第四章 第二節 闇種子 ※
闇種子は有頂天のあまり下界へ進撃した。
インドラは乗獣ギリメカラに乗りながら人間の村々に雷を落としまくった。こげゆく死体をみながら地上に飛び降り生き残った村人を鉾で殺戮していく。全てが終ると暗黒の鎧で固められた鎧兜の一部であり、己の体の一部となっている口元の面頬の一部を取り外す。己の臓器の一部と化していた面頬から剥離音が街中に木霊する。だが血は一切流れない。暗黒の面頬は鋼鉄よりも強き材質でありながら膜のようにしなやかに取れるのであった。鉾も床に置いた。
暗黒の面頬から見えるのは雪のように白い肌であった。床に置いた面頬が鼓動しながら生き物のように蠢く。その白肌が血の色に染まっていく。咀嚼と吸血の音が滅びた村に響き渡った。白鬼の食事の時間であった。嬰児の味があまりにも美味だったのか鬼は父力の力が増したせいで下半身に角を生やす。畏怖の姿だ。乗獣ギリメカラもそれを見て血肉を喰らう。
と、そのとき廃墟に隠れていた女の存在を角から感じる気配と額の天眼で見つけた。インドラは肉を咀嚼しながらゆっくり壁に近づき、壁を蹴飛ばして壊した。そこには若い女がひそめていた。するとインドラはいきなり剥離音を木霊させながら兜と面頬をとった。娘が見たのは銀色の炎が翻ったようにみえるほど美しい長髪がなびく美しい白雪色の顔を持つ三つ目の鬼であった。呆然と麗人の暗黒戦士を見つめる娘がそこにいた。暗黒戦士の手が己の首に向かう。
娘は目の前に突然生じた絶望的な光景のため我に戻ると悲鳴を上げその場から逃げ出す。その時、青銅の鎧を着たものが地中から暗黒の渦を出現させて地上に現れた。イマ王であった。イマ王は表向き大魔の敵であるため、天界にいる場合を除き隠密行動せねばならなかった。冥土物質で覆われた鎧を着ている。インドラが約束どおりイマ王の体躯と魂を復活させたのだ。イマ王が娘の逃げ道となる行く手を阻む。そしてイマ王は獲物の手足を地面に抑え込み首を締めあげた。娘の悲鳴が止まった。するとまた剥離音が廃墟に木霊する。
インドラは完全体の大魔で唯一人間の死体に種を仕込む事で毒蟲を誕生させることが出来る特殊能力を持つ。ゆえに東方の地では帝釈天と呼ばれるのだ。もちろん生きている者に種を仕込む場合は通常通り生きた者が生まれて来る。そしてこの毒蟲こそ三尸と言い……生死を問わず人間に寄生させることで天帝の眼となり耳となる支配道具である。さらにこの娘のように人間が潜伏していても後から人間や死体を通じて操ることで村を殲滅出来る道具にもなるのだ。イマ王はこの光景を見ながら邪霊独特の嗤いを響かせた。白鬼は三尸の母になるべく今度は母力を引き出すと鎧ごと両胸が膨らみ美両性の渾名に相応しい姿となった。そして、死を愛で……死と戯れながら気吹を何度も発し……最後になすべきことをやり遂げた。
「鏖殺入眼」
凛とした少女の声で言う。声が変わっていた。インドラが人の命を殲滅し新たな滅びの種をまいた後に必ず美両性の姿で言う言葉である。ゆえに美両性となったインドラの姿を見た人間はおらぬ。
インドラは再び鎧兜の全てを身に纏い会心の笑みを浮かべながらゆるりと歩き……床に置いた面頬の欠片を再び己の顔にはめた。すると面頬の貌は火のような歪んだ笑みとなった。床に置いた鉾を手に取りやがてインドラは暗黒の象ギリメカラと共に天空へと飛び立った。インドラが飛び立つのを見届けるとイマ王は再び暗黒の渦を出現させて地中へ沈む。
「ギリメカラよ、我ら鬼族が治めるふさわしい暗黒の色に空を染めよ」
インドラの声は鉛色の声に戻っていた。
「承知」
命令を聞くとギリメカラは口から嬉しそうに紫色の煙を吐き出す。下界では人間は次々倒れていく。ギリメカラが吐く煙は病をもたらす煙であった。九相図さながらの光景にインドラは酔いしれた。無自覚にきしむ音をたてながら胸と鎧は若干大きくなった事をインドラは知らぬままだ。
「人の死は美しい。しかし人が苦しむ様は愛おしいほどもっと美しい」
美両性の姿のままで暗黒戦士は嬉しそうに言った。その時遠くの方に未開の地が見えた。
「ちょうどよい。あの地に我の子を治めさせよう」
――今度は妾の体を使って産むとするか。サバトを行おうぞ
悲劇は繰り返される。文明とは神の下賜によって生まれるのではなく魔族の戯れや誘惑……もしくは家畜化計画によって誕生する。よって文明の誕生とは人類にとって四苦八苦の誕生に他ならない。なんせ、インドラは虚偽の罪を司る大魔なのである。無垢な人類は自然という楽園を捨て虚偽と絶望と殺戮と死に満ちた世界で苦しむのだ。
そう、インドラは人類に原罪という滅びの種まで撒いていたのだ。
生贄は鬼族の神通力で原人たちを脅すことで容易に手に入った。魔力で急遽作った生贄の台は石で出来てるが柔らかい不思議な素材だ。そして生贄が来るまで闇の中でインドラは力を蓄えた。
数日後、男の生贄が悪魔の元にやって来る。偽神は暗き森の闇から現れ暗黒戦士の姿を解いて見せた。この生贄は一瞬とはいえインドラの両性具有体を生きながら初めて見る人間となる名誉を与えられた。もちろん生贄は昇天させた上で三尸の種を植えられた。
――次はアエーシェマの仕事ね
インドラの声と顔は慈愛に満ちていた。生贄の顔は苦艱に満ちていたのにだ。
その後、白鬼《天帝》は地獄に里帰りし……ある隠し部屋に入った。ここは万が一出産で命を落とさぬよう万全の体制が整っている場だ。苦闘を経て閻魔に見守られながら滅びの種を生んだ。己の躰から出る黒きタールのような毒液をまき散らしながら。正室でも側室にも属さない子を産むのは虚偽の罪を司る大魔にとって至福の瞬間である。閻魔にとっても文明の誕生は地獄に落ちる罪人が増えるため良い事づくめである。
――ひ……ひっ……こひっ……ぐばっ…………くぱぁぁぁぁぁぁぁ…………
インドラは我が子を見て邪慢に満ちた声で嗤い……頬が破れて糸を引きながら嬉しそうに毒液を存分に吐いていた。出産に伴う傷が瞬時に癒える。なのにその顔はいまだに悦楽と苦痛を同時に湛えていた。笑っているのではない。それは明らかにわが子を道具として見る目である。なにせインドラも父にして天帝ディアウスに地獄へ突き落とされたのだ。天帝の地位奪取と闇の千年王国実現は自分の手で亡き者にした父への永遠の復讐のためである。そして同じような結末を迎えてはならぬ。表向きは道具を虚偽の愛で大事に育てようではないか。
「男の子です。姿はほぼ人間です!」
完全防護服を着た鬼族の助産師が毒液を洗い流してから性別を確認する。インドラは助産師の声にまるで無関心だ。両性具有を手に入れた完全体の大魔にとって性別など無価値だ。
インドラは皇位継承権の証である天帝の指輪が入った箱を吐き捨てるかのように閻魔へ投げた。最下級の皇位継承権の証である。閻魔は落としそうになりながらも受け取った。箱が閻魔の手に無事渡ったのを見届けると汚れた口をインドラは手で拭い態とらしい息吹を何度も発する。
――うはぁ…………こはぁ…………わはぁ……こはぁ……
出産による魔族の力を一時的にとはいえ失っていないことを確認する。魔族の言葉は悪態を付きながら息吹と共に発する。もちろん魔族の言葉で「産めたわ……これ……私の子供」と言ったのだ。すると呼吸音と共に徐々に胸と腹部が凹み男の姿へと戻った。落ち着きを取り戻し通常の姿に戻るとインドラの声が通常《男》に戻った。大丈夫だ。大魔族としての力は何も失っていない。では三下には言うか、我が企みを。
「もし我が天帝として道を誤り……滅ぼされる時はこの子によって滅ぼされたいものだ」
閻魔や助産師は耳を疑った。そう、インドラは己そのものにも滅びの種を撒いていたのだ。
「知ってるかい? 『罪』から生まれ出るのは『死』なのさ。そしてそれを『償い』と言う」
(ならば閻魔である我は天帝に「罰」を与えばならぬではないか)
文明は罪へと誘い、罪は悪しき死へと誘い、悪しき死は罰へと誘い、罰は闇へ誘い、闇より新たな命が生まれる。なにせ地母神プリティヴィーは息子を見捨てた罰としてここ地獄に幽閉されながら刑期を終えた者に対し闇の命を大地に授けているのだ。
プリティヴィーは社会的に死んでいた。
「おお、そうだ。名前。この子の名前は『王険』としよう。三界を支配する王への道は険しく不可能に近いという戒めだ」
ある意味正しいがもちろん真の意味は「正当な王位を継ぐ者が殲滅された時に保険となる者」である。息子に付けた名の意味まで虚偽であった。
「あ、あのー? 里親はどちら様に?」
閻魔が閻魔帳を持って聞くがまるで無関心だ。インドラは鏡を通じて地獄の責め苦に遭ってる亡者を見てうっすらと笑みを浮かべている。やっと「そこら辺の鬼にしとけ」と返事が返って来た。これが新しい闇の種の誕生の瞬間だった。




