第二章 第二節 最強の悪の化身、誕生 ※
医師がやってきた。もっともその医師とは暗黒竜アジ・ダハーカが化けたものなのだが……。
「王子、医者が到着しました」
魔術師が答える。
何度切っても生えてくる蛇に消耗しきっていた王子がそこにいた。
医師は診察を終えると氷の声でこういった。
「今から苦痛を和らげる薬を与えましょう」
そう言うと王子ダハーカは口から不気味な黒き煙をゆっくり吐き出した。化身の姿である口だけではなかった。なんと両肩に生えている蛇の口からも煙を吐き出していたではないか。霧は王子を包み込み、王子はやがて見えなくなった。
――かつての神官時代の時のお前を思い出すよ
高等な魔術語で魔術師に語りかける。
だが、魔術師はなにも答えない。笑みを浮かべているだけであった。真の友の誕生が待ち遠しかったのだ。
王子はやがてあのとき同様、再び全身を痙攣させ、王子の瞳はやがて赤き炎の瞳を灯した。顔や手の肌の中で血管が蠢く。が、霧は甘く恍惚に甘い。
魔王子は自ら発した濃き霧を通じて、今度は王子の心を弄る。
暗黒の者が見た光景は暗黒の者が食むにふさわしい魂の光景であった。
権力欲と闘争、神の名において行なわれた内乱、暗殺――。
騒乱につぐ騒乱。お家騒動。神官同士の破門、異端審問、火あぶり――。
王子の背後にいた、真の安息を求めるミスラ神官――。
(くくっ。それは我ら一族とて同じ)
造物主アフラ・マズダは初めに天界と冥界と大地を造った。しかし、造物主の命は冷酷であった。国土を害するための害獣と冬を創造しろと言ってきたのであった。国土の秩序と破局のリズムを作ることによって世界を保つことにしたのだ。それは永遠の創造のために。
破滅した後の汚れた霊、命、罰を与える仕事ばかりを持った下級天使はとうとうアーリマンに懇願した。アーリマンは下級天使の悲痛な願いを引き受け、インドの神々をも引き連れ、天界に戦いを挑んだ。だが、敗れ去り、地下と地下山脈に突き落とされた。以来インドでは悪魔の代名詞となった。しかし、アーリマンも同時にペルシャにおいて悪魔の代名詞となった。それだけではなかった。輝かしいイランの大地と人間の姿を見て泣き崩れた。その時絶世の美姫であるジャヒーが暗黒が持つ美しさを説き、アーリマンは納得した。
暗黒の暗闇の中でアーリマンはアフラ・マズダの創造したものを闇に返すべく、王妃となったジャヒーと交わり子を産んだ。それがアジ・ダハーカであった。父アーリマンが全力をこめて子アジ・ダハーカに魔力を注ぎ込む。以来大魔たちの先導役となった。
それはすべてを安息の世にするため。正義の名のもとに冥界に落ち続ける者共を救うため。王アーリマンは実質の統治権を王子ダハーカに譲り、以来光のものどもと闘っている。
親の敵を討つべく。そして哀れな人類に真の安隷の日々を与えるために。それが親子の願いであった。
「よい。よい魂だ」
言うやいなや魔法陣を作り出し、王子ごとアルボルズ山脈の洞窟へ連れ去った。後を追うかのごとく神官も魔法陣を描き、転移する。
着いた先はいつもの洞窟であった。獲物の前にした高揚感が抑えきれない。何度も曇天った笑いを発した。
「では私が喰らうこととしよう。コヤツを救うべく」
アジ・ダハーカが言うやいなや、両肩についた蛇がザッハーク王子の蟀谷を食いやぶり、脳を咀嚼する。しかし、血は一切出ない。蟀谷に吸い寄せられるかごとく蛇は縄のように入り込んでいく。化身たるダハーカは蛇を通じて彼の魂を……彼の悲嘆を……彼の慈愛を……彼の狂気を……ゆっくりと味わいながら我のものとしていく。蛇は音を立てて血汁を飲み込む。蛇の歯が頭の骨を砕き、骨から肉を引き剥がす。脳漿を味わう。その美味と喉越しは蛇を通じてすべて本体であるアジ・ダハーカが堪能する。
さらに二匹の蛇は口腔を食いちぎり、口から蛇がそれぞれ顔を見せる。本体であるダハーカを確認すると蛇は安心して再び体内に戻る。再び舌と口腔を食い破り、首筋の部分から骨を引き剥がし、肉を堪能する。首筋を噛みちぎる音が洞窟に反響する。
一方、医師の姿を取っていたアジ・ダハーカにも変化が訪れた。無意識に爪がさらに伸びていく。暗黒の者にとって人間の絶望と狂気はなによりの好物であり、力の源なのだ。爪だけでなく全身に力が沸き上がる。たまらず咆哮を上げながら服がちぎれ飛び、本性を現すこととした。アジ・ダハーカは元の三口、三頭、六眼の暗黒竜の姿に戻った。獲物の力が強いのか、元の姿に戻ってなお爪と牙は少し伸び、尾びれと背びれは伸びて鋭利なものとなり、尾に残っていた蛇腹の部分は消えた。ダハーカはあまりの嬉しさに尾を何度も叩く。
そう、ダハーカは完全体となったのだ。
一方、ザッハーク王子も変化が始まっていた。蛇の牙が体内にて闇色の毒を注ぎ込む。すると王子の皮膚がさらに黒くなっていく。そして過去の記憶が消え……新たにダハーカが持っている記憶を受け継いだ。王子は知るよしもないが、同時に暗黒の血肉によって再び形成され、黒き骨も新たに形成されていった。首から上の皮膚は踊り、血肉はざわめき、やがて黒き鱗と根のごとき血肉が肩に浮かび上がり、肩幅が広がった。王子の血肉を食すごとに肩の蛇の太さも増し、背は隆起した。皮膚の色も肩から上は暗黒の色に変っていく。食事を終えた蛇は再び蟀谷からするりと抜け出した。眼だけは、人間の死を見続けた眼だけは残した。
ここに三口、三頭、六眼を備えた暗黒竜の化身が誕生した。
「そなたの絶望の病は取り除いた」
暗黒竜の姿のままで言うダハーカ。
頭を垂れて礼をする。
「主よ。どうぞ我の肉体を思う存分お使いください」
「それでよい。お前は今日からこの暗黒の王子にしてこの国の王なのだ」
夢は現実のものとなった。もちろん夢を見たことすら忘れてしまっているが……。人の時の記憶は全て失われていた。同時にアジ・ダハーカが歩んできた歴史と記憶が鮮明に浮かんで来る。
「タルウィよ、姿を現すがよい」
アジ・ダハーカが命ずると邪悪なる僧侶がぐっと拳を握る締める。すると陰風が巻き起こり五体が異音をならしながら被っていた仮面と衣服がちぎれとび、肉体を膨張させ、元の暗黒竜の姿に戻る。うれしそうに闇の息を吐くタルウィ。
「お前を今まで守ってきた重鎮だ。今後もこいつを大事にするとよい」
「はっ」
「ザリチュ、出るのだ」
さらに巨大な魔法陣から出てきたのは別の姿の暗黒竜。
「この二大魔は二つで一をなすといってもよい。タルウィ同様重鎮とするがよい」
「はっ」
「さて、残るはジャムジードよの。あの王も欲望に落としいれ、国民が絶望したところでザッハーク王子が逆に攻めれば我らダエーワの世となる」
――ならばその仕事、我にお任せを
突如地面の下から出てきたのは左の方に牛の首、中央に人の首、右の羊の首とガチョウの足を持った、油漲る肥太った不潔な男。やはり暗黒の竜に跨っている。誇らしげに牛の首から炎を吐いた。
「大魔アエーシェマか。今までどこに行っておった」
「はっ、インドの天界、欲天におりました」
「ふっ、また東の国で天から人間を欲で惑わしていたのか」
この大魔もインドラ・サルワ同様、インドでは神としての勤めを果たしながら、絶望の大地ペルシャに来て、人間を食らうという。だが、鬼王インドラ、破壊神サルワと違い、人々を情欲に溺れさせたあとに残虐に1人、1人ずつ嬲り殺すという。まさに魂の暗黒はアーリマンの次に来るほどで、アジ・ダハーカすら敵わない・・・彼には信念などなく、本能のままに暗黒界・欲天界にいるだけであった。
「我にお任せあれ。人の心など脆いもの。欲がないと人は死んでしまいますからな」
魔ですらおぞましい声が洞窟内に響き渡る。
「よい、お前に任せた」
アジ・ダハーカは姿も見たくないのか即座に命令した。
その声を聞くと「待っていました」とばかりに暗黒の霧を残し消え去っていくアエーシェマ。
「アカ・マナフよ!」
アジ・ダハーカは強くその名を呼んだ。
天空から闇の洞窟へと舞い降りたのは黒き翼と角とハープを持つ魔、いや天使にも見える存在であった。その姿はまだあどけない少女であった。
「侍女アカ・マナフよ、そなたは今日からアエーシェマの監視役もするのじゃ。もちろん、夜の慰め以外にもな」
侍女は王の侍女で楽師であった。
うつむきながら笑いをこらえるアカ・マナフ。この時を待っていたかのようだ。
「いや、それだけではない。そなたには大魔として監視役以外に、光の教えを棄教させるよう、人間に教えるのだ。その音でな」
「承知。では私はかの者を監視し、闇の教えを広めましょう」
「父上、この者に大魔の称号を」
すると突然巨大な暗黒の巨大な蛇が現れた。
「女遊びがすぎるぞ。息子よ」
「申し訳ございませぬ」
「まあよい。闇豚よりははるかに忠誠心も力もあろう。侍女アカ・マナフよ、そなたは、戦によって奴隷となり、体を売る者として絶望していたところをザリチュに救われた。その感謝を忘れてはいまいか」
「はい、主よ」
「暗黒竜への体の勤め及び僕だけでなく、重役を担うことを誓うか」
「誓います」
暗黒の大蛇はそれを聞くと呪文を唱え、さらにアカ・マナフに闇のしずくを落とした。かつてのタルウィのように。しずくが落ちたアカ・マナフの額には小さな紋章が浮かんだ。
暗黒竜王が宣言した。
「新しい大魔に栄光あれ!」
侍女であるアカ・マナフはアジ・ダハーカから力を授かった。
「ところでもうひとつの闇の希望、ザッハーク王子よ、闇と同化してみよ。闇と同化したいと念じるだけでよいのだ」
すると手がどんどん闇にとけていく。次第に半分が溶け、最終的には存在の全てが闇と同一となった。闇の中にいれば、喜怒哀楽も何もない。永遠に存在し、あり続ける。永遠の安息の日々であった。
「戻ってみよ」
するとすぐにもとの姿に戻った。
「単に安息の日々が送れるだけでなく、闇あるところすべての世界に転移できる。なにもこれからは無駄に魔法など使わなくても良い」
王子は、人の姿を「まだ」とどめている方の王子は健やかな笑みを浮かべた。その姿は純粋無垢な子供の笑顔そのものであった。両肩の蛇も牙をのぞかせながら顔をゆがませる。笑っているのだ。まさに「ザッハーク」(笑顔)という名にふさわしく爽快な笑顔であった。
闇が世界制覇する日は近づいていた。
「そなたらは明日、仮の姿のまま実行に移すのじゃ」
いうやいなや闇に溶け、明かりが付いていない宮廷の地下に戻るザッハークとタルウィ。
翌日の深夜、もとい早朝に魔術師と共に宮廷を後にした。
このとき、深夜に行なわれた緊急会議で王が魔物と成り果てた王子の討伐令を下していた。察知した二匹、いや一名と二匹はマルダース王国をすぐに離れ、ジャムジード王国を目指すこととなった。竜の姿に戻った魔術師ことタルウィがザッハーク王子を背中に乗せて、ホルムズ海峡を目指すべく翼をはためかせた。
逆襲のために。
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