2.
「ん……」
「お、目が覚めたか」
薄べったい布団の上で、少女は目を覚ます。
寝ぼけた目で当たりを見回し、玲を10秒ほど見つめてから突然飛び退った。
「だ、だれ!?」
「わー待った!ここ壁薄いんだからあんまり騒がないでくれ!」
ドンッと壁が殴られる音が響き、場が静まり返る。
なぜか一日中家にいるお隣さんは、今日もご機嫌斜めらしかった。
部屋の中をきょろきょろと見回した後、少女は自分の着ている服を不思議そうに眺めた。
「その、アンタ裸みてーな格好で落ちてきたからさ、とりあえず俺の服着せたんだけど…き、極力見ないし触んないよーにしたからさ」
「ふうん……?」
少女は不思議そうに玲に近づき、匂いを嗅ぎ始めた。
「ちょ、近…!」
「あなた、ふしぎなにおいがする」
「げ、匂う?」
玲の部屋は基本的にオンボロ部屋だが、まだ水道とガスは止められていない。
毎日シャワーも浴びてるし洗濯もしてるのに、匂うのだろうか…
玲が慌てて自分の匂いを確認していると、少女は首を振った。
「そういうにおいじゃなくて。まそのにおいもしんそのにおいもしない」
「まそ?しんそ?」
「でも、けものでもなさそうだし、ううん……おなかすいた……」
少女はぺたりと座り込んで、空腹を訴える鳴き声を発した。
そういえば、自分も帰ってきてから何も食べていない。疑問に思うことはあるけれど、玲はひとまずは何か食べ物を用意することにした。
「今は何が残ってたっけな……」
冷蔵庫を開けると、卵がふたつにベーコンが少し。
あとは野菜の切れ端が散乱しているくらいだった。
「げ……明日買い出し行かねえと」
「かりにいくの?」
「狩り!?いかねーよ、何時代の人だアンタ」
幸いにも米はたくさんあったので、まずはご飯を炊くことにする。それまでの間、密かに気になっていたことをどうにかすることにした。
「さて、米が炊けるまでは時間あるから……それ、どうにかしないとな」
「それって?」
「だから、その……服だよ、服。いつまでもそのまんまじゃ風邪引くだろ」
「かぜなんかひかないよ?」
「そう思ってても引く時は引くんだよ……なんかいい服あったかな」
クローゼットをひっくり返す勢いで漁っても、大した服は出てこない。そもそも古い服は売ってしまったし、少女に合う服なんてあるはずもなかった。
「くそ、やっぱ無理か……」
「わたしこれでいいよ?」
「アンタがよくても世間とオレが良くないの」
だぼだぼのシャツ一枚でくるくると回る姿はいろいろと良くない。
しかたないか、と思いとある人物を呼び出す。
と、同時にご飯が炊ける音がしたので卵とベーコンを焼き始める。
「いいにおいかも」
「そりゃよかった。大したもんじゃねーけど我慢してくれ」
ただ焼いただけの卵とベーコンを皿に移す。
料理を並べると、少女は少し首を傾げてから手づかみで食べようとした。
「わー待て待て!ちゃんと箸……いやフォークでいいから使え」
「はし?ふぉーく?」
「嘘だろ、アンタやっぱり野生児かよ?」
いや、育児放棄かも……そうは思っても、口には出せなかった。
もしそうだったとしても、自分にはどうしようもない。
「はあ……ほら、教えてやるから。箸はこうやって持つんだよ」
「むむ……もてない」
「やっぱいきなり箸は難しいか?じゃあフォークだな、持ってくるからちょっと待ってろ」
ピンポーン。
フォークを手にした瞬間、チャイムが鳴った。
こんな部屋を訪ねてくる人なんてそういないので、誰が来たかはすぐにわかる。
フォークを片手に持ったまま玄関を開けると、そこには制服姿の少女がいた。
「やっほー玲!アタシのこと呼ぶなんて珍しいじゃん、しかも中学の時の制服持ってこいだなんて……変なことに使わないでよ?」
「事情は説明しただろ!つーかなんでまだ制服なんだよ」
「いいでしょ別に、女の子は制服が戦闘服なんだから。それじゃお邪魔しまーすってごめん、ご飯中だったんだ……ね……」
部屋に入るなり少女は絶句した。そこには慣れない箸を必死に握りしめて、震える手で目玉焼きを口にしようと四苦八苦するかわいい生き物がいた。
「おい晴奈、鞄落ちたぞ」
「………か」
「か?」
「かわいいいいいいいっ!!」
「なに!?だれ!?」
突然飛びつかれた少女は目玉焼きを落としてしまうが、晴奈が皿で受け止める。
ひたすら困惑する少女を意に介さず、抱きつき頬ずりをする姿は控えめに言ってドン引きだった。
「そこまで。こいつが困ってるだろ」
「あーん、もう少しいいじゃんけちー!」
「だ、だれなの……?」
「悪いなアンタ、こいつは高崎晴奈。まあ幼馴染っていうか腐れ縁っていうか……」
「そこはただの幼馴染でいいでしょー?そういうことでよろしくね、えっと……」
「ああそうそう、こいつは……こいつ、は」
「?」
この少女のことを紹介しようとして、言葉につまる。
そういえば、大事なことを忘れていたような。
「……そういえば、名前も聞いてなかったな」
「えー!?なんで名前も聞く前にごはん食べさせてるの、距離感バグってる!?」
「うるせえな、腹減ってたんだから別にいいだろ。それで、アンタ名前は?」
「んっと、まお……」
「まお?」
「……まこ!わたしはまこだよ」
「そっか、よろしくねまこちゃん!」
「うん……あなたは?」
「え?私は高崎……」
「せいなじゃなくて。あなた」
名前を呼ばれた晴奈は悶絶している。人の家で騒がしくしないでほしい。
それはそれとして、そういえばこっちの名前も教えていなかったな、と思い至る。
「……玲。雨依玲だよ」
「あまより、れい……うん。ありがと、れい。たすけてくれて」