視線を外し、背を向いて。
まるで俺を守るように、キョンシーと正面から相対した。
「次です。ランラン先輩。その構えたカメラのボタンに触れている指を退かし、今すぐカメラを下ろしてください」
毅然とした態度で、高圧的に風紀委員としてモミジは両者に等しく命令を下す。
が、彼女だけは何を言ってるんだとばかりに頭を抱え・・・。
「はぁ、わかってないないよモミジちゃん。新聞部からカメラを下ろせだなんて、そんな悪意しかない言葉どうして私が聞かなきゃならないの?そんなひどい悪意にまみれたこと言うならさぁ、そんな私の専門分野を語ろうとするならさぁ。お駄賃で私にスクープをくれてもいいんじゃない?例えば、風紀院長のスクープとか・・いや、小さなスクープ一つを渡さないと私は言ううことを聞かな」
「黙れ。その長ったらしい駄文を今すぐ止めて、私の顔を取ろうとしているその指を今すぐ退けろ」
「しなかったら?にやり」
カメラはいまだ下げられず。にっこりと煽り顔のまま。
「委員長を、呼ぶ」
「あひゃひゃひゃ!!出た出た!風紀委員の例文じみたお家芸!・・・その言葉ってただ自分の無力を自分で証明してるだけだよね?何にも力ない人が、友人さえ守れなかった人が!なーんでそんな威張ってるのかなぁ?」
死体があざ笑う。悪意を持って。
「ッ・・・!」
「あら、噛みしめたねぇ、だめだよぉ記者に弱み見せちゃ可愛んだからもう、うひひ」
一歩、白髪の少女がモミジへ踏み込む。下から覗き込むように、顔を眼球にねじ込むような勢いで。
その瞬間、攻守が逆転した。
「無力を嘆いてる?自分一人では何もできないのはつらいのよね?」
「薄っぺらい言葉をぺらぺらと、お前に何が」
「えー、わかるわけないじゃーん!弱者の気持ちなんてぇ!理解してほしいとかかわいいところあるねぇ、哀れじゃん。かわいそ。そんなんだから、貴方は小悪魔一人守れないんだよげらげら」
「お前がそれをッ!!」
真っ直ぐな者が憎悪に奥歯を噛みしめる音を、愉悦の視線が楽しむ。
悪辣以外の何物でもない。
「まて、止まれ」
だからそれ以上、見ていられなかった。
「ッ!触れるな!」
肩に置いた手を翼に振り払われる。
そんなの分かっていた。
助けようとした存在に助けられるほどみじめで苦しいものはない。今のこの状態に羞恥の油を注ぐのはあまりに逆効果だ。
だけど、一瞬、息を吐く間がなければならない。
この外道のリズムを崩すにはこれしかなかった。
モミジと上代の視線が交差する。
一瞬だけほんの刹那だけ、ランランは視界から消えた。
「冷静になれ、ネタにされるぞ」
「ッ!!!」
だから、言葉を噛み締める余裕が出来た。
「ちぇー、ケチだねぇ上代君ぷんすか。そのまま言わせてれば、心の内をぼろぼろ零してくれたのに、私のネタ潰すとかひどいねぇ私と同類だったりする?」
首を傾げ、にやにやと問いかける姿は白髪と整った容姿に相まってどこか魅惑的だ。
だが、どうしようもないほどに本性の腹黒が過ぎる。
一生こいつを好意的にみることはないだろう。それだけは絶対言える。
「てめぇみたいな外道と一緒にするんじゃねぇよ」
「つれないなぁ。まぁ、いいかぁ!楽しめたし。今日はここまでにしてあげよう。あぁ、善意じゃないよ?私の悪意的な気まぐれのお か げ で、終わらしてくれた方が屈辱的でしょ?もやもやして嫌でしょ。借り一つってことで。ではではあはは~!」
ひっかきまわすだけ引っ掻き回して、鼻歌交じりにそいつはふらふらと歩き、視界から消えた。
後追いなんてできるわけがない。
しようとも思えない。
「・・・ありがとう、ございます」
「・・・」
ギリリ、と食いしばるモミジはかすれた声でそう言った。
それに対して自分は何も言えない。
助けられた側が、助けた人間に向かって何が言える。
その言葉を言うのは本当は俺だったはずなのに、『いいえ、どういたしまして』なんて、言えるわけがない。
仲裁が入らなければきっと、あいつは月姫と自分のことをネタに記事を書いていたはずだ。
助けられたのは自分なのに、どうして立場が逆転している。
(あんのクソキョンシーこうなることも見越して、引きやがったな)
空気が最悪だ。
「いい、や。自分も、ありがとう。あのままだったら、俺はきっと新聞のネタにされて校内の笑いものになってた」
そんな、取り繕いにしか聞こえない言葉をひねり出すのができる最善だった。
モミジのことはよく知らない。ランランのいう守れなかった友人なんてものも当然しらない。だから、どういった声をかけるのが正解だったのかなんてわからない。
ただ・・・。
「ッ!くそっくそっ!なんで」
歯を食いしばり、自己嫌悪と無力さに打ちひしがれている様子から、責任感が強い子だということはわかった。
モミジにかけれる言葉はなく、自分にはできることはなく、その場を離れるしかない。
歩くたびに逃げているような罪悪感が増幅する、もやもやでぐずぐずな後味の悪さだけが、喉に張り付いた醜い淡のように取れず残り続けた。