第七章 第二節 己との対峙 ※
(この音は……! 聞いてはダメだ!)
「ひとりよがりの正義を振りかざす天空の魔を我らが追放したのだ」
(聞いてはダメだ! なのに、聞こえてくる!!)
「ムダだ。我の音は脳に直接届くようになっている」
「なん……だと!」
耳を塞ぎながらファリドゥーンは答える。
「見よ、この絵を。己の認める正義には恵みを、認めない正義には恐怖を与える神々ではないか。その筆頭格がヴァルナなのよ。ミスラが契約と祝福をし、アフラが天から見守る。そしてそれに従わないものや秩序を破壊する者には天罰を下す。天罰を下すのがヴァルナよ。ヴァルナは人間の全身を水ぶくれにして、殺す。あるいは鉾で抹殺する。水の神である以上、容易なことだ」
(違う! こんな悪魔の誘惑に乗るもんか!)
「もちろん、本当に悪事を働いたものも大勢いた。賭け事、親子喧嘩、食うに困って盗みを働くようになった者までをな。そう、我が人間であった時の我の親も、私もゴミのように殺された」
(――!!)
「人々はささいな悪事にまで罰するようになったヴァルナに恐れおののき、人々は対抗すべく悪の神を召喚した。多数の人間を捕え、生贄として捧げた。生贄は主に戦に負けた異民族の人々だった。
人々はやがてその神を祭るようになった。そして力を得た神は『力の神』と呼ばれるようになった。力を得た神は人間の生贄を食いながら、従者を引き連れた。それだけでなく、魔として復活していただいた。死ぬ間際の我のようにな。そして勝った鬼族は阿修羅族に傲慢の罪を断罪し、天空から追放した」
「お前は復讐のために魔になったのか」
「そうだといったら?」
父の姿がふっと横切った。だが使命を忘れてはならない。目の前にいるのは敵国の魔なのだ。
「切る!!」
抜刀の金属音が鳴った。
「いやあああぁぁ――!」
居合いの声と共に突撃するファリドゥーン。
しかしあっさりとかわされ、鍵爪で切り裂かれるファリドゥーン。黒き血が辺りに飛ぶ。
「ほほう。やっぱりお前も魔か。そうかあ。魔か。ならばお前を喰えば強くなるのだな? ならば私も本気で行く。見よ! この姿を」
体躯が爆発し、服が飛び散っていく。同時に翼と同じ闇色に皮膚が染まっていく。手足が曲がりながら太く、長く伸びていく。額の角がさらに伸び、蟀谷からも二本角が生える。鍵爪も死神が持つ鎌のごとき形となる。眼球は消え、赤く光る眼窩へ変貌し、耳は頭上から剛毛とともに伸びて行った。肉を引き剥がすような音と共に口が裂けた。口が裂け終わると牙が伸びた。尾骶骨が心臓の鼓動と同じリズムで伸び、同時に肉が伴ったいわゆる尾が生じていく。暗黒の獣の竜の姿であった。
「見よ、これが新しい主にいただいた身体だ。そして、お前の父と同じ姿だ。どうかね? 父と同じ姿を見るのは?」
「嘘を抜かすな! 悪魔め!」
血だらけのファリドゥーンが決死の覚悟で攻めていく。だが逆に拳が右から振り下ろされて壁に叩きつけられていく。鎧が割れ、金属が飛び散る。
「ぐはっ!」
内臓も飛び散った。
(――死ぬ)
ずしん、ずしんと迫り来る暗黒竜。
だが、肉体が防衛反応を起こし、意識とは別に身体がびくん……びくんと痙攣した。痙攣が強まると共に突如身体に熱さを感じると変化が訪れた。まず皮膚が暗黒色に染まって行く。横たわる体躯の傷が急速に消えていくのと同時に体躯が爆発し、服と鎧が飛び散っていく。やがて躰は肉の繭に覆われた。脳と耳と目が透明な膜で覆われていく。繭の中で肉と骨が溶けて流れいく姿を嬉しそうに見ている自分がいた。嬉しさのあまり瞳が上を向き、神経の束を震わせた。闇よりも黒き剛毛が生えていく……。
が、敵と違い手や足の一部は人間の時の姿のままだ。肩甲骨から一対の黒き翼が突き破って出て行く。骨が筋肉の爆発とともにあっという間に変形し、伸びていった。膜で覆われた脳と眼と耳は新しく構成された角付の頭蓋骨に覆われた。頭蓋骨と膜はやがて闇の皮膚と鱗に覆われて行った。瞳も人間の時と同じままであった。耳、尾、翼は敵と全く同じ姿となった。黒き翼の帳が繭の中で広がる。肉の繭を二の腕が破り新たな命が誕生した。
「ほほお。父と同じ姿か。しかも私とほぼ同じ姿とは。しかし、人間の姿も残すとは。お前も大魔アジ・ダハーカ様の祝福を受け続いた者なのだとはな。これは傑作。魔を憎むものがあろうことか竜王様の血肉を受け継ぐとは。中途半端な半魔のくせに」
笑い声が響く間に拳を逆に叩きつけた。相手が反対側の壁にたたきつけられる。
「やるじゃないか、小僧」
黒き血を流しながらと悪態をつき、黒き血反吐を吐いた。
「悪りい。勝手に手がすべった」
性格も変貌していた。声も獣のそれだ。
「ほほお。自我も保っているのか。面白い。魔同士、命を懸けて勝負だ!」
互いの咆哮が木霊した。
相手の鍵爪が突き刺さる。そして牙も肩に突き刺った。迸る鮮血。アカ・マナフは己の肩から吹き出る鮮血を飲み干し、牙でもって血肉を抉り出して貪りながら体力を回復させていく。
「俺の肉はさぞかし美味なのだろうな」
血だらけの竜が憎しみを込めながらうれしそうに右腕の拳をわき腹に叩き込む。アカ・マナフのあばらが陥没し、さらに反対側の壁に激突して瓦礫の山に埋もれていった。身体から熱いものを感じた。思わず吐き出すとそれは炎のブレスであった。炎を瓦礫にぶちまける。うりつたつの竜がさらに後方に瓦礫ごと吹き飛ばされる。アカ・マナフは両手を握り締めた。陥没したあばらを鈍い音を立てて元の位置に戻す。骨の音が響き折れた肋骨をも同時に修復させる。
「やるじゃないか。ならこれならどうだ?」
アカ・マナフが身体をうねらせる。鞭のようにしなる尾がファリドゥーンを直撃する。
尾がファリドゥーンの首元を直撃し、ファリドゥーンは反対側の壁に叩きつけられる。そこはなにかの石像を壊してしまった。さらにアカ・マナフも強いブレスをファリドゥーンに吐きつける。炎の威力はすさまじく己の巨体がカエルのように跳ね飛ぶ。
さらに、舌の位置を変えアカ・マナフは強酸の毒を浴びせた。
人間の皮膚のままだった箇所からどす黒い血が蔓延していく。意識はそこで途絶えた。
「勝負あったな」
「ふっ。お前の名誉を守るべくお前を食うとしよう。魔であることを誇りに思うが良い。なかなかの美味だしな」
しかし、黒き血を浴びた半分に割れた石像に変化が訪れた。石像から光が増していく。やがてその光はアカ・マナフを吹き飛ばす。
石像はかけらを吸い寄せると半分に割れた箇所も修復し、一つの体を構成した、三叉の鉾を持つ光の神が現れた。鎧は魚の鱗を模倣したかのようだ。
――悪が蘇ったときいて舞い戻った。
声が轟く。
「バカな。お前は私が石化封印したはず」
「そうとも。お前には強い悪の意識を感じることが出来なかった。ゆえに石化後も眠ることしか出来なかった。しかし、この者の魔の血で忌まわしきものを確認し、排除すべくこうして戻ってきたのだ」
「なっ」
ブレスを吐くが全く光のバリアで跳ね返される。
「悪の化身よ、死ぬがよい」
そういうと光速の勢いで鉾を差し出し、貫いた。
光がアカ・マナフの体中をほとばしる。
やがて暗黒竜の肉体を吹き飛ばした。
光とともに飛び散る肉片。
「ふむ。久方の体じゃ」
準備運動をするヴァルナの目に留まっていたのはもう一匹の暗黒竜であった。
「もう一匹残こっていたか」
そういうとファリドゥーンにも光の鉾を貫いた。
するとみるみるうちに黒き毛や体が光の鉾に吸収されていく。
光が収まった後に見えるのは白き毛を持った獣竜であった。




